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 《分裂》《解散》《クーデター》……。連日メディアに躍った文字。ご存じ、国民的アイドルグループ・SMAPによる一連の騒動だ。

 彼らは最初からスターだったわけではない。下積みから這い上がってきた。今でこそ日本の芸能界を代表するアイドルだが、そもそも彼らはどんな人物だったのか。

 そこで、デビュー前後から彼らを直接見てきた関係者たちに取材した。

 1月18日、緊急生放送された『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)は前代未聞の異様な光景と言っていい。本来なら笑い満載のバラエティー番組であるはずなのに、5人は黒いスーツに身を包んで1列に並び、神妙な面持ちでグループの存続を表明した。

 会見の翌日、元ジャニーズ事務所の先輩にあたる諸星和己は、あの会見を「何かのお葬式?」と揶揄した。

 こう述べた諸星の古巣『光GENJI』とSMAPの間には、常に明暗の分かれる因縁がある。デビューするや一躍トップアイドルとなった光GENJIのバックで『スケートボーイズ』として踊っていたのがデビュー前の5人。

「光GENJIは、パッと出てスターになった子たち。SMAPはひとりひとりが個々の活動をし、デビューするまでに6年くらいかかっているんです」(芸能プロ関係者)

 レッスンに通う中で光る男の子をジャニー喜多川社長が選び出し、新しいグループを作っていく。それがいわゆる“ジャニーズ方式”だが、その中でも6年というのはかなりの遅咲きと言える。

 SMAPが人気者になっていくのとは逆行して、光GENJIの人気は低迷し、解散へと追いやられた。

 SMAPがCDデビューしたのは1991年だが、最初は鳴かず飛ばず。現場に同行するマネジャーもおらず、個々が電車で仕事場に向かっていた。

 そんな彼らのマネジャーを買って出たのが“独立騒動を画策してメリー喜多川副社長の逆鱗に触れた”と報じられ、退社に追い込まれた女性のIマネジャーだった。デビューしたばかりの木村拓哉を地方のホテルで取材した雑誌編集者は言う。

「ひとりで取材場所まで来ましたよ。終始キラキラした笑顔で受け答えしてくれましたね。終えて帰ろうとしたら、彼はわざわざホテルの出口まで僕らを見送ってくれて“また取材よろしくお願いします”って、満面の笑みで言って、深々と頭を下げたんです」

 今の木村とは、まったく違う印象。人気絶頂になったころの木村は“インタビュアー泣かせ”として有名だった。

「ブレイクした後の木村クンは威圧感があって、複数のマスコミによる囲み取材なのに怖くて誰も声をかけられない雰囲気でした。たくさんの取材を受けていても記事はチェックしているみたいで“こないだの記事さ、ウソ書いてんじゃねーよッ!”って記者に詰め寄ることもありました」(テレビ誌ライター)

 それも木村流のプロ意識の表れなのだろう。

「木村クンは“アイドル扱い”をされるのを非常に嫌がっていました。インタビューも宣伝的なことを聞くと無愛想に。でもカルチャーとかファッションの話には食いついてきた」(前出・ライター)

 女性誌で『好きな男No.1』を連覇中の数年間は、本人の前で「キムタク」という単語を使うと、機嫌を損ねた。世の中はキムタクブームに沸いていたが、彼の周辺では「キムタク」がNGワードだった。