6歳でルーツのあるハンガリーに単身留学。現地の音楽大学に飛び級で入学し、演奏活動も始めるも、一念発起して帰国。以降は日本でピアニストとして活躍している金子さん。デビュー15周年となる今年、尊敬するリストの功績にならって生きることを決意した彼の瞳はいま、何を見据えているのか。じっくり伺いました。
名前の由来は「ミュージックとは関係ない」
19世紀の天才ピアニスト兼作曲家・リストの出身地であるハンガリーにもルーツを持ち、名前からして「ミュージック=音楽」の申し子かと思いきや、「いえ、ミュージックとは関係ないんですよ(笑)。武士のように勇ましく、という両親の願いが込められたうえに、3人目の子どもなので三をつけただけなんだそうです」
こう話しながら優しい微笑みを浮かべるのは、ピアニストの金子三勇士さんだ。武士というより、おとぎ話のプリンスのよう。日本人の父とハンガリー人の母のもとに生まれた彼の半生は、波瀾万丈だ。
そもそも6歳にして親元を離れ、祖父母の住むハンガリーに渡ってピアノを学ぶという決意をしたのだから、生半可な覚悟ではなかったと想像する。
「幼すぎたことが幸いでした。とにかくピアノが好きで学びたいという一心でしたが、もしも今、知り合いの子が同じ年齢でハンガリーに一人で行くって聞いたら、猛反対しますけどね」(金子さん、以下同)
さらりとかわすが、言語の壁にぶつかり、そして二つの祖国を持って生まれたことへのコンプレックスもあったという。
「日本とハンガリーにルーツを持つ自分が、音楽をすることの意義を考えていた10代でした。尊敬するリストが創設した音楽院で学び、演奏活動をする中で、ハンガリー人の音楽家としてのアイデンティティーは確立できたと思っていたんです。でも、ハンガリーで『半分、日本人だよね』と言われても、日本について何も知らない自分がいたんです」
日本語も中途半端だったし、同世代の日本の学生がどんなふうに音楽を学んでいるのかも知りたかった。
「このままヨーロッパにい続けたら、私の中の日本人の部分がなくなってしまいそうな気がして。日本やアジアに拠点を置けば、ヨーロッパでの学びを生かした発信ができるかもしれないと、帰国を決意しました」
日本の高校に編入し、その後21歳で日本デビュー。今年15周年という節目を迎えるにあたり「21世紀のリストになる」との決意を表明。かつて音楽室にあった歴代名作曲家の肖像画の中にあった、端正な顔立ちのリストを記憶している読者も多いだろう。
音楽の楽しさに気づける子を一人でも増やすことができたら
「確かにリストは若いころ女性のファンが多かったです。ピアノの魔術師といわれ、彼の演奏中に失神したり、彼の汗を拭いたり髪の毛を拾う人までいたそうです。そういう話ばかりが先行していて、彼の音楽家、人間としての偉大さがあまり伝わってないのが残念で。ちょっとかわいそうなんです」
リストは教育家でもあり、ピアノ・リサイタルというコンサート形式を確立した。また、ピアノという楽器を職人とともに現在の形に完成させたほか、「チャリティー・コンサート」も初めて行った。
ヨーロッパで水害が起きれば、演奏会を開いて貴族たちから寄付金を集め、自ら被災地に足を運んで物資を配り、国会で答弁もするなど、政治家や外交官のような役割も果たした。
「音楽家・文化人としての枠を飛び越えた活躍ぶりが、現在につながっている」と、金子さんは語る。
「私はハンガリーで、リストから5代目の直系の弟子にあたる教授の教えを受けることができました。現代において、リストだったら何をするかということを考えて、音楽家として、社会人として生きる覚悟を決めたのです」
リストの生きざまを模索する中で生まれた活動の一つが、子どもたちへの教育活動だ。
「大人と接するように対等に付き合っています。すると、ふとした瞬間に打ち解けるときがあるんですよ。関西だと『兄ちゃん、案外ピアノ弾けるんやなぁ』なんて言ってくれたりして(笑)、うれしくなりますね。
