1300年続く楽家に生まれ、篳篥や舞を皇族方や海外の要人の前で披露してきた東儀さん。現在は雅楽をベースに、あらゆる音楽を取り入れて新たな自身の芸術を作り出している。もともとロックミュージシャンになりたかったという過去から、愛息とのエピソードまで広く語っていただきました。
雅楽とは関係ない音楽をたしなんで
無機質な取材ルームに、「天から差し込む光」とされる音の重なりが響く。身体に染み入り浄化されるようで、このまま身を委ねたくなるーー。
「せっかくだから」と、持参した笙を演奏してくれたのは、デビュー30周年を迎える雅楽師の東儀秀樹さん。雅楽とは、日本最古の古典音楽で、1300年以上の歴史を持ち、皇居の宮廷行事などで奏される。
聖徳太子の時代から1300年続く楽家に生まれ、篳篥や笙を天皇陛下や皇族方の前で奏していたーー。そう聞くだけで、こちらの襟を正さずにはいられない人物のはず、と誰もが思うだろう。しかし、彼はその先入観を、見事に裏切ってくれた。
「試行錯誤して作っていたギターが今朝やっと完成してね、ウキウキしてここに来たんですよ。みんな、僕は本番の前は楽屋にこもって瞑想して、堅苦しいことしか言わないって思ってるみたいだけど……。あっ、今うなずいたね!(笑) 実際は本番直前まで歩き回って、冗談を言って笑っているのが僕なんです」
66歳とは思えない、少年のような笑顔だ。
「東儀は母方の家で、父は商社マンだったから、1歳から12歳までをタイやメキシコで過ごしました。雅楽とは関係なくあらゆる音楽を聴き、家にあった楽器で遊んでいました」(東儀さん、以下同)
ピアノにハーモニカ、ギター、ウクレレ……。幼稚園でビートルズに憧れ、高校ではバンドを組んでいた。
「進路を決めるときにロックミュージシャンになりたいと母に伝えると、『そんなに音楽がやりたいなら、雅楽をやってみたら』と言われ、試験を受け宮内庁へ入庁したんです」
音楽に対する自信
今でこそ、人員確保のため一般家庭にも門戸が開かれているが、かつては楽家に生まれた男子のみ、中学卒業と同時に入るのが普通だったという。18歳という年齢も異例なら、それまで雅楽に関わってこなかったことも異例だった。
ロックンロール魂、しかも外国帰りの少年が宮内庁に入り、反骨精神は芽生えなかったのかと訝ってしまうが、これが功を奏したと、さらりとかわす。
「海外の自由な空気を吸い、音楽を好きなように楽しんでいたからこそ、雅楽もロックやポップスと変わらず受け入れ、吸収できた。雅楽を学ぶ中で生まれた問いに対して考えることなんかも、このような環境があったからだと思います」
雅楽とロック。方向性は真逆と思えるが、
「僕はジャンルにこだわりはない。だから、篳篥とギターでセッションしようぜ、となっても、抵抗はなかった。宮内庁の楽部では、一人に一部屋が与えられ、みんなそこで楽理の研究や楽器の練習をするんです。でも僕は一人になるとギターを弾いたりもしていましたね。それも音楽の研鑽でもありますから」
10年間宮内庁に勤め、辞表を提出した。宮内庁楽部といえば、安定した国家公務員、雅楽では最高峰の地位と名誉が与えられる場所だ。そこを辞めるからにはよほど確固たる将来の道筋があるのだろうと周囲は思うだろうが、
「先のことなんか何も決まってなくて、レールどころか枕木の一本さえない状態。でもね、音楽に対する自信だけはあった。ピアノやギターは弾けるし作曲もできるけど、正式に習ったこともないし、楽譜もそんなに読めない。
でも、個人的にやっていたライブでは、お客さんが楽しんでくれているのを目の当たりにしていたから、フリーになってもやっていけると確信していました。
閉じられた伝統芸能の世界から、たまには僕のように野に出て、雅楽を世に問う人がいてもいいと思ったんですね。雅楽が持つ宇宙観や精神性、日本人の心を伝えつつ、自分のやりたい音楽を続けるには、それがベストでした」
東儀さんの手がけた雅楽と現代音楽のコラボレーションは旋風を巻き起こした。伝統を継承し、そこに独自の感性で命を吹き込む「守破離」の姿は一躍脚光を浴び、ほどなくその独自の音楽観には「TOGISM」と名がつくこととなる。
