だいあもんどゆかい/1962年3月12日、東京都生まれ、埼玉県育ち。'86年、伝説のロックバンド「RED WARRIORS」のボーカルとしてメジャーデビュー。人気絶頂期の'89年、わずか3年の活動で日本武道館公演を最後に解散。その後、「ダイアモンドユカイ」として、ソロ活動を開始する。現在は音楽活動を中心に舞台・映画・バラエティー番組に出演するなど幅広く活動する。 

 自身が「無精子症」であり、過酷な不妊治療を経て子どもたちを授かったことを告白したダイアモンドユカイさん。その後3人の父となり「年齢からしてあまり一緒にいられないから」と、すすんで子育てにいそしんできた。中でも長女は今、オリンピックの有力選手として活躍中。家族との絆、そして喜怒哀楽を隠さない彼にとって、「ロック」とは、なんなのか─。心中を明かしてくれた。

突如突きつけられた「無精子症」

 2026年にデビュー40周年を迎え、今年から来年にかけて全国アニバーサリーツアーを敢行中のロックバンド、RED WARRIORS(レッド・ウォーリアーズ)。
 
 そのボーカリストであるダイアモンドユカイといえば、音楽活動以外にも俳優、舞台、バラエティー番組と多方面で活躍。現在は“1女2男の父”でもあるが、41歳での再婚後に男性不妊が判明。妻と共に不妊治療を経て、47歳で長女を、49歳で長男と次男を授かったことでも知られている。

「あなたの精子はゼロです」。医師からそう告げられたときのことをユカイが振り返る。

「最初は妻の付き添いで、近所の産婦人科のクリニックに行ったんだよね。検査の結果、妻は健康体で何も問題がなかった。よかったねなんて言って帰ろうとしたら、先生が『あなたも検査を受けてみませんか』って言うわけですよ」(ユカイ、以下同)

 結果は、思いもよらないものだった。

「精子がないと告げられて……。もう谷底に突き落とされた気分というか、今まで自分が男として生きてきた概念が全部ぶっ壊された感覚。それまで『俺についてこい!』みたいな、男全開の歌ばっかり歌ってきた俺が、自分が考えていた『男』じゃなくなっちゃったというか。

 ほとんど口もきけないくらいのショックを受けたけど、俺よりも妻のほうがショックだったんじゃないかな。その時点では子どもができないって宣告されたに等しかったから」

 突如突きつけられた無精子症=「男性不妊」の現実─。受け入れるまでに時間はかかったが、その後の詳しい検査で、ユカイは「睾丸で精子はつくられていても、精管に問題があって精子が出てこない『閉塞性無精子症』」であることが判明する。

願掛けの断酒からスイーツにハマる

 精子があることはわかったものの、当時は男性不妊に関する情報も少ない時代だった。

「人に相談したりしているうちに、男性不妊でも子どもを授かる可能性は低くはないっていうことが、だんだんわかってきたわけ。それで、俺も臨んでみようという気持ちになっていったんだよね」

 その後、妻の協力のもと、不妊治療を開始。しかし、2度にわたる顕微授精(体外受精)は失敗。妻との関係性も次第にギクシャクしていった。

「不妊治療を始めてわかったのは、俺なんかより女性のほうがもっと痛いってこと。男の痛みは局所に麻酔の注射を打つときの一瞬だけど、女性は卵子を取り出さなきゃいけない作業があるから、男よりも大変なんだよね。

 まして不妊治療は金銭的にも負担が大きいし、お互い『不妊治療』のことばかり考えているうちに、毎日がギクシャクしてきてね。ケンカになって妻が家を出ていったこともあったし、俺も酒飲んで荒れたこともあったよね」

ダイアモンドユカイとしての新曲、ニューアルバム『SING MY SOUL』から、『NEW CINEMA PARADISO』が7月に配信リリースした

 2度の失敗で、ユカイ自身は完全に子どもはあきらめていた。だがある日、妻から「もう一度だけ挑戦したい」と告げられた。そうして、旅行がてらに訪れた“男性不妊治療の権威”といわれる北九州のクリニックで3度目の体外受精にトライ。結果、念願の長女を授かることができた。

「受精卵の着床が成功したとき、願掛けとして“断酒”した。それまで水のように酒を飲んでいたんだけどね。でも今度は、スイーツに目覚めちゃってね。こっちは今でもやめられない(笑)」

「少しでも自分の経験が世の役に立てば」と考えたユカイは、2011年に『タネナシ。』(講談社)のタイトルでエピソードを書籍化。男を売りにしてきたロッカーが、男性不妊を公表するというレアケースとなった。

