母娘2人で広島市を訪れた紀子さまと佳子さま。平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑に供花(2025年8月11日)写真/宮内庁提供

「これでこういうふうにしたらいい?」(悠仁さま)

「いいよ」(ボーイスカウトのメンバー)

「こんな感じで混ぜればいい?」(悠仁さま)

「うん、めっちゃいい。グローブ熱くない?」(同・メンバー)

「まだ大丈夫」「ジュージューいってきた」(悠仁さま)

 秋篠宮ご夫妻の長男で、佳子さまの弟の悠仁さまは8月7日、ボーイスカウト最大の祭典「日本スカウトジャンボリー」出席のため広島県入りした。そして同日夜、神石高原町で開催されたジャンボリーの集会に出席して、公的な行事で初めて「お言葉」を述べた。

悠仁さま参加したジャンボリーの朝食作り

広島県・神石高原町のキャンプ場で朝食作りを体験する悠仁さま(2026年8月8日)

 この日、神石高原町のキャンプ場に宿泊した悠仁さまは翌8日午前6時半ごろ、ジャンボリーの朝食作りに参加した。報道によると、悠仁さまは冒頭のように参加者と手順を確認しながら、朝食用の豚汁作りに仲良く取り組んだ。

 ピーラーを使ったにんじんの皮むきでは、「ピーラーは3週間ぶりくらい」と悠仁さまが笑顔を見せた。その後、参加者たちと豚汁などの朝食をとったという。

「私がこの大会に参加するのは初めてですが、これまで『富士スカウト章』の受章者や、能登半島地震で支援活動に携わったスカウトの方々からお話を伺う機会があり、それぞれの取り組みの大切さや、皆様が熱意をもって活動されていることが伝わってまいりました。

 そして先ほどは、成年スカウトの方に宿泊場所となるテントの組み立て方を教えていただいたり、都道府県やガールスカウトの代表の方々とお話ししたりいたしました。その中で、皆様が目標をもって日々の活動に励まれていることなど貴重なお話を伺うことができました。

 今大会のテーマは、『挑戦~神石から未来への一歩~』です。ここ広島県の自然豊かな神石高原で、皆様が各地から集まった仲間と交流を深め、友情を育むことは心に残る時間になると思います。そして、力を合わせて活動に挑戦し、防災をはじめさまざまなことについて考えを深め、より良い未来に向けて力強く歩みを進める機会にもなると思います。私自身も、皆様の活動に参加させていただく中で、多くのことを学びたいと思っております

 前述した「日本スカウトジャンボリー」の集会で、悠仁さまは熊本地震の犠牲者を悼み、被災者を見舞う気持ちを述べた後、このように参加者たちを前にして挨拶した。

 それに先立ち、悠仁さまは7日午前、広島市の平和記念公園を訪ねた。強い日差しの下、原爆死没者慰霊碑に供花し、拝礼した。その後、爆心地に近い市立本川小学校にある平和資料館を訪問している。焼け残った鉄筋コンクリート造の校舎が被爆遺構として資料館になっており、悠仁さまは犠牲となった児童らを悼む慰霊碑に供花して館内に入り、被爆直後の広島市内の惨状がわかる模型を見ながら、説明を受けていた。

 悠仁さまと広島との縁は、約8年前にさかのぼる。

小学生の頃、母親の紀子さまと一緒に被爆地・広島を訪問

「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」を見学する秋篠宮ご一家(2025年7月11日)

 2018年の夏休み期間中、お茶の水女子大学附属小学校6年生だった悠仁さまは自分で強く希望して、母親の紀子さまと一緒に被爆地・広島を訪問したことがある。両親はこのことを、悠仁さまの成長の証しとしてとても喜んだ。秋篠宮ご夫妻のその年の記者会見でのやりとりは次のようなものだった。

「今まで長男は沖縄、長崎、小笠原に行っていますけれども、広島には今まで行ったことがなかったんですね。そういう何かまとめるにあたって、本人自身がぜひ広島に行きたいという希望を持って、それで、家内と一緒に行ったわけですね。

 そのように、かなり自主的に動くということをするようになってきたと思いますし、自分の意見もはっきり言うようになったなという印象は私にもあります。一方、自分の主張だけをどんどんするのではなくて、人の話にもきちんと耳を傾けるようになってきたなと思います」(秋篠宮さま)

「小学校の6年生でも夏休みの宿題・課題が多く出され、それは7月に入ってからでしょうか、(長男は)この課題をどのように進めていこうかと、自分で考え(略)長男が、できれば(この夏に)広島を訪れて、資料館や関係者から話を聞いてみたいとのことだったので、参りました」(紀子さま)

 戦後80年の節目の年にあたる2025年7月11日、佳子さまと悠仁さま、それに、秋篠宮ご夫妻の家族4人は、東京都目黒区にある東京都写真美術館を訪れ、「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」を見学した。

 この企画展は中国新聞社など報道機関5社の主催で、各社のカメラマンや市民らが撮影した原爆投下直後の写真など約160点と映像2点を公開していた。

 ご一家は担当者から説明を受けながら、原爆投下後の広島市街や激しいやけどを負った市民の様子を撮影した写真などを真剣な表情で見て回った。

 秋篠宮さまは爆心地から2・2キロ地点の写真を見て、放射線が人体に及ぼす影響に触れながら、「かなり爆風が強かったんですね」「やはり核はなくならないといけないですね」と口にした。悠仁さまは「写真や映像が持つ情報の多さや力を感じました」との感想を述べたという。

 同じ年の7月、全国高校総合体育大会(インターハイ)の総合開会式に出席するため広島県を訪れた秋篠宮ご夫妻は、平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑に供花し、拝礼した。そして、ご夫妻は広島平和記念資料館で、高校生平和大使を務める被爆4世の甲斐なつきさんらと懇談していた。

 その年の11月に行われた誕生日会見で、秋篠宮さまは次のように述べている。

「やはり戦後80年がたったということがあると思います。この節目の年にあたり、いろいろな展示会ですとか催しが行われ、また報道などでも特集の記事が組まれたりしていました。改めてそれらによって先の大戦へ思いを馳せ、また今の平和な世の中が継続していることの大切さというものを考えるきっかけになったのではないかと思います。

 ただ、この一方で、先の大戦のことについては、節目の年だけに思い起こせばいいというものではなくて、これが今年は80年ですけれども、81年であっても、82年であっても、折々に思い起こして、過去に学びながら、二度と同じことを繰り返してはいけないということを、一人ひとりが確認することが大事なのではないか

 戦争の記憶を、「折々に思い起こして、過去に学びながら、二度と同じことを繰り返してはいけない」という秋篠宮さまの強い思いは、とても大切なことだ。佳子さまや悠仁さまたち、若い世代にもしっかり受け止めてもらいたい。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に2025年4月刊行の『悠仁さま』(講談社)や『秋篠宮』(小学館)など