昭和歌謡界を牽引し、65年の歌手生活を駆け抜けた橋幸夫さん

「俺を無償の愛で愛して」

 2025年9月4日、肺炎のため亡くなった橋幸夫さん。生前、妻の真由美さんに繰り返しこう口にしていたという。最愛の夫との別れから、まもなく1年。真由美さんは今も、その死を完全には受け止めきれずにいる。

「この半年、亡くなったときのことはあまり考えないようにしていました。まだ生きている気がするんです。歌っているときの映像を見るたびに、悲しくなり“残念だったな”と感じてしまいます」

 橋さんは1960年のデビュー曲『潮来笠』が大ヒット。『いつでも夢を』『霧氷』で日本レコード大賞を受賞し、昭和歌謡界のレジェンドとして活躍した。

 そんな華々しい歌手人生を歩んできた橋さんだが、晩年は病との闘いを余儀なくされた。2022年、軽度のアルツハイマー型認知症と判明すると、2025年5月には病状が悪化。中等度の認知症だと診断された。

「認知症にはなりたくない」

「彼には“しっかり立ちなさい”“シャキッとしなさい”と強い言葉をかけてしまったことがありました。最後を看取るにあたって、認知症の勉強をしていた私でありながら、はたしてこれで良かったのだろうか、彼に接した態度はどうだったのだろうかと反省を重ねています」

 橋さんは1984年からおよそ5年間にわたり、認知症を患った母・サクさんを在宅で介護した経験がある。

「重い症状にも向き合い、壮絶な介護を経験したこともあり、“認知症にはなりたくない”と言っていた本人が、認知症になってしまったんです」

2026年8月中旬、橋幸夫さんの妻・真由美さんは一周忌を前に現在の胸中を語ってくれた

 今年の7月に新盆を迎え、東京の傳通院で新盆供養が営まれた。

「『橋幸夫新盆供養盆踊り』が開催されました。彼は本当にお祭りが大好きだった。橋幸夫の歌がこうやって引き継がれていくことがとてもうれしいんです」

 橋さんの命日、9月4日の前日の3日には、法要を行う予定だ。

「実はまだ、お骨は自宅に置いてあります。一周忌を機にお墓に納めるつもりですが、この1年はずっとそばにいてほしくて、手元に置いていたんです」

「もしも死んだら、必ずここに」

 現在、真由美さんは東京に住んでいるものの、2人で住んでいた自宅は熱海にあるという。

「熱海の自宅はリフォームをしているので、あと2年ほどたったら、向こうに戻ろうと思っています。

 本人がそこにいないという現実が、景色を見るたびに思い出されてつらかった。でも彼が“もしも死んだら、必ずここに連れて帰ってほしい”と言っていたんです」

 8月5日に行われた「熱海海上花火大会」に合わせ、真由美さんは橋さんの遺骨とともに熱海へ帰った。

「この日はお骨を持って帰ることができました。納骨して落ち着いたら、熱海で彼を休ませてあげようと思っています」

 最愛の夫を失った寂しさは、今も消えることはない。そんな真由美さんが前を向く支えとなっているのが、橋さんが遺した“二代目”の存在だ。

入院する前の元気な様子の橋幸夫さんと、妻の真由美さん

9月4日に『一周忌特別公演』を行う

「今では彼の歌を歌い継ぐユニット『二代目橋幸夫yH2』の活動のサポートをしています。私が元気で笑顔でいないと天国の彼も悲しむと思うんです」

 9月4日には、東京・町田市で『一周忌特別公演』が行われる。橋さんは2021年10月、一時歌手引退を宣言。2023年5月に浅草公会堂でのラストコンサートを行ったが、

「今回の一周忌特別公演では、そのコンサート映像を特別上映。彼とゆかりのあるゲストと思い出を語り合います。このステージには私も上がらせていただきます。闘病中は、自分の映像や音楽が流れると無意識のうちに身体が少し動いたりもしていました。そういったエピソードもファンの方に伝えたいんです」

 熊本地震への義援金の取り組みも行われるという。

「私たちにとって熊本は思い出がたくさんある場所です。引退コンサートや復活コンサートで熊本を訪れ、多くのファンの方に温かい言葉をいただきました。今回のコンサートで集めた義援金を彼に代わって熊本に届ける予定です」

 橋さんから受け取った“無償の愛”は、今も真由美さんの心にしっかりと刻まれている。