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 今でこそ日本の芸能界を代表するアイドル・SMAP。そもそも彼らはどんな人物だったのか。そこで、デビュー前後から彼らを直接見てきた関係者たちに取材した。

 CDデビューからの25年間は順風満帆だったわけではない。グループの消滅危機、それぞれのタレント生命を失うような大きなスキャンダルにも幾度か見舞われている。

 最初の危機は1996年、森且行のオートレーサー転身による脱退だ。『スマスマ』収録の合間に緊急会見を開いた森は、自分の口からオートレーサー転身とSMAP卒業を発表した。

「森クンの会見を記事にするために、いつもどおりのホメる文章で“手脚が長くてダンスが上手な、ステージ映えする彼の姿がもう見られないと思うと残念”みたいに書いたら、事務所のチェックが入って書き直しになりました。去っていく者をホメる必要はないと(苦笑い)」(テレビ誌ライター)

 しかし、5人になっても人気は衰えるどころか、ますます加速していくばかり。次第にSMAPの番組を担当するテレビ局関係者、スポーツ新聞やアイドル雑誌のSMAP番記者たちの間では“Iさん詣で”という言葉が隠語として使われるようになる。

 SMAPと仕事がしたかったら、Iマネジャーに気に入られなくてはいけないといった暗黙のルールが醸成していく。

ジャニーズ事務所の人というよりも“SMAPの人”

「IさんはSMAPが売れてからは、その人気をいかに持続するかを意識していました。SMAPのイメージが悪くなるようなことは絶対に許さないというスタンスですね。それが人気タレントランキングにも影響して、Iさんの指示で“操作”しないと“お叱り”を受けました。

 同じジャニーズタレントでもSMAPのメンバーより上だったりすると怒るんです。IさんはSMAPのことしか頭にありませんでした。Iさんはジャニーズ事務所の人というよりも“SMAPの人”といったほうがシックリきます。とにかくSMAPに対する愛情はすさまじかったですよ」(アイドル誌ライター)

 それはもちろん、メンバーにも伝わっていた。

「彼らも、自分たちがジャニーズ事務所だからという意識よりも、Iさんというマネジャーがいてくれる安心感と信頼があったと思います」(前出・アイドル誌ライター)

 20年以上前、Iマネジャーは、その胸中を近しい人にこう明かしていた。

「彼らが30歳近くなって、自分の生きる道というか、芸能界でこういうのをやっていきたいと初めて悟ったとき、それをやっていくと同時に、グループでも集まって、永遠にSMAPでいてほしいなというのが、ファンの気持ちであり、私の気持ちです」