2012年に『罪の余白』でデビュー後、直木賞候補となった『嘘と隣人』や、日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)を受賞した『夜の道標』など、日常の中にある違和感や恐怖を緻密な心理描写で描き、人間の本質に迫る作品を発表し続けている芦沢央さん。最新作『あなたが正しくいられたとき』は、6編のミステリーを収録した短編集だ。
無意識のうちに“正しさ”というものにこだわり続けてきた
「デビュー以来、ミステリーを多く書いてきましたが、最近はSFや純文学など、読者の方が『芦沢はどこに向かっているのだろう』と思うような作品も手がけています。私はやはりミステリーが好きですし、これからも書いていきたいので、作家デビュー15年の節目にミステリーの短編集を出そうと思いました」
収録されている6編は、単行本未収録の20本ほどの短編から選りすぐった作品で、2017年から2026年までの9年にわたって発表したものだという。
「ミステリー度が高い、私らしい作品を基準に選びました。本書を読んだ方からは『タイトルにふさわしい作品を集めたんですか?』と聞かれることもあるのですが、選んだ時点ではそういうつもりはなかったんです。結果的にどの作品もタイトルに呼応するような形となり、私は無意識のうちに“正しさ”というものにこだわり続けてきたのだと感じています」
表題作「あなたが正しくいられたとき」は2018年に書かれた作品。物語の冒頭では、主人公で消防士の窪田が川に落ちた、元カノの娘を救助する場面が描かれている。
「川や海に落ちた子どもは助かったものの救助した人は亡くなった、というニュースを見聞きしたことが、この物語を立ち上げるきっかけとなりました。私は『そんな変な動機、ある?』と思ってしまうような話を書くのが好きなんですね。どう考えても不釣り合いなものが釣り合ってしまう。この一編では、そんな瞬間が成立する世界観をつくり上げました」
自分の正義を貫き、一見、ヒーローのようにも見える窪田の言動には、思わずわが身を振り返らずにおれない怖さが秘められている。
「私には怖いものから目をそらさず、見つめてしまう癖があるんです。例えば、家の中に虫がいたら、怖くても見失わないように見続けます。目の前の虫よりも、『見えないけど家の中のどこかにいる』という状況のほうが怖いんです。
その感覚と同じで、怖いものって目をそらすと、もっと怖くなってしまうんですよね。怖いものを見つけたらずっと考え続けてしまうので、私にとっては小説に書いて外に出すのが一番いい方法なのだと感じています」
人間の怖さとともにせつなさが込み上げてくる作品が六話目の「投了図」。将棋のタイトル戦が行われる町で、古本屋を営む男性の姿が妻の視点で描かれた物語だ。
距離がある人を描きたいと思った
「『神の悪手』という将棋をテーマにしたミステリー短編集を書いていた時期に、『オール讀物』から将棋小説のご依頼をいただいて書いた作品です。この作品では、過去に将棋に打ち込んでいたものの、今は距離がある人を描きたいと思いました。
また、コロナ禍には首都圏から地方への帰省は強く自粛を求められましたし、その空気感と全国各地で行われる将棋のタイトル戦がうまくつながるのではないかと考えました」
小説家ならではの怖さを描いたのが、自信作を書き上げたところで「全く同じ構想の小説がWEB上に載っている」と妻に指摘される「代償」。
「こんなことがあったら嫌だな、という想像から生まれた物語です。私自身、なぜそんなことになったのかというオチは決めず、シチュエーションからスタートして書いた物語なので、こんな真相だったのかと驚きました。
読者の方にも驚いてもらえたらうれしいですし、読み終わったとき、本のタイトルである『あなたが正しくいられたとき』という言葉が表題作とはまた違った響きを伴ってくれたらいいなと思っています」
芦沢さんが「一番の問題作」と語るのが、三話目の「薄着の女」。密室殺人のトリックを十時柿三郎刑事が解決する物語には、とある仕掛けが施されている。
「5人の作家が、“糸を使って密室をつくる”トリック小説を書いた企画作品です。普段から作品のリアリティーにかなりこだわって書いているので、糸を使った密室というのは私のリアリティーライン(現実度の基準)では無理なんですね。ですから、リアリティーライン自体を変えた小説にしようと思い、今回の仕掛けを考えました」
十時刑事は五話目の「待てば無料」にも登場する。
「『薄着の女』を読んだ方の間では十時の評判がとてもよく、『また十時さんの話を書いてほしい』と言われていたんです。『週刊文春』から『五分の迷宮』という原稿用紙15枚以内の作品の依頼を受け、その話にも十時に再登場を願いました」
「待てば無料」では、24時間待てば一話無料で読めるマンガアプリが殺人事件解決の鍵となる。
無料の情報に振り回されることが苦手
「ポイントが貯まるとか、待てば無料になるとか、世の中には一見、得をするような情報があふれていますよね。私自身、1か月だけ無料というサブスクに入会し、解約を忘れて結局、料金を払うことになるなどといった経験をしています。だから無料の情報に振り回されることが苦手ですし、怖いことでもあるんです」
本書は芦沢さんの9年間の軌跡が見える一冊でもある。
「その時々によって自分の小説美学が変わっていて、初期のころの作品はわかりやすいものになっています。6編の話はそれぞれ雰囲気が違うので、芦沢の一人アンソロジーのような感覚でお楽しみいただけたらうれしいです」
最近の芦沢さん
「横浜中華街にある店の、アワビや活きた車エビといった高級食材ばかりを具材にするおかゆ料理を食べに行きました。16名そろわないと予約ができないお店で、『野性時代フロンティア文学賞』の後輩の岩井圭也さんに声をかけてもらい参加したんです。
いろいろなジャンルの作家さんや書評家さん、声優さんなどがいらして、楽しかったし、おいしかったです」
取材・文/熊谷あづさ
芦沢央(あしざわ・よう)/1984年、東京都生まれ。2012年『罪の余白』で野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。2018年『火のないところに煙は』で静岡書店大賞(小説部門)、2022年『神の悪手』で将棋ペンクラブ大賞優秀賞(文芸部門)、2023年『夜の道標』で日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)受賞。山本周五郎賞、直木賞など数々の文学賞にもノミネートが続いている。他の著書に、『嘘と隣人』『カインは言わなかった』など。
