1982年夏公開、近藤真彦主演映画『ハイティーン・ブギ』(監督・舛田利雄/東宝)でヒロインの宮下桃子を演じたのが、当時13歳の武田久美子であることは、賢明なる読者諸兄姉は周知のことと思うが、武田久美子より先に桃子役が内定していたのが、実は新人の中森明菜だったことはあまり知られていない。
マッチの相手役だった中森明菜
前年『スター誕生!』(日本テレビ系)で合格し、プロの歌手となった中森明菜のもとに舞い込んだ初期のオファーが、マッチの相手役だった。しかし、レッスンやキャンペーンに充てるスケジュールを考慮し、当時の所属事務所は本人の耳に入れる前に断った。
後年それを知った明菜は地団駄を踏んだというが、妥当な判断だったと思う。コンセプトも定まらぬまま「マッチの相手役」としてキスシーンまでこなしたとあれば、アイドルとしての成功は覚束なかったはずで、ひょっとすると、明菜がのちに貝殻ビキニを付けていた可能性すらある。
もともと近藤真彦のファンだった中森明菜は、自身が芸能界に入ったことで交際に至った。2人の“熱愛”をスクープしたのは'84年1月14日付のスポーツニッポンで「急接近 マッチが明菜に指輪を贈っていた」と見出しにはあり、双方否定するも、報道を機に一気に燃え広がった。
2月下旬『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京系)のロケでペア時計をはめているところが目撃され、5月には明菜のマンションに置かれたバイクがマッチの乗る車種と一致。
6月24日に富士スピードウェイで行われたレースにマッチが出場すると、明菜が応援に現れた。4日後の『ザ・ベストテン』(TBS系)でその件を質されると「たまたま仕事が空いてて応援に行ったんです。ハラハラしました」と発言するなど、2人の仲は急速に既成事実化していく。
さらに'85年の正月映画『愛・旅立ち』(監督・舛田利雄)で2人の共演も決定した。双方の所属事務所は、むしろ恋仲を利用しようと考えたのだ。
これにキレたのが武闘派として知られるマッチのファンである。事件は'84年10月22日の生放送『ザ・トップテン』(日本テレビ系)で起きた。この日、明菜の歌う『十戒(1984)』が第5位にランクインすると、渋谷公会堂の客席から「帰れコール」が一斉に沸き起こった。司会の堺正章と榊原郁恵も不測の事態にオロオロするばかりで、中1だった筆者も恐々とテレビ画面を見つめるしかなかった。完全なる放送事故である。
堂々と歌い上げた中森明菜
しかし、ここからが圧巻だった。鳴りやまない帰れコールの中、単身殴り込みにいくように、明菜は堂々と歌い上げたのだ。
「発破かけたげる さあカタつけてよ やわな生き方を変えられないかぎり 限界なんだわ 坊やイライラするわ」
歌詞がここまでストレートに伝わることになろうとは、観客も視聴者も誰一人想像していなかったはずで「帰れコール」は明菜の凄味を認識させるための養分にしかならなかった。もっとも明菜本人も、この日の『ザ・トップテン』は印象深かったらしく、後年こう述べている。
《私1回だけ生放送で『帰れ、帰れ』っていわれたんだもん。生放送だから音が全部入ってんの。で、ほとんど泣きだしそうなのを、んーってガマンして歌って戻ってきたの。そしたらマッチが笑顔で出てきて『ヨッ!』っていうから、私怒っちゃってさ。そのころまだ若くて切れちゃって(笑)》(『JUNON』1991年7月号)
中学生だった筆者の眼には、この頃より2人の立場は逆転したように見えた。
「マッチと明菜」から「明菜とマッチ」の表記が増え始め、明菜の曲はいずれもチャート1位を連発。『ミ・アモーレ』と『DESIRE–情熱–』で女性歌手初となる2年連続日本レコード大賞を獲得するなど、アイドルの枠を超えて、日本を代表する歌姫へと変貌を遂げたのだ。
2年前「明菜は許せん」と憤慨していた筆者の同級生の女子が「明菜の新曲いいよね」と言うようになったのは一例で、2人の交際は世間的にどうでもいいことになりつつあった。
となると、関係を壊したくなるのが男の性である。
'86年8月31日、筑波サーキットで行われた「86レース・ド・ニッポン筑波」に近藤真彦が参戦。自己最高となる5位入賞をはたすと、終了後、マッチはスタンド上部のVIP席にⅤサインを送った。集まったファンや報道陣は「明菜がいるのかも」と色めき立ったが、そこにいたのは明菜ではなく、白のノースリーブのワンピースにサングラスの女性である。
正体は女優の藤真利子
正体は女優の藤真利子。'77年デビュー、'85年の映画『薄化粧』(監督・五社英雄)でブルーリボン助演女優賞を受賞し、私生活でも萩原健一との仲が噂されるなど「恋多き女」として注目の存在だった。マッチより8歳上である。
2日前に明治座で千秋楽を迎えた近藤真彦座長公演「森の石松」の打ち上げにも彼女は姿を見せており、その情報を掴んだ『女性自身』編集部は「筑波にも現れるかも」とヤマを張った結果が「近藤真彦 藤真利子 筑波サーキット愛のシーン」という独占スクープにつながった。
ここからマッチと藤真利子の関係が取り沙汰されるようになる。12月にリリースされたマッチのニューアルバム『DREAM』の2曲目『時計じかけのロマンス』の作詞を「微美杏里」名義で手掛けたのも彼女なら、翌年1月スタートのドラマ『マイフェアねーちゃん』(TBS系)で姉弟役でマッチと共演している。
「何でもない。姉貴みたいな存在」というマッチのコメントに嘘はなかったかもしれないが、巨大化しつつあった恋人・明菜への当てつけのように見えなくもなかった。
これ以降、明菜の表情から覇気が失せていったのは素人目にも判った。その様子を察した加藤登紀子が自身の楽曲『難破船』を提供した経緯は、以前この誌面で述べた通りだが、それすらも「新境地」「神の領域」と称賛されまくるのだから皮肉なものである。
そんな煩雑な精神状態が長く続くはずもなく、1989年7月11日、中森明菜は恋人である近藤真彦のマンションで自殺を図る。未遂に終わるも女王の座から一気に転落し、程なく2人の関係は破局。棘が刺さったように始まった2人の恋は、大惨事のような結末を迎えたのだ。
明菜はデビュー間もない'83年に上梓したエッセイ『本気だよ』(小学館)の中で、自身の恋愛観をこう綴っている。
《恋がしたいなあ。べつに命を賭けるような大恋愛じゃなくていいの。お互いに心から信じあえる人と陽だまりのような恋がしたい》
招来する事態を思うと、その後の顛末を予期しているようにも読める。つまるところ、人間は自身の内面以上の存在になれないのだ。
とすれば、このたび本格的に復活をはたした中森明菜が、いかに歌姫の座に返り咲けるか注目しないわけにいかない。筆者は明菜の敗者復活戦に心からのエールを送るばかりである。
<取材・文/細田昌志>
