ドン・こにし 1950年、三重県生まれ。ファッションデザイナー。「FICCE」などのブランドを手がけ、テレビのファッションチェックで一躍、人気に。現在はタレント、コメンテーターとして多方面で活躍中。撮影/山田智絵

 辛口ファッションチェックでおなじみのドン小西さんを襲った、「心臓弁膜症」「膀胱がん」「咽頭がん」のトリプルパンチ。そんな中でもドンさんは治療について勉強し、ユーモアを絶やさず、ポジティブに乗り越えようとしている。明るく軽やかな“ドン流・闘病スタイル”を追った。

人生最大のピンチ「3連続で命の危機」

 ファッションデザイナーのドン小西さん(75)を襲ったのは、前代未聞の過酷な運命だった。今年に入り、1月に心臓弁膜症の手術、2月に膀胱がん、3月に咽頭がんと、立て続けに3つの大病に襲われたのだ。

「漫画みたいバンバンバンとね。あり得ないと思って、死んでやろうかってくらい希望が途絶えたよね」(ドンさん、以下同)

 1月の心臓弁膜症の手術は2度目。14年前の手術で入れた豚の心臓弁を加工した「生体弁」が寿命を迎え、1年ほど前から息切れに悩まされ、駅の通路で気絶したことも。医師からは「いつ心臓が止まってもおかしくない」と告げられたほど、一刻を争う重症だった。

「前回は胸骨をチェーンソーみたいなもので切る手術で、術後も1年以上、激痛に悩まされてね。だから今回は、山ほど本を読んで勉強して、何千回も執刀経験のある先生を調べ、脚の付け根から管を入れて新しい人工弁に換える『カテーテル治療』を選んだんだ。

 これが大成功。恐ろしいほどの医療の進化を実感したよ。でも、ホッとしたのもつかの間、治療前に撮ったCTスキャンで、今度は膀胱に大きな黒い影が見つかって」

 ステージ3との診断に「なんで俺だけ」と最初は不運を嘆いた。しかし、同じ膀胱がんで亡くなった友人の小倉智昭さんらの顔が浮かんだ瞬間、捉え方が変わる。心臓の手術をしなければ、がんを見つけることすらできなかったはず。「俺ってめちゃくちゃツイてるかも」と思い直した。

風邪と笑われ気づいたら咽頭がんに

 内視鏡による手術は無事に成功し、膀胱を温存することもでき、先日の定期検査でも再発はなし。だが、一難去ってまた一難。ドンさんの身体は、さらなる病魔に浸されていた。

「1年半くらい前かな、喉に大豆が引っかかっているような感じがあって。有名な病院で診察してもらったら『ちょっと荒れてるから風邪じゃないか』と笑われてさ。そのまま違和感を放置していたから、この機会に診てもらうと『立派な咽頭がんです』と」

 こちらもステージ3。声帯を失う手術は避けたいと、抗がん剤と放射線治療を選択した。しかし、3か月半の入院予定をわずか1週間で切り上げ、通院治療へ切り替えた。

「最初はいちばん安い個室に入ったんだけど、これがひどくてさ。一泊5万7千円の部屋に移ったものの、それだと1か月で170万円! しかも回診に来る医者も看護師も、余裕がないのか患者の顔を見るよりモニターばかり見てるんだ。ハートが感じられなくてね。病院にいると気が滅入って元気になれそうもないから、退院したんだよ」

2月に受けた今年2度目の膀胱がん手術の後だけは、気弱になっていたと語るドン小西さん

 そもそもドンさんは、医師を無条件に崇めるようなことはしない。

「がんについても猛勉強して、いろんな先生に会ったよ。でも院長でも、どんな地位の高い人でも、みんな僕より年下だし、ファッションチェックを長くやってきたせいか、その人の性格や人生経験を見抜いちゃうんだよね。