実は、ハンガリーの人たちのコミュニケーションもボケとツッコミ的なところがあって、関西に似ているんですよ。モニター越しでなく、生でピアノに触れ、聴く経験で心が豊かになり、音楽の楽しさに気づける子を一人でも増やすことができたらと願っています」
また、音楽を通してさまざまなドラマと接することが、ピアニストとしての醍醐味だとも語る。
「何をやっても無駄なことってない」
「介護付き老人ホームでコンサートをしたのですが、私の演奏のあと、車椅子に乗った女性がしきりとピアノを指さしたそうなんです。職員の方がピアノの前に連れて行くと、私が弾いた曲をそのまま流暢に弾き始めたと。認知症が進んだ方だったのですが、経歴を調べたら音大のピアノの教授だったそうです。
また、余命宣告をされた方が、私のコンサートでリストの『ラ・カンパネラ』を聴いて感動し、ご葬儀でも同曲を流したと、ご親族が報告してくれました。多くの人の人生の、いろいろな瞬間に音楽が必要とされていると思うと、励みになりますね」
ファンを魅了するのは、演奏だけではないらしい。演奏の合間のトークにも磨きをかけているというが、そのヒントはお笑い芸人のコントや落語だという。
「ライブを多く行っているサンドウィッチマンさんやバナナマンさん、東京03さんが大好きで。落語は飛行機の機内サービスでよく聴きます。こっそりお笑いライブにも足を運んで、場の空気や目の前のお客さんの心をつかむテクニックが勉強になるんですよ(笑)」
多いときは年間約150回のステージをこなす多忙な日々のリラックス法は、オンとオフをきっちり分けることだという。
「休日はピアノを弾きません。祖母から受け継いだハンガリーの郷土料理を本格的に作ったりしてます。手ごねのパスタが入った『グヤーシュ』という料理を作るときに無心で生地を作っていると、音楽に対する思考の整理にもいいんです。
趣味は多く、過去には華道も。日本文化を学ぶことだけでなく、これまで音楽でしか表現できなかったものを、花を活けることで、ビジュアルで訴えていく。ステージでの空間の質の捉え方など、演奏に対する視点も見えてくる。何をやっても無駄なことってないんですね。茶道にも挑戦してみたいです」
いよいよ始まる15周年記念コンサート。意気込みは?
「私にとっての15年はやっとスタート地点に立ったという感覚。次の15年を見据えた今、私にできることは、すでにある偉大な作曲家たちの作った曲を、そのままの形で皆さんにお届けすることです。瞬間芸術である生演奏は弾いたらそこで消えます。でも、不要なものは淘汰されてきた歴史の中で、音楽が残ってきたのは必要とされているからなんです」
であれば、残していかなければならない。
「身近な人たちや愛好家たちに向けて演奏するだけではなく、歴史を残す者という当事者意識で、ピアノや芸術をつなげていかなければ、音楽家としてはダメなんです」
こう言い切る瞳の奥に強い士気がみなぎる。彼はやはり、武士なのか、それともプリンスか? どちらにしても音楽の申し子であることに変わりはない。
取材・文/合田みれい
かねこ・みゆじ 1989年、日本人の父とハンガリー人の母のもとに生まれる。6歳より単身ハンガリーに留学。祖父母の家からバルトーク音楽小学校に通い、11歳より飛び級でハンガリー国立リスト音楽院大学に入学、16歳で全課程取得後、日本に帰国。東京音楽大学付属高校に編入、同大学を首席で卒業、同大学院修了。精力的な演奏活動の傍ら、多くのコンクールで優勝。映画『蜜蜂と遠雷』にて主人公のピアノ演奏を担当するほか、テレビ、ラジオなど多くのメディアに出演。『日本デビュー15周年記念 金子三勇士 ピアノ・リサイタル』10月18日(日)16:00/会場:東京オペラシティコンサートホール『トマーシュ・ネトピル指揮 プラハ交響楽団 ニューイヤー名曲コンサート』2027年1月15日(金)19:00/会場:サントリーホール チケット購入先:
・ジャパン・アーツぴあオンラインチケット https://japanarts.pia.jp/
・ジャパン・アーツぴあコールセンター 0570-00-1212
