中日監督就任が報じられた工藤公康氏

 元福岡ソフトバンクホークス監督・工藤公康氏の新監督就任が報じられている中日ドラゴンズ。そんな“工藤政権”を発足させるための組織改革か、球団は早速“人事”整理に取り掛かっているようだ。

 10月13日に明らかになったのは松中信彦打撃統括コーチ、平田良介外野守備走塁コーチ、落合英二投手コーディネーター、中村豊2軍外野守備総合コーチら、井上一樹監督を支えたコーチらの退団。一部報道では、コーチ人事は球団主導とのことだが、野球ファンの間では「工藤への忖度」と見る向きもある。というのもーー、

《松中は工藤と色々あったもんな》
《そりゃ工藤が来た時点で松中はサヨウナラだよね》
《監督が工藤だからねぇ・・・ たぶん、松中とはソリが合わないかと》

 Xでは、工藤氏と松中元コーチの“過去”を回顧する声。

 ソフトバンクの前身、福岡ダイエーホークス時代にはエースと4番候補として1997年から3年間プレーし、1999年には日本一を祝い合った両選手。翌年に読売ジャイアンツに移籍し、その後2球団でプレーして引退した工藤。2人が再び顔を合わせたのは2015年、工藤がソフトバンク監督に就任した時、松中は当時42歳を迎える大ベテランだった。

 2004年に平成唯一の三冠王に輝き、ダイエー・ソフトバンクの“顔”として地位を築くも、度重なる怪我や球団の戦力補強によって出場機会を減らし、2013年は9試合、2014年には33試合の出場でいずれもルーキーイヤー以来の本塁打なしに終わった松中。引退も囁かれる状況で、三顧の礼でチームに迎えられたのが工藤新監督だった。

退団セレモニーで“打倒ホークス宣言”

 2015年シーズンを開幕こそ2軍で迎えるも、ファームで結果を残しても1軍から声がかからない松中。それもそのはず、当時のソフトバンクは内川聖一を4番に据え、柳田悠岐、李大浩、長谷川勇也、松田宣浩らが主軸を務めるパ・リーグ屈指の強力打線。元三冠王が入り込める隙間はなく、9試合出場で3年連続の本塁打ゼロ。功労者だけに引退であれば“ポスト”が用意されると思われたが、本人が選択したのは現役続行だった。

 福岡ドームでは引退ではなく、退団セレモニーとして異例の挨拶に臨んだ松中は「もし(移籍して)違うチームで対戦することがあれば(ホークスを)倒しにいきます」と、ファンを前に打倒宣言。息巻いて退団するもNPB球団からのオファーはなく、2016年2月の宮崎キャンプで“事件”が起きたーー。

2026年10月、中日退団の挨拶と井上一樹監督への感謝を綴った松中信彦氏(公式インスタグラムより)

「県内をキャンプ地としていたホークスですが、2月半ばに行われた2軍練習試合で相手を務めたのが、松中がアマ時代に籍を置いた社会人チーム。当時、所属球団もなく古巣で練習をさせてもらっていた彼はチームに同行し、宮崎で松坂大輔ら2軍のチームメイトと再会。彼らの練習を、さながら“コーチ”のように見守ったのです。

 すると1軍選手らが練習していた近くの球場も訪問。ベンチ裏で工藤さんに挨拶をしたのですが、松中に向かって“何しに来たんだよ、練習?”と短い返し。このやり取りが活字となって報じられたことで、特にネット上で2人の“不仲”説に発展してしまった」

 当時を知るベテラン野球ライターが明かすように、確かに「何しに来たんだよ」との文字だけを見ると、古巣に“打倒宣言”をして退団した経緯があるだけに、読者にしてみれば“今さら、何しに来たんだ”との、工藤の心境を察することができる。ところが実際には、そんな殺伐した会話ではなかったようだ。

「頑張って」と声をかけた工藤氏

「工藤さんは当日の訪問どころか、松中が宮崎にいることも知らずに“何でいるの?”と本当にビックリして出た言葉だったそう。その後には“頑張って”と声をかけ、これに松中も深々と頭を下げています。決して2人は不仲ではありませんよ。

 それに中日退団も新監督との関係が原因ではありません。そもそも松中は現役時代から親交があった、井上監督からの要請を受けてコーチ就任した経緯があります。その井上監督が退任した以上は“自分も”となるのは当然のこと。少々、言葉足らずで誤解されがちですが、義理人情には厚い男ですから」(前出・野球ライター)

 球団の退団発表を受けて、松中は自身のインスタグラムを更新。井上監督に指導者としての機会を与えてもらったことに感謝を示し、

【ドラゴンズには、素晴らしい選手がたくさんいます。これから必ず強くなっていくチームだと思っていますし、今後の活躍を心から楽しみにしています。】

 チームを退団する際の“宣言”ではなく、工藤が預かるであろう新生ドラゴンズにエールを送った。いつかまた、2人が“チームメイト”になる日は来るのだろうか。