8月3日、女優の寿美花代さんが老衰のため94歳で亡くなった。
「夫は昭和を代表する俳優でタレントの高島忠夫さん。息子の髙嶋政宏さん、政伸さんも芸能界で活躍し、“高島ファミリーの母”として知られていましたが、寿美さん自身はもともと宝塚歌劇団の星組でトップスターを務めた大女優でした」(スポーツ紙記者)
宝塚で同じく星組のトップスターだった鳳蘭はこう偲ぶ。
「私が歌劇団に入る前に退団されていたため、大先輩の寿美さんとは、残念ながら共演する機会はありませんでした。ですが、寿美さんの代表作『華麗なる千拍子』は今も宝塚の舞台で受け継がれ、後進たちの憧れです。宝塚の歴史に残る大輪の花のような方でした」
華やかなレビューの世界で輝き、芸能界の第一線を走る家族に囲まれた寿美さん。しかし、その人生は平坦ではなかった。
「1人で入院させられない」
「忠夫さんと結婚して間もない1964年、生後5か月の長男が、当時雇っていた家政婦によって殺害される事件が起きました。このときの心の傷は長い年月を経ても消えなかったそうです」(ワイドショースタッフ、以下同)
おしどり夫婦として知られた夫を襲った病も、寿美さんに重くのしかかった。
「1998年に忠夫さんがうつ病と診断され、日常生活に支障をきたすように。それでも寿美さんは“1人で入院させられない”と、自宅で面倒を見たといいます」
寿美さんの献身的な支えもあり、忠夫さんは2007年に復帰を果たすも、後にパーキンソン病を発症するなど闘病生活は続いた。
「2008年に結婚した政伸さんと美元さんは、生活費などをめぐって夫婦関係が悪化。離婚問題は“泥沼裁判”に発展しました。寿美さんも心労が重なり、全身に帯状疱疹が出たそうです」
そんな中、寿美さんは毎日放送のローカル番組『ちちんぷいぷい』に2002年から2011年まで、9年間セミレギュラーとして出演。共演していた番組司会の角淳一氏は、寿美さんとの思い出をこう振り返る。
忠夫さん死去後に高齢者施設に入居
「品があって明るく、共演中はいつも楽しくさせていただきました。ただ、いつだったか“帰りの新幹線ではよく泣いていた”と漏らしていたのが印象的です。ご主人の病気など、いろいろあって、おつらい時期だったのかもしれません」
2019年に忠夫さんが死去。その後も自宅で暮らしていたが、2022年ごろには高齢者施設に入居したことが報じられた。
「亡くなる約3週間前の7月14日に放送されたテレビ朝日系『徹子の部屋』では、ゲスト出演した政伸さんが寿美さんの近況を明かしていました。面会に訪れると目を開けて息子を認識し、孫たちの顔を見るとうれしそうな表情を浮かべるなど、穏やかな晩年を過ごしていたようです」(前出・スポーツ紙記者)
幾度もの悲しみを乗り越え、家族を支え続けた寿美さん。今ごろ、先立った家族との再会を果たしていることだろう─。
