昭和天皇

 2019(平成31)年に公開された映画『この道』は、神奈川県箱根町の老舗「箱根富士屋ホテル」で日本映画としては初のロケ撮影が行われた。監督は佐々部清。大森南朋とEXILE・AKIRAとのダブル主演だった。

 破天荒な心から生まれる、純粋で平和と安息を願う詩で人々の心を掴んだ北原白秋と、その白秋のリズムを持った詩に深く感銘を受け、数々の名曲を作曲した山田耕筰の人生を描いた作品。故郷の息遣いをテーマにした本作は2018(平成30)年2月末にクランクアップを迎え、同3月にクランクアップ報告会見が実施された。

AKIRAは「由緒あるホテルで作品に携われたのは名誉」と述べた

 白秋が作詞した、あまりにも有名な童謡『この道』。富士屋ホテルを白秋が生前利用していたことから、白秋役に大森を据え、童謡誕生から100年となる2018年に公開が決定。クランクアップの撮影場所は、白秋と耕筰がともにこよなく愛し、1878(明治11年)に創業した富士屋ホテルとなった。

宮ノ下御用邸の建物が残る富士屋ホテル=神奈川県箱根町(撮影/筆者)

 箱根の富士屋ホテルはこれまでにも多くの洋画に登場してきたが、約140年の長い歴史の中、邦画では本作の撮影が史上初。本作のクランクアップ会見も北原白秋とゆかりのある富士屋ホテルで行われることとなったため、キャストも監督も感銘を受けた様子で撮影を振り返っていた。

 AKIRAは「由緒あるホテルで作品に携われたのは名誉なこと」と述べ、この映画の撮影に感激したことを回想しており、皇室の「旧御用邸」の重みを、身をもって感じている様子をみせていた。

 富士屋ホテルは「喜劇王」とも呼ばれたイギリス出身の俳優で映画監督のチャーリー・チャップリンが宿泊したことでも知られるが、ここには「菊華荘」と呼ばれる和風別館が併設されている。

富美宮允子内親王の避暑のための御用邸だった

 1967(昭和42)年公開の『007は二度死ぬ』では、イギリスの諜報部員(スパイ)であるジェームス・ボンドの初代をショーン・コネリー(2020年没)が演じた。現在でも人気が続く映画『007』シリーズの第5作である。

 この作品は日本で撮影され、丹波哲郎(2006年没)のほか、初の日本人ボンドガールとして若林映子と浜美枝が登場し、第50代横綱佐田の山(2017年没)も本人役で登場した。『007』シリーズが世界中で大ヒットしていた当時、それまでのスパイ映画といえば暗く、戦争の影でひっそりと悲惨な自己犠牲の上に国家のため滅私奉公するイメージだった。だが、そのイメージを破ったのがジェームス・ボンドだった。

丹波哲郎

 プレイボーイで女性にモテ、どんな危機にもユーモアを忘れず、ギャンブルは負けしらず、秘密兵器を駆使する。そんな新しいスパイ像で人気を博した。日本側は日本情報部部長の丹波、女性エージェントの若林、浜。東京都台東区蔵前にあった旧「蔵前国技館」の支度部屋でボンドが佐田の山から升席のチケットを受け取ると、隣に若林の姿があり、スポーツカーの「トヨタ2000GT」のオープンカーで連れていかれたのが、箱根の富士屋ホテルだったのだ。

 菊華荘は、1895(明治28)年に明治天皇の8女(第8皇女)の富美宮允子(のぶこ)内親王の避暑のための御用邸として造営され、1934(昭和9)年に高松宮別邸となった。戦後の払い下げにより、1946(昭和21年)に富士屋ホテルへ下賜された。

 日本料理のレストランと、1日3室限定の宿泊施設として使用されている菊華荘は、かつては宮ノ下御用邸と呼ばれた。旧御用邸には、随所に菊の紋が残されており、皇室施設としての歴史をいまに伝えている。

 允子内親王は、1891(明治24)年に誕生。旧「宮ノ下御用邸」は4年後に建造され、終戦直後に払い下げられた。

 数寄屋風書院造りの純日本建築の落ち着いた佇まいと、美しい日本庭園を特徴とする、国の登録有形文化財だ。宮ノ下温泉は箱根町にある温泉地で、箱根七湯の一つだ。箱根山の外輪山である浅間山の北麓、早川の谷の崖上にある。

 泉質は弱食塩泉、単純泉。泉温は24・0~96・0度で、胃腸病や婦人病に効能があるとされる。允子内親王は1911(明治44)年、旧皇族の朝香宮鳩彦(あさかのみややすひこ)王と結婚。1923(大正12)年に鳩彦王が留学先のパリでの交通事故で重傷を負うと、急遽パリに向かい、夫の静養に同行して2年間パリに滞在した。

