芸能生活41周年、32年ぶりに写真集を刊行。'80年代アイドルが振り返る“自分”を貫いたこれまでと、支え続けてくれたファンへの思いを語り尽くす─。
写真集の撮影は着飾らずありのまま
取材現場に現れた浅香唯さんは、目を見張るほどの“小顔”! 大きな瞳が愛らしく、'80年代に多くのファンを魅了した面影はそのままだ。印象的なのは、自然体のまま年齢を重ねたからこそにじみ出る、柔らかな美しさだった。
「実は今回の写真集の撮影も、ダイエットや美容など特別なことはあえて何もせずに挑んだんです。現役アイドルの方たちと勝負するわけじゃないし、年相応の自然な姿をみなさんに見ていただきたいと思って。でも、夜8時以降は食べないように気をつけました! それくらいかな(笑)」(浅香さん、以下同)
32年ぶりとなる写真集に、きわどいショットや過度な演出はない。代わりに詰まっているのは、女性の目から見ても思わず「かわいい!」と声が漏れるような表情や、まねしたくなるファッションだ。
「撮影の舞台は、私のふるさとの宮崎県。フェニックスが並ぶ道路沿いでのカットは特にお気に入りです」
'85年のデビューから41周年を迎え、今年で57歳となる。'86年放送の人気ドラマ『スケバン刑事3 少女忍法帖伝奇』(フジテレビ系)で、三代目麻宮サキ・風間唯を演じた姿を覚えている人も多いだろう。決めゼリフは宮崎弁の「せからしか! きさんら、許さんかいね!」。
オーディションでは、二代目麻宮サキを演じた南野陽子版の土佐弁なまりの台本を渡されたが、アドリブで宮崎弁を披露。それが監督やスタッフに大いにウケ、見事合格。初出演となったこのドラマで、爆発的なブレイクを果たした。
「驚いたのは、第1話のオンエア以降、街中で撮影ができなくなったことです。それまでは撮影していても見物のお客さんが集まることはなかったのに、急に大騒ぎになってしまって」
当時、『スケバン刑事』シリーズの主な撮影は東京・練馬区にある東映東京撮影所で行われていた。近所の人たちは普段からスターを見慣れているせいか、この近辺だけではそっとしておいてくれることが多かったという。
「撮影所の近くにショッピングセンターがあって、そこで“風間三姉妹”の大西結花ちゃん、中村由真ちゃんとランチを食べるのが唯一の息抜きでした」
買い物客の多くは静かに見守ってくれていたが、子どもたちだけは興味津々で近寄ってきた。
「本当に強いの?とか(武器の)ヨーヨーをいつも持ち歩いているの?とか、聞きたいことがいっぱいある様子でしたね(笑)」
衣装のセーラー服姿のまま、しかも戦いのシーンの後でところどころ破れていたり、アザがある状態で食事をしていたというから驚きだ。
「従業員の方から、大丈夫ですか?と心配されたこともあります(笑)。あのころは本当に忙しくて寝る間もないほどでしたけど、若かったから、つらいとか大変だなんて思ってもなくて」
『スケバン刑事』のオンエア時が17歳。南野陽子、工藤静香、中山美穂さんとともに「アイドル四天王」と呼ばれ、'80年代のアイドル界を代表する存在として絶大な人気を誇った。
もともとは、芸能界にはまったく興味がなかったという。デビュー前に通っていたのは、県内有数の進学校として知られる宮崎大学教育学部附属中学校。将来の夢は獣医だった。
しかしあるとき、愛読していた『少女コミック』で、連載漫画のヒロイン役を募集する記事が目に入る。副賞の赤いステレオ欲しさに応募したところ、なんと優勝。複数の芸能プロダクションから、自宅にスカウトの電話が何度もかかってくるようになった。
ステレオ目当てでヒロイン役に応募
「ステレオ目当てだったけど、こうなったら本格的に芸能界でチャレンジしてみたくなって。親は最後まで猛反対していましたね。でも押し切って、デビューを決めてしまったんです。中学卒業と同時に上京しました」
アイドル全盛期の時代、それぞれが個性を発揮するなか、高い歌唱力でもひときわ存在感を放った。
「とんでもない! ありがたいことに、私は本当に楽曲に恵まれたんです。アルバムでも、どれをシングルにすればいいのか迷うほど素敵な曲をたくさんいただいて。素晴らしい作品を歌わせていただく責任は、すごく感じていましたね」
オリコン週間チャートで初の1位となった『虹のDreamer』('87年)を手がけたのは、シャネルズの『ランナウェイ』を大ヒットさせた作詞家の湯川れい子と作曲家・井上大輔のコンビ。
自身最大のヒット曲となった『C-Girl』('88年)は、氷室京介や布袋寅泰らのヒット曲で知られる森雪之丞が作詞を担当し、矢沢永吉、吉川晃司らに数々の楽曲を提供してきた音楽ユニット・NOBODYが作曲を手がけた。
