元宝塚歌劇団の星組トップスターで、夫の故・高島忠夫さんとの“おしどり夫婦”としても親しまれた女優の寿美花代(すみ・はなよ、本名:髙嶋節子)さんが8月3日、老衰のため94歳で亡くなったことが分かった。葬儀は家族で営まれた。
夫婦で歩んだ闘病の日々と“老老介護”
寿美さんは1948年に宝塚歌劇団へ入団し、華やかな男役として爆発的な人気を誇った。1963年に退団後、俳優の高島忠夫さんと結婚。20年以上にわたり料理番組『ごちそうさま』の司会を夫婦で務め、お茶の間の顔として親しまれた。
一方で、私生活では壮絶な苦闘も経験。
高島さんがうつ病やパーキンソン病などを発症すると、寿美さんは長年にわたって夫を支え続けた。
「当時、周囲からは都内の介護施設への入居を勧められたようですが、寿美さんは“私が自分で面倒を見たいの”と、譲らなかったようです。自身も高齢でありながら、甲斐甲斐しく夫の面倒をみる老老介護の日々でしたが、高嶋さんへの愛情は最後まで絶やさすことなくおしどり夫婦のままでした」(一家を知る大手芸能事務所関係者、以下同)
息子たちの申し出を断り続けた「女優の気概」
2019年に最愛の夫・忠夫さんが88歳で旅立った後も、寿美さんは思い出の詰まった自宅で暮らし続けた。
「年齢を重ねるにつれ、息子の政宏さんと政伸さんからは心配して“同居しないか”と声をかけられることが増えたようです。しかし寿美さんはその申し出を断り続けていたよう。知人によると、その裏には“俳優という夢を売る仕事には家庭内の暗い話は禁物。2人には私のことを気にせず自由に生きてほしい”という、同じ表現者であり、母としての強い信念があったようです」
晩年も自宅近くで近所の人々に優しく声をかけ、杖をつきながらもしっかりと歩く姿が目撃されていた。「今も変わらずおきれい」「さすが女優」と周囲から愛された寿美さんは、最後まで凛とした品格を保ち続けた。
1964年、生後5か月の長男を当時の家政婦に殺害されるという痛ましい事件に襲われ、夫の病魔など、幾多の荒波を乗り越えながらも、一生涯を通じて夫と家族を愛し抜いた寿美さん。
「一度も夫婦ゲンカをしたことがなかった」という伝説的な“おしどり夫婦”は、約7年の時を経て、天国で再会を果たしたに違いない。
息子、髙嶋政宏・髙嶋政伸のコメント
髙嶋政宏
母 髙嶋節子が亡くなりました。 最期には立ち会えませんでしたが、ここ数年は誤嚥性肺炎で入退院を繰り返し、数日前、会いに行った時も嚥下がほぼ出来ない状況で苦しがるのと、その痰が何かのタイミングで流れると安らかに眠りにつく、の繰り返しだったので、もちろん悲しいんですけど、今は楽になって、ゆっくり休んでいるんだろうなと言う安堵の気持ちでいっぱいです。 入院中、ときおり病院の方たちがびっくりするほどの声量で喋ってたようでやっぱり鍛え方が違うと話題になってたほどでした。 最期の最期まで大女優 寿美花代だった母でした。
髙嶋政伸
母、寿美花代(本名 髙嶋節子)が8月3日の朝4時43分に永眠いたしました。 父と共に大好きだったフリオの歌声のなか、母は子供と孫に囲まれながら、最期まで美しく凛とした表情のまま、眠るように旅立ちました。いつもユーモアを忘れない明るく優しい母でした。これまで、応援してくださった皆様に心より御礼申し上げます。