 このため、当時ヨーロッパで流行していた装飾美術「アール・デコ」への造詣を深め、帰国後にアール・デコ様式の宮邸を新築するのに注力したことで知られる。この宮邸が現在の東京都庭園美術館(港区白金台)の本館となっている。

昭和天皇が宮ノ下御用邸滞在中に書かれた手紙

 宮ノ下御用邸は、昭和天皇も皇太子時代によく利用していたことが、『昭和天皇実録』の記述から分かる。「実録」とは天皇・皇族の事跡を時系列にまとめた記録集だ。『昭和天皇実録』は宮内庁が1990(平成2)年に編集・編纂を開始。2度の計画延長を経て、24年余りをかけて2014(平成26)年に完成した。

記録集『昭和天皇実録』=宮内庁編(東京書籍)

 過去の「実録」の中には「実録」ではなく『明治天皇紀』のように「紀」と命名された実録もあるが、本質的には変わりがない。完成した『昭和天皇実録』は、宮内庁が1万2000ページ余りを上皇・上皇后両陛下(当時はを天皇・皇后両陛下)に奉呈(献上)した。分量は天皇の実録として最長だった『明治天皇紀』の1・5倍に当たるという。

 昭和天皇は戦前、ゴルフが大変好きだったことで知られるが、『昭和天皇実録』には1917(大正6)年7月18日、15歳の昭和天皇が「宮ノ下御用邸にお入りになる。御到着後、神奈川県知事有吉忠一以下に謁(えつ)を賜(たま)う。箱根御滞在中、午前は朝間体操並びに自習、武課体操を、午後は近辺への御運動、水泳等、御夕餐(ごゆうさん)後には器械体操、ゴルフ練習を御日課とされ、習字や日本画の稽古にも取り組まれる」との記載がある。

 昭和天皇が14歳くらいの頃、弟の秩父宮と高松宮に宛てて書いた手紙が見つかっているが、これは昭和天皇が宮ノ下御用邸滞在中に、奈良、京都を旅行中の2人に出したものとされる。「何の御障りも無く所々御見物のよし承りうれしゅうございます」「京都は暑さが烈しいようでございますからとくに御身体を御大切に」などと記され、温かな兄弟愛を伝える。

 皇室の歴史が刻まれた貴重な建築物を維持管理している富士屋ホテルの広報部門では「菊華荘は皇室にゆかりがあるということもあり、和食どころとして人気が高く、ここ最近は、団体客なども受け入れ好評をいただいている」との見解を示している。

1893年に「外国人客専用のホテル」として登場

「国内初の本格リゾート」とも称される「富士屋ホテル」は、五輪を見据えてリニューアルを行い、2017(平成29)年春から2年間、休業した。かつてこの地で500年もの歴史を誇っていた温泉旅館「藤屋」の名前をもとに「富士屋ホテル」と名付けられたこの老舗ホテルは1893(明治26)年に「外国人客専用のホテル」として登場。終戦後、進駐軍により接収され、社交場として毎晩のように舞踏会も行われたとされる。

1980年7月3日、神奈川県の箱根を訪問された昭和天皇と香淳皇后

 1954(昭和29)年に一般営業を再開。チャップリンのみならず、米国の社会福祉活動家として知られるヘレン・ケラーら著名人が数多く宿泊したことでも知られる。

 富士屋ホテルは耐震補強工事のために2017年4月から2019年春まで休業した際、20(令和2)年の東京五輪・パラリンピック開催による訪日外国人宿泊客の増加を見据え、1878(明治11)年7月の創業以来初の大改装に踏み切った。箱根町ではホテルの改装が相次いでいたことから、富士屋ホテルも改装を通じて、競争力強化につなげる方針だった。だが、新型コロナウイルス感染症の大流行のため、実際の開催は2021年にずれ込む結果となった。

 箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)では、最も難関といわれる「山登り」の5区の坂を攻略すると「山の神」の称号が与えられる。箱根登山鉄道強羅駅近くのホテルに宿泊するため乗用車を運転して、箱根駅伝のコースとなる国道1号を通過する度に、シートで覆われた箱根富士屋ホテルがどう見事に改修され、どんなにぎわいをみせるのか、筆者自身も胸を高鳴らせたものだった。それだけにコロナ禍は残念なことだったが、現在では菊華荘を含めすっかり元の賑わいを取り戻している。

大島真生 1968年生まれ。産経新聞社で宮内庁、司法、調査報道班の各キャップ等を経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に『愛子さまと悠仁さま』(新潮社)など