「最近は'80年代の音楽に興味を持ってくださる若い方もいるようで、すごくうれしいです。アイドルのポップソングの中にも、名曲はたくさんありますから」
アイドルとして超多忙な日々を送るなか、19歳の夏に大きな転機が訪れた。バンドミュージシャンとの交際が発覚し、ドライブデートの写真が週刊誌に掲載されてしまったのだ。記者会見では「お付き合いをしています」と自ら交際を認め、アイドルとしては前代未聞の対応として大きな注目を集めた。
「あのときどうすればよかったのか、いまだに正解はわからないんです。とにかく、ファンの方に嘘をつくことだけはしたくなかった。交際を認めてほしいなんて大それた気持ちはみじんもなかったですね」
4年半の休業中も支え続けたファン
結果として、ファンクラブの会員数は激減。仕事にも大きな影響が出た。写真週刊誌やワイドショーのスクープ合戦が隆盛を極めていた当時、アイドルの交際発覚は決して珍しいことではなかった。しかしほとんどが明言を避け曖昧な言葉でかわすなか、浅香さんの対応はきわめて潔いものだった。
「アイドルという仕事にまじめに向き合っている人は、ファンのみなさんを裏切りたくないという気持ちを全員持っていると思います。ファンの方に優しい嘘をつくことも間違いじゃない。でもあのころの私は、嘘をつくことのほうがみんなへの裏切りになると感じていたんですね」
熱愛報道があってもなくても、'80年代のアイドルたちは“旬”の時期を瞬く間に消費され、多くは20歳を節目に路線変更を迫られた。浅香さんもこの報道後まもなく女優業を休止し、音楽活動に専念することを発表した。
「今と違って、あのころは20歳になると“もうアイドルじゃないからね”とスタッフさんたちに言われていました。それまでずっとアイドルとしてやってきた私たちが、急に方向転換を迫られるんです。女優かアーティストか、選ばなければならないなら、私は真剣に音楽をやりたいと思いました」
アルバム制作では企画の段階から参加し、自ら作詞を手がけるなど精力的に音楽活動を続けた。しかし、'93年に突然の休業宣言。まだ23歳という若さだったが、「十分にやり切った」と思えるほど、全力で駆け抜けた日々だったという。
「休業期間は約4年半に及びました。もう忘れられちゃうかな?と思っていた矢先、ファンの方たちがみんなで『浅香唯新聞』を作ったり、毎年集まって私のバースデーパーティーを開いたりしてくれていたことがわかったんです」
今でこそ、SNSなどで“本人不在の誕生日会”は推し活の定番となっているが、なんと浅香さんはその先駆けだったよう。
「休業中、私もひとりで寂しいバースデーを過ごしたこともありましたから、教えてくれたら参加したのに~!って(笑)。
このとき改めて感じたのは、交際報道のときにファンの方々に嘘をつかなくて本当によかった、ということ。みんなを裏切りたくない気持ちをちゃんと受け止めてくれていたことが、ありがたかったですね」
年齢を実感しながらも挑戦の連続
復帰後は歌手活動を再開、舞台で初主演を果たすなど新たな挑戦を重ねた。そして32歳で結婚。そのお相手は、19歳のときに熱愛が報じられたバンドミュージシャンだった。実に10年以上の純愛を実らせたのだ。
「5年後に娘を出産したことは、私にとって本当に大きな出来事でした。仕事との両立は大変でしたけど、実家は宮崎県ですので両親に頼ることもできなくて。事務所のみなさんの支えを受けながら、泣いたり笑ったりの子育て。人として、大きく成長させてもらったと感じています」
親が人前に出る仕事をしていることで、子どもが我慢したり、気を使ったりしていないか心配することもあったという。だが、反抗期らしい反抗期もないまま、長女はすでに大学生になった。
「いまだに私がいろんなことに口も手も出しすぎちゃって、夫に“自分でやらせなきゃ”って呆れられることもしょっちゅう(笑)。娘もうるさがらずに聞いてくれて、私よりずっと大人だなって、逆に教えられることも多いですね」
子育てが一段落した今、自由に使える時間も増えた。『スケバン刑事』で共演した風間三姉妹の大西結花さん、中村由真さんとは定期的に食事をするなど今も変わらず親交を重ねているという。
仕事もプライベートも自分らしく楽しみながら、浅香さんはますます輝きを増しているように見える。
「生活の中で、以前はできていたことができなくなるなど年齢を実感することは多々あります(笑)。でも、現実を受け止めつつもできる限りチャレンジしていきたい。
そんな姿を見て、同世代の方々が、私も頑張ろう!と思ってくださったらうれしいですね。みんなで励まし合いつつ、一緒に年齢を重ねていけたらと思っています」
