NHK連続テレビ小説『ブラッサム』ヒロイン・葉野珠のモデル・宇野千代(世田谷文学館提供)

 幾度となく恋愛を重ね、四度の結婚と離婚を経験した作家・宇野千代。同じ女性として「節操がなさすぎる」と眉をひそめる読者もいるかもしれない。

作家・宇野千代の人生

NHK連続テレビ小説『ブラッサム』ヒロイン・葉野珠のモデル・宇野千代(世田谷文学館提供)

「世間的には、男性に惚れやすく恋多き女というイメージがあるのでしょう。でも彼女の人生をたどると、決してそうではないことがわかるはずです」

 こう話すのは、宇野千代旧蔵の多数の資料を管理する、世田谷文学館の学芸員・原辰吉さん。

 9月28日から放送が始まったNHKの朝ドラ『ブラッサム』は、すでに第4週。史実はドラマとほぼ同じで、千代は父の命により、いとこの藤村亮一のもとへ嫁入り。だが亮一には色街に懇意の女性がいた。千代はわずか10日(ドラマでは3日)で家を飛び出し、そのまま離縁。明治44年、千代が14歳のときのことだった。

 この2年後に、千代が《奇人乃至狂人》と評した放蕩者の父が病没。父親は生前、子どもたちを気まぐれなしつけで支配し、千代に本や新聞を読むことを厳しく禁じた。文学好きの千代は、父から解放されたあと、その情熱を一気に高ぶらせていく。

 では千代はこのあと、どんな男たちと恋に落ちていくのか。ドラマの予習も兼ね、その波乱に富んだ恋の軌跡を現在、世田谷文学館で開催中の「没後30年 宇野千代展」の展示を参考にしながらたどってみたい。

熱愛をとがめられ突然クビに

初めて自分でデザインした着物を着た千代(世田谷文学館提供)

 地元・山口の女学校を卒業した千代は、尋常小学校の代用教員となる。教員仲間らと回覧誌『海鳥』を発刊するなど平和な日々を送っていたが、同僚との熱愛を校長にとがめられ、突然クビに。地元に居づらくなり、知り合いを頼りひとり京城(現・ソウル)に渡る。

 京城からもこの相手に幾度となく恋文を送るものの、すっかり恋心が覚めた相手の男からは「二度と手紙をよこすな」との冷たい返事が。おまけに「別の女性と結婚した」との知らせを聞き、千代は即座に帰国。出刃包丁を携え、男の家に向かった。当時の千代は19歳。並外れた行動力と、激しい気性を持ち合わせていたことがうかがえるエピソードだ。

 この恋が終わったあとすぐ、一度目の結婚相手の弟である藤村忠と地元で偶然に再会。親公認で交際が始まり、忠の東京帝国大学入学に伴って上京、22歳で二度目の結婚をする。翌年、忠が北海道拓殖銀行に就職したのを機にふたりで札幌へ移住することに。

「この間も千代さんは創作活動にいそしみ、『時事新報』の懸賞小説に応募。24歳で、短編小説『脂粉の顔』が初めて一等に当選します」(原さん、以下同)。

 賞金200円(現在でおよそ90万円ほど)を手にした千代。このときの感動を、
《小説とは、何と言う金の儲かるものかと考えたとは、まったく、呆れかえることであった》と、のちに自伝的小説『生きて行く私』で振り返っている。

 これに手ごたえを感じ、次いで『墓を発く』を執筆。中央公論社(当時)に送るが返事がない。採否を案じて札幌から上京して確認したところ、すでに月刊誌に掲載されていたことがわかり、原稿料366円を受け取った。

「採否の確認は、わざわざ上京せずとも札幌の書店や手紙で十分だったはず。こういう部分にも千代さんのパワフルさが表れています」

恋のスイッチが入る千代

'39年に北原武夫と帝国ホテルで挙式したときのカット(世田谷文学館提供)

 その後東京で、自分と同じ新人作家である尾崎士郎を紹介された千代。このときまたも、恋のスイッチが入ってしまった……。

《男の眼が、一種言い難い微笑を浮かべたまま、「ぼ、ぼくが、そ、その、二等賞の尾崎士郎です」と言ったときの、その、おどけたような吃りの癖まで、思いもかけない感情の隠し穴に、わたしを誘い込んだのであった。》(『生きて行