 医者にお任せにするんじゃなくて、彼らの知識や経験から『治すためのヒントをいただく』姿勢で、がんとは向き合ってきた」

 そんなドンさんにとって、医師の身だしなみはその内面を映し出す鏡だった。

「白衣を着ていると立派に見えるけど、名札のつけ方ひとつ、襟元のVゾーンの崩れ、靴の選び方なんかで、その医者が努力家か、惰性で生きているか、本当に患者の顔を見ているかまでわかる。やっぱりファッションは大事なんですよ」

 身体に合わなかった抗がん剤をやめ、放射線治療に絞って2か月。治療後は新居でゆっくり過ごそうと考えていたドンさんは、さらなる絶望に突き落とされる。

治療が終わってから10日目くらいが、本当の後遺症のピークだった。だるくて起きていられないし、喉の粘膜が焼け落ちて激痛で唾すら飲み込めない。味覚もなくなって激しい咳は止まらない……。手術なら麻酔から覚めた瞬間がピークで、あとは回復していくだけ。でも放射線は違う。本当につらくて毎日苦悶したよ」

目指すは“日本一の70代”

「もうダメかもしれない」と精神が不安定になりかけたときは、あえて生きるモチベーションをつくることで気持ちを奮い立たせた。心のよりどころにしたのは、昨年完成した軽井沢の新居を整えることだった。

新居に設置したサウナ。その完成が、日々の大きな生きがいに。撮影/山田智絵

「がん予防には“温活”がいいと思って、フィンランドからサウナを輸入して、テラスを3日で造らせた。次に愛犬のアリーが快適に移動できるようにアストンマーチンを購入して、さらに自宅の庭を、スケッチして自分でデザインした。

『こんなときに何をやってるんだろう、俺はバカだな』とも思ったけど、これが諦めちゃいけないという生命力の呼び水になったね」

 23年前に離婚し、昨年再婚した妻・早苗さんの献身的なサポートも大きな助けに。再婚のきっかけは、友人のテリー伊藤さんの番組への出演だったそう。

「僕に内緒で妻を呼んでいて、テリーが勝手に復縁したらどうかって、彼女に聞いたんだよ。そうしたらOKでびっくり! 孫のお祝いとかで、定期的に会ってはいたんだよ。がん治療の間は毎日、送り迎えして、食べられない僕に食事を作ってくれて本当に感謝です」

 娘家族と暮らす妻とは今のところ、別居婚状態。軽井沢の別宅に行くときに声をかけ、一緒に過ごす。

「ただね、4日も一緒にいるとケンカになるから部屋は端と端。彼女に日当たりのいい部屋を譲って、僕は日の当たらない部屋に(笑)。価値観が違って腹が立つときもあるけど、お互いにリスペクトして、いい面を見るようにしているよ」

 闘病中も自分自身、ファッションの手を抜かなかった。入院中は寝具やスリッパひとつにも気を配った。

「大病をすると『もういいや』となりがちだけど、僕にとっては無理してでもオシャレするのが『美学』。料理も一緒で、お惣菜も素敵な器に移し替える。侍みたいにカッコよく散りたいっていう信念があるし、『めんどくさい』と思った瞬間から老化が始まるからね」

 怒濤の6か月を振り返って、「濃い半年だった」としみじみ語る。死線をさまよったからこそ、至った境地がある。人間は虫や植物と一緒で、大いなる自然に生かされている存在なのだということ。たまたま星の巡り合わせで、神がかり的に今を生きているのだと。

「病院選びや薬、医者選びも大事だけれど、それはあくまでサブ。自分を治すのは、結局のところ自分の生命力と美学だと思う」

 いまだに喉の違和感は残っているものの、一時は水もコーラもお茶もすべて同じ味に感じられたという味覚は、現在7割がた戻ってきており、しっかり違いがわかるまで回復した。

「ここで死んでる場合じゃないんだよ。面倒でも自分に鞭打って、これからもずっとファッションや語学の勉強も欠かさず、常にアップデートしていくつもりだよ。目指すのは“日本一の70代”だからね!」

ドン・こにし 1950年、三重県生まれ。ファッションデザイナー。「FICCE」などのブランドを手がけ、テレビのファッションチェックで一躍、人気に。現在はタレント、コメンテーターとして多方面で活躍中。

取材・文/荒木睦美