板東英二さん(左)と明石家さんま

《板東英二は、令和8年7月22日に慢性心不全のため永眠いたしました。享年86歳でした。故人の強い希望により、葬儀は家族のみにて執り行いましたことをご報告させていただきます》

不祥事に手を差し伸べた大物芸人

 7月28日、元プロ野球選手でタレントの板東英二さんが亡くなった。公式サイトでは、冒頭のように綴られたが、これは家族が記したものだった。板東さんの野球選手時代について、あるスポーツ紙記者はこう振り返る。

「1958年、板東さんは徳島商のエースとして、甲子園に出場。準々決勝では25奪三振を記録し、6試合で83つの三振を奪いました。この記録は現在も大会記録として刻まれており、約70年経った今でも破られていない大記録です。

 翌年には中日ドラゴンズに入団。その後の11年間、“中日一筋”で活躍し、1969年に現役を引退。引退後は、野球解説者だけでなく、MCや俳優業にも挑戦するなど、マルチタレントへと転身を遂げました」

 その人間力をもって、お茶の間を沸かせる存在になっていた板東さん。1986年からは『世界・ふしぎ発見!』(TBS系)にレギュラーとして出演し、黒柳徹子との掛け合いや、“珍解答”に笑顔にさせられた視聴者も多かったことだろう。しかし、2013年3月に突如として同番組を降板することになる。

「前年の2012年末に板東さんが役員を務めていた個人事務所『オフィスメイ・ワーク』の申告漏れと所得隠しが発覚。その額は“約7500万円”で、このうち約5000万円は所得隠しと認定されました。この事態を受けて、当時抱えていたすべてのレギュラー番組を降板することに。

 翌年の11月に開いた会見では、“一番大きな問題は私自身が税について、無知であった”と話し、深々と頭を下げ謝罪していました」(芸能ライター、以下同)

 テレビに復帰したのは、不祥事発覚から1年以上が経過した2014年2月のこと。板東さんを気にかけ、復帰の手助けをしていたのは、明石家さんまだったという。

「板東さんのテレビ復帰の場はフジテレビ系の『さんまのまんま』でした。出演前には吉本興業所属となっていますが、これらの動きはさんまさんが裏で後押しをしていたといいます。

 収録後に板東さんは、“こういう人に巡り合えていて良かったなぁと思って、ちょっとウルっとしましたけどね。だけどさんまちゃんのすごさは、涙を絶対出させないことですね”と、さんまさんへの感謝を語っていました」

さんまから板東さんへの感謝

 涙にあふれた胸の内を明かしていた板東さん。一方のさんまも板東さんには頭が下がる思いがあったそうだ。

《家族一同》の名義で発表された板東英二さんの訃報(公式サイトより)

「さんまさんと板東さんは長年親交があり、さんまさんが若手時代に、すでに大スターだった板東さんに何度もご飯を奢ってもらったのだとか。若手時代に値段を気にせず、食べさせてもらった経験はさんまさんの心に深く刻まれたことでしょう。

 そうした苦しいときに助けてもらった“恩”を返す意味も込めて、復帰番組や事務所のことなど、取り計らったのかもしれませんね」

 長年の付き合いから生まれたふたりの関係性。それは現在まで留まることはなく、さんまは7月11日に放送されたMBSラジオ『ヤングタウン土曜日』で板東さんの衝撃エピソードを楽しげに披露していた。

「板東さんの“ゆで卵好き”というキャラについて、本人から“あれは仕事上、営業上や。食べてるとこ見たことあるか?”とまさかのビジネスだったことを明かしていました。さんまさんは“板東さんはめちゃくちゃ”としましたが、“あのええかげんさが昭和ぽくって本当にいいよね”と笑いながら、愛あるコメントで締めていましたよ」

 中村玉緒さんに続き、大切な先輩を相次いで失った明石家さんま。その胸中は、察するに余りある悲しみに包まれていることだろう。