10月1日から放送のJTのCMに出演し話題の女性殺陣師(たてし)、香純恭(かすみ・きょう)さん

 10月からスタートしたJTの企業CMが話題だ。俳優の柳楽優弥演じる探検家が航海でたどり着いた小さな島で、鋭いまなざしで迷いなく刀を振るう女性に出会う──。「この女性は誰!?」 という声が相次いでいる。

 このCMは、『キャプテン・モットの冒険』というシリーズで、探検家がまだ見ぬ誰かの「心の豊かさ」を探しに行くというストーリーだが、今回で第3弾になるという。

 今回話題になった女性は、殺陣師の香純恭(かすみ・きょう)さん。アメリカを拠点に日本の殺陣を世界に広めるパイオニアだ。

 普段、時代劇の斬り合いのシーンでよく目にする殺陣。これをアメリカで普及させるという、ものすごいことに取り組む女性なのだ。このCMに一体どんな思いが込められているのか、そして香純恭さんとはどんな人物なのか、本人取材で迫った──。

CMは新しい世界に踏み出すワクワク感を表現

「このシリーズはJTグループのパーパスである『心の豊かさを、もっと。』を表現しています」と話すのは、CMを手がけた日本たばこ産業株式会社 パブリックリレーション部 戦略担当課長の香坂祐治さん。

「心の豊かさ」というキーワード自体は、JTの前身である日本専売公社時代には存在し、受け継がれてきた言葉だ。

「『心の豊かさ』とは物質的な満足感だけではなくて、一人ひとりが大切にしている価値観や生き方が尊重されて、ありのままの自分を認めながら、自分らしく生きられる『とき』や『状態』のこと。心の豊かさは人それぞれあって、決して正解はないと思っています。『心の豊かさを、もっと。』という言葉にはお客様一人ひとりの心の豊かさに寄り添い、その実現をしっかり応援していきたいというJTグループの思いが込められています」(香坂さん)

お話を伺った日本たばこ産業パブリックリレーション部戦略担当課長 香坂祐治さん

 山田孝之が鬼を演じた前作の企業広告シリーズ『鬼のゆく道』は、心の豊かさとは何かという普遍的な問いを描いていた。新作の『キャプテン・モットの冒険』では、その問いをさらに広い世界に届けていきたいという思いがあったという。そこで、柳楽演じる探検家が航海に出て、いろいろな人や価値観に出会っていくというストーリーが生まれたそう。

「特に今回のシリーズでは、主人公が冒険する姿を描きながら、『新しい世界には何があるんだろう』というワクワク感を表現したいと思いました。柳楽さんご自身もいろいろなことに興味を持ってチャレンジし、心から楽しまれている印象があったので、探検家役にぴったりだと。撮影ではこちらの意図をうまく汲み取って、未知の世界に踏み出す高揚感を自然に演じてくださいました。

 そんなキャプテン・モットが出会うさまざまな心の豊かさを持つ人物として、静的でプロセスを大切にする方と、動的で結果を追い求める方を対照的に描きたいと思いました。そういった観点から、第2弾ではアリの観察に静かに熱中する島田拓さん、第3弾では殺陣を世界に広めるために突き進む香純恭さんにご出演をお願いしました」(香坂さん)

アメリカでたった一人、殺陣師としての道を切り開く

 香純恭さんは1998年に『藝道殺陣「波濤(はとう)流」高瀬道場』に入門して殺陣とアクション技芸を磨き、俳優としても多くの映像作品や舞台に出演。その後、家族の都合で渡米し、2014年にアメリカで唯一の殺陣の道場である『藝道殺陣「波濤流」NY本部』を設立し、殺陣師として活躍している。

「香純さんは周囲から無謀だと言われながらも、アメリカでの挑戦をチャンスととらえ、長い年月をかけて殺陣師としての道を切り開かれてきました。信じた道へ踏み出し、進み続けるその姿自体が、新しい形の心の豊かさを表していると思います」(香坂さん)

 殺陣は歌舞伎の立ち回りを起源とする日本の伝統芸能であり、相手と呼吸を合わせて美しい動きを作り上げていくパフォーミングアーツ。CMでは香純さんの殺陣の技術と迫力をしっかり伝えるため、素早い刀の動きだけでなく、構えたときの立ち姿、視線や所作など相手を思いやる“間”も丁寧に撮影されている。夕暮れの光の中で際立つ、香純さんの圧倒的な演舞と存在感は必見だ。

JT企業CM『キャプテン・モットの冒険』の第3弾となる「サムライ篇」メイキング

 CMの凜とした表情が印象的な香純さんだが、休憩中は柳楽さんとの会話も盛り上がり、笑顔に包まれる瞬間が多かったという。撮影現場はどんな雰囲気だったのか、香純さんご本人にも話を聞いた。