「そのへんに関しては、俺はいつもあけすけに生きてきたからね。ジョン・レノンだって、最後のほうは子育てのイメージが強かったじゃない? ジョンが一番最初にやって、みんなにバカにされてたんだよね。

 ロックンローラーが子育て? みたいな。でも、俺はそういうジョンのことが好きだったから、俺が男性不妊を公表することも別になんとも思わなかったね」

長女は今や五輪の最有力選手に

 2027年3月14日(日)、『Good Bye RED WARRIORS〜Final Lesson〜』日本武道館公演の開催が決定。詳細は「ダイアモンドユカイ オフィシャルサイト」まで。https://diamondyukai.jp/

 そのユカイの長女の名前が、今年5月にスポーツ紙をにぎわせた。長女・田所新菜さんが、5月に行われたアーティスティックスイミング(AS)日本選手権で活躍。ソロ・フリールーティン(FR)で4位入賞、デュエット・テクニカルルーティン(TR)、チームFRで共に2位と好成績を収めたのだ。

 実は新菜さんのコーチは、数多くの世界的選手を育てたことで知られる井村雅代さん。新菜さんは、2年後のロサンゼルス五輪候補にも名前が挙がるAS界の“新星”なのだ。

「娘は、幼稚園のころから運動神経がずば抜けていたんだよね。それを見て妻と『これだけ身体能力が高いんだったら何か運動をさせたほうがいいね』ってことで、バレエや水泳を習いに行かせていたんですよ。水泳は地元のスイミングスクールに通っていたんだけど、そこのクラブがASも教えていて、それを見ていた娘が『やってみたい』って。

 そこでもいい成績を収めていたんだけど、あるとき、井村さんの本を読んで感化された娘が『井村先生のところでオリンピックを目指したい』と言い出して」

 五輪を目指すため、新菜さんは中学を卒業後、ユカイの妻である母とともに井村さんがいる大阪に移住した。それ以来、田所家の人々は関東と関西の二拠点生活を送っている。

 なお、身長の高い選手のほうが有利に働くASでは、基準身長から1センチ下回るごとに減点されるシステムがある。新菜さんは現在172センチで、すでに基準身長はクリア。公称170センチ弱のユカイの身長をも上回っている。

「昔は娘と肩を組んで歩いてたのが、今は俺のほうが肩を組まれてる感じだよね(笑)。でも、娘は本当に頑張ってるよ。妻から競技の動画の映像が送られてくるんだけど、それを見るたびに感動して泣いちゃうんだ。俺のほうが元気をもらってるんじゃないかな。

 今はまだ俺の娘ってことで取り上げられたりするけど、井村先生からは『ダイアモンドユカイの娘の新菜じゃなく、新菜のパパのダイアモンドユカイって言われるように私はしますから』って言われてるんですよ」

 娘の成長を近くで見られない寂しさはあるが、関東の自宅には中学生の双子の息子、頼音君と匠音君がおり、親としての仕事から解放されたわけではない。これまでも、自然の多い郊外に引っ越したり、PTA会長も務めたほど子育てに全力投球してきたユカイが、その原点を振り返る。

「新菜が誕生してから、妻が『自分たちは高齢の親だし、将来は新菜ひとりになる可能性が高いから、きょうだいをつくってあげたい』って言い出してね。あれほど大変な不妊治療をまたやるのか、新菜ひとりでもいいんじゃないかって俺は思ったんだけど、妻の熱意に押されて再度挑戦したんですよ。

 そしたら今度は双子を授かっちゃった。でも俺は彼らと『そんなに一緒にいられるわけじゃない』っていうのが、あるね」

 そんな息子たちは現在、反抗期真っただ中なのだとか。

「小学生のころは高い声でパパー、パパーなんて言ってた2人が、いまや声変わりもして、立派な男の声なわけ。で、全然言うこと聞かないんだよ。顔もだんだん自分に似てきてさ、うれしい反面、ちょっとムカついたりもするんだよね(笑)。頼音はサッカーに夢中だし、匠音はゲーマー。双子なのに好きなことがまったく違う。面白いね」

 現在は、各地でのライブ活動に加え、今秋発売のソロアルバム制作中でもあるというダイアモンドユカイ。

「俺の現状に、俺自身が信じられないかも。でもそれもロックだと思うんだよね」

 伸び盛りの3人の子を持つ父は、まだまだロックし続ける。