池波志乃(撮影/近藤陽介)

 おしどり夫婦として知られた中尾彬・池波志乃夫妻。2年前に中尾さんが81歳で亡くなった後、池波は夫が希望した終活を実現するために奔走し、それが生きる支えにもなっていた。 

 今年、三回忌というひと区切りを迎え、ようやく「一人で生きる」ペースができてきたという池波。新しいことを無理やり始めたりせず、心のままに喪失感と向き合う日々を語ってくれた。

夫の望む終活を叶え今度は自分の終活へ

中尾彬・池波志乃夫妻、1978年3月の結婚式のもよう

 俳優として活躍していた池波が中尾さんと結婚したのは23歳のとき。近年は俳優業から遠ざかり、夫と一緒にバラエティー番組に出演することが多かった。

「中尾が忙しくなって、母と3人で暮らし始めたことから、自分が表舞台に出ないほうがラクになったんです。沖縄に別荘を購入し、千葉、木更津のアトリエと、東京の自宅を行き来する生活が楽しかったです」(池波、以下同)

 2019年にNHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺』に出演したが、このときは20年ぶりの俳優業だったという。

「本格復帰したわけではなく、生まれ育った落語界のお話で、私自身の祖母を演じることから引き受けたんです。現場ではこの時代の話し方をアドバイスしたり、裏方として作品のリアリティーを高めるサポートができたのもよかったです」

 池波は51歳のときにフィッシャー症候群という末梢神経が痺れて手足が動かしにくくなる病気にかかり、今も痺れが残っている。

「体力面での不安もあって、今は俳優に戻ることは考えていません。書くことが好きなので、ミステリーの書評や文庫の解説、エッセイなど、依頼があれば文筆業をさせていただいています」

 池波がフィッシャー症候群でリハビリが必要になった翌年、中尾さんが肺炎で倒れた。さらにその年に最愛の母も亡くなってしまう。

「そこから本格的に終活を意識し始めました。沖縄のマンションや千葉のアトリエを売却したり、家具や洋服、本も処分しました。中尾は、具合が悪くても決して人には言わないというポリシーを持っていました。

 肺がんから始まり、肝臓がん、小腸がんを患っていましたが、世間には公表しませんでした。手術をしたときも、『海外に絵を描きに行く』と言って入院していたんです。人によっていろいろな考え方や姿勢があると思いますが、中尾は『役者は万全な状態でいるのが当たり前。動けるようになってから復帰すればいい』という考え。やりたい作品の台本が来ても、自分の演技プランどおりに身体が動かないと判断すれば、きっぱりと断る。そんな潔い人でした」

中尾彬・池波志乃夫妻、1978年3月の結婚式のもよう

急性心不全のため亡くなった中尾さん

中尾彬・池波志乃夫妻

 闘病しながらも仕事を続けていた中尾さんだが、2024年5月16日、急性心不全のため亡くなった。「まさかそんなに早くにいなくなるとは思っていなかった」と池波は語る。

「最期は延命処置をしない、自宅で過ごしたいというのが彼の希望でした。お葬式も派手にするなと言われていたので、それを叶えるのが私の役目。

 彼の友人・知人一人ひとりに、亡くなったことをお伝えできなかったお詫びの手紙を出しました。その後も遺品を整理し、彼が描いた絵を美術館へ寄贈したりして、終活だけで1年半は過ぎていきました。一人になってしょんぼりする暇もなかったんです」

 今年5月で三回忌を終え、中尾さんの遺品整理は一段落したが、今度は自分自身の終活にも向き合わなければいけない。

「子どもがいないので後見人選びが必要で、遺言も書き換えました。でもモノの整理はできていなくて、大好きな料理の道具はむしろ以前より増えています。終活は断捨離ではないので、捨てるのではなく、“使いやすいものに変えていく”というのが私の考えです。

 一人になったことから、大きな器を手放して、小さな器を買い足したり。道具も進化しているので、買い替えて良かったと思うものがたくさんあります」

一人になっても料理は自分で

いけなみ・しの 1955年、東京都生まれ。五代目古今亭志ん生を祖父に、十代目金原亭馬生を父に持つ噺家一家で育ち、15歳で入った俳優小劇場の解散後、新国劇へ。’74年、映画『沖田総司』やNHK連続テレビ小説『鳩子の海』から俳優として本格的に活動。大河ドラマ『風と雲と虹と』(NHK)、『時間ですよ昭和元年』(TBS系)、近年は大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(NHK)などに出演。俳優の中尾彬さんと結婚後は、おしどり夫婦としてバラエティー番組にも登場。書評やエッセイなど文筆業でも活躍している。(撮影/近藤陽介)

 池波は中尾さんに手の込んだ料理を用意していたことでも知られていた。一人になってからしばらくは料理を作る気が起こらず、買ってきたものを食べていたが、長くは続かなかったという。