「スタッフの皆様がプロとしてこの制作を心から大切に思い、楽しんでいることが伝わり、ご一緒させていただき光栄でした。柳楽さんは誠実でまっすぐな目でお芝居をされていて、一瞬で物語の世界に引き込んでくださいました。そして雄大な海と夕日を背に、崖の上で刀と同化できるなんて、なかなかできない貴重な体験でしたので、思い出深い撮影となりました」(香純さん)

ニューヨークに道場を開設するも苦労の連続だった

 子どものころから身体を動かすことが好きで、アクション女優を目指して20代で藝道殺陣「波濤流」高瀬道場に弟子入りした香純さんは、すぐに殺陣のとりこに。その魅力はひと言では表せないほどたくさんあるという。

「第一の魅力は、非日常を体験できること。帯を締めて刀を差すだけでスイッチが入り、シャキッと気が引き締まります。そして殺陣を学び進めていくと、先人たちの生き方に触れる瞬間があります。胸に迫ることもあれば、指針になることもあります。

 人生をかけて殺陣に打ち込もうと腹を据えたのは、アメリカに来てからでした。自分とは違う価値観の相手と手順を探り、ゼロコンマ何秒の世界をひたすら研磨していく時間は、確実に自分を次の次元に連れて行ってくれました」(香純さん)

 日本で厳しい修業をへて師範となり、殺陣師としての地位を確立したものの、家族の都合でアメリカに移り住むことに。殺陣を教わりたいという声を受けて2014年にニューヨークに道場を開設するが、最初は苦労の連続だった。

「アメリカでは『殺陣』という言葉は当然知られておらず、まずは殺陣そのものを知ってもらうことに苦労しました。アメリカには有名な『TATE's』というクッキー会社があるので、道場がクッキー会社と勘違いされたり、生徒から『俺のほうが強い』と怒鳴られたこともありました。それでも動作や所作には意味があること、相手があっての自分であること、日本の文化や歴史も含めて少しずつ丁寧に伝えていきました。

JT企業CM『キャプテン・モットの冒険』での殺陣師・香純恭さん

 そしてCMの台詞にもなりましたが、殺陣は相手を思いやるところから始まります。でも人種も宗教も、バックグラウンドもまったく違う者同士が組み合うのですから、なかなかうまくいきませんでした。それでも諦めずに殺陣を日本の伝統芸能として理解してもらい、敬意をもって切磋琢磨していくと、最終的に殺陣がお互いの心をつなぎ、豊かにする鎹(かすがい)になるのだと改めて気づいたのです。それで、より殺陣を世界に広めたいと思う気持ちが強くなりました」(香純さん)

 真摯な教えが評判を呼び、今では初心者からプロの俳優まで、多くの門下生を抱える。殺陣師としての道を切り開いていく中で大切にしているのは、仲間の絆だという。

「支えてくれた家族、仲間、生徒たちが私をここまで連れてきてくれました。切磋琢磨する者同士の輪が広がり、ともに稽古に励み、いつしか素晴らしい絆が生まれている。みんなのその純粋な気持ちが、私に一歩前進する勇気を与えてくれます」(香純さん)

自分を信じられる軸を持つことが、心の豊かさにつながる

 3人の子の母でもある香純さんは現在、殺陣だけでなく、技斗(ぎとう)やアクションシーン全体の指導・構成を行っている。

「子育てが落ち着き、スタントコーディネーターとしてアメリカを基盤にさまざまな国で舞台や映画などの制作に携わらせていただくことが少しずつ増えてきました。今後は海外制作の経験を活かし、枠にとらわれずチャレンジして殺陣の普及に努めていきたい。いずれ日本が誇る『TATE(殺陣)』が、『ORIGAMI』や『MANGA』のように海外でも一般名詞になったらいいなと思っています」(香純さん)

 最後に、香純さんが思う「心の豊かさ」とは何かを聞いた。

「自分を信じられる軸を持つことは、心の豊かさにつながると思っています。多方向から何を言われてもブレない『心の丹田』とでも言いましょうか。私の場合は、朝、外に出て太陽を浴びること、深呼吸すること、そして仕事前に少しでも自分のための稽古をすること。単純でも何か打ち込めることがあると、自分を信じられる材料になります。

 そして執着で自分を縛らないことも大切です。もちろん状況にもよりますが、『私は〜でなくちゃいけない、〜しなくちゃいけない』と執着しすぎると見える光も見えなくなって、自分を追い詰めてしまいます。『大丈夫、死にはしない』というくらいの『いい加減』が生き方に余裕をもたらし、視界が開け、他人も自分も大切にできる。そして自然に感謝が生まれ、心の豊かさにつながるのではないかと思います」(香純さん)

 CMを通して描かれる、人それぞれの心の豊かさ。その思いに触れることで、自分が大切にしている価値観について考えるきっかけになるはずだ。