以降、テレビ、CM、映画などでも活躍を続けてきた。品格あるたたずまいや所作で「天皇」役を演じた際には、実際に皇族方の前で演奏した経験もあってか、評判は上々だった。
「ドラマでは、演出家の要望に応えることの難しさと面白さを感じました。映画監督やプロデューサーなどに向いているかなと考えることもありますね」
息子にはどんなことも経験させる
興味の赴くままに好きなことを楽しむ姿勢は、「ちっち」の愛称で親しまれる19歳の長男・東儀典親さんにも影響を与えた。
彼を育てる中で、守り通してきたことがある。それはどんな大曲を手がけていようと、彼が「パパ、聞いて!」と来た際には必ず手を休め、真剣に耳を傾けることだ。
「ここで中断しても、また必ず俺の才能は降りてくる!って信じてますから(笑)。それよりも息子のその瞬間の目の輝きとか、聞いてほしい、という気持ちのほうが僕にとって大切なんです。
また、息子にはどんなことも経験させました。何かをしたいと言ったときに否定したことがない。そして理不尽な目に遭ったり嫌な思いをしたら、それを次に生かすにはどうしたらいいかを一緒に考えるんです。
その結果、外で何があっても親がちゃんと受け止めてくれると認識したせいで『今日、こんな嫌なことあったよ!』って、目をキラキラさせて学校から帰ってくるようになっていましたね」
そんな典親さんは父と同様、ロックから雅楽まで自在にこなし、秋から始まる30周年コンサートでも共演するという。『古事記』や『日本書紀』を愛読し、神社・仏閣の研究も怠らない典親さんから「父上、今度のツアーでは笙をこんなふうに使ってみるのも面白いですね」と提案されると、目を細める。
SNSでは親子でのセッションも披露しているが、雅楽の継承について尋ねると、
「『今から篳篥のお稽古を始めます』とか『雅楽とはこういうものだ』とか、改まって教えたことはないんですよ。雅楽の継承で何より大切なのは技術より、『精神性』。雅楽の存在価値や日本人の感性、雅楽の宇宙観などの哲学的なものを知ろうという精神を息子につなぐことができたら、雅楽は安泰だと信じています」
受け継がれていく意思
東儀家では古典についての会話をするのは日常茶飯時だ。
「僕がこうして、音楽にワクワクしながら面白がっている姿を自然と見ているから、息子も同じように楽しむようになった。でも、彼がスポーツ選手や陶芸家になったとしても、僕が死んだ後の十代先に、音楽に向いている子が生まれて、こういう精神性で演奏する雅楽師が出たら、それでいい。
だから継承を見届けなくてはとは思っていないんです。1000年以上続く雅楽の歴史の中で、僕はほんの点に過ぎないから、この一瞬でジタバタするものじゃないだろうと、どっしり構えています」
「音楽は生まれた瞬間に消えていくからこそ、そのときの全力を出し切って後悔しない演奏をする」という姿勢は、デビューから変わらない。8月に発売した30周年記念のアルバム『THE TOGISM』は、発表当時の曲をリメイクしたり、今の東儀さんの思いをモチーフにしたものなど、すべてのファンに楽しんでもらえる内容だという。
「ぜひ生の演奏を味わってほしい。先入観をすべて捨てて、まずは篳篥や笙の音に身を委ねてみてください。スタンディングに手拍子、なんでもOK! 必ず楽しい思いをさせますよ!」
淡々と、俯瞰で自身の立ち位置や音楽を語る一方で、洋の東西どころかジャンルも問わず、宮内庁すら軽々と飛び出し、好きなものを楽しみ尽くす東儀秀樹さん。その生き方こそが「TOGISM」の神髄なのだろう─。
取材・文/合田みれい
1959年生まれ、東京都出身。奈良時代から1300年間、雅楽を世襲してきた楽家・東儀家に生まれる。幼少期を海外で過ごし、ロック、クラシックなど、多彩な音楽を吸収する。高校卒業後、宮内庁楽部に入り、篳篥を主に担当、宮中儀式や皇居、海外での雅楽演奏に参加。宮内庁を退庁後、'96年デビューアルバム『東儀秀樹』で脚光を浴び、日本ゴールドディスク大賞など受賞歴多数。