「やっぱり料理がしたくなって、結局、一人分でも自分で作るようになりました。鶏肉1枚を今日食べる分と、翌日用に漬け込む分とに分けて調理をしたり、食材を余らせない工夫が楽しいんです」

 食に対する好奇心は衰えず、通信教育で「食育インストラクター」「野菜コーディネーター」の資格を取得。知識を得たことで、池波の料理はよりシンプルで素材を生かすものへと変化した。

「凝ったものを作るよりも、シンプル・イズ・ベストにたどり着きました。野菜はとれたての生が一番おいしいですし、夏野菜は火を入れないほうがクセがありません。素材と相談しながら作ると料理はおいしくできあがります。大根の皮を厚くむいて、それを窓際で干して切り干し大根にしたり。料理をすることが一人の時間を豊かにしてくれています」

 中尾さんの看病をしていたころは、起床から就寝まで、すべてが夫のためのローテーションで組まれていたが、今はすべてが自分の時間になった。

「まず起きたら蒸しタオルで洗顔をして、ストレッチと体操をします。自分の体調と相談しながら、『今日は少しキツい』と感じたときには途中でやめて、無理はしません。朝食を終えて、コーヒーを淹れてひと息つく。自分一人だけの今の時間は中尾が最後にくれた“休暇”だと思って楽しんでいます」

 一人になってから、これまでとは違う交友関係も広がった。以前は夫婦単位での付き合いが中心だったが、今は同世代の女友達と連絡を取る機会が増えたという。

「昔の友達もいつの間にか独り者になっていて、交流が再開したり。うちに料理を食べに来てもらうこともあります。中尾の同級生の集まりにも参加させていただいて、年上の友達もできました」

 一人になると「習い事をしたら?」とすすめられることもあるが、池波はやりたくないという。

「歌や踊りは仕事でずっと頑張って努力してきたことなので、今さらやりたくないんです(笑)。サークルなどに入って、噂話に花を咲かせるのも好きではなくて。映画館や美術館に一人でふらっと出かけることが多いですね」

 最近、面白かった映画は、カンヌ国際映画祭で最優秀女優賞を受賞した、濱口竜介監督の『急に具合が悪くなる』だ。

「濱口監督は撮影前に徹底した台本読みをすると聞いて、その手法にも興味を持ちました。昔は勉強のために映画を見に行っていて、純粋に楽しめませんでしたが、今は気楽に見られます。韓国ドラマも見ますが、情緒的な恋愛ドラマよりも、エネルギッシュで野心的な作品が好みです」

夫の魂はいつもそばに新しい伴侶はいらない

池波志乃(撮影/近藤陽介)

 凛とした美人で、料理がうまく、教養が深い池波。誰から見ても魅力的な存在だが、今後、新しいパートナーを得る可能性はあるのだろうか。

「100%とは言わないけれど、99・9%ないでしょう(笑)。23歳で結婚してから48年間、常に夫のペースに合わせて生きてきました。70代になって初めて、すべてを自分一人のテンポで決められる心地よさを感じられるようになったので、また誰かに合わせて生活することは『冗談じゃない』という感じです(笑)。お友達は欲しいけれど、惚れた腫れたがくっつく関係はいらないですね」

 中尾さんは実家のお墓を弟に譲っているため、今の住まいの近くのお寺にお墓を建てた。中尾さん自身がデザインし、縦ではなく横型で、家名は刻んでいない。池波はお墓参りのたびに「ここに中尾はいないな」と感じている。

「お墓参りに行くと、お墓の横に立って『いいだろう、このデザイン』と中尾が説明している姿が目に浮かびます。生前から自慢していましたから(笑)。でもお墓でじっとしているのではなく、せっかく自由になれたんだからと、絵を描きたかったヨーロッパへ行ったり、好きなところに飲みに行っているに違いありません。そんなふうに考えると私も元気になって、心が休まるんです。痛みから解放されて、楽しめるようになってよかったねって」

 家で映画を見ていても、中尾さんに話しかけてしまうという。

「『ちょっとがっかりだったよね』とか。そんなコミュニケーションが、今の私を一番安定させてくれているんです」

 これまでは、夫婦でよく出かけていた場所には、なかなか足が向かなかった。

「中尾は今もそばにいて、どこかに遊びに行ってもいつも一緒にいるーー。そういう感覚になってからは、やっと少しずつ出かけられるようになってきました」

 中尾さんの魂をそばに感じながら、新しいステージを一人で生きていく池波。

「これからは誰かに合わせるのではなく、自分の興味のままに動いていきたい。でも体力だけは自分の責任でしっかりと保ちながら歩んでいきたいと思っています」

取材・文/紀和 静 撮影/近藤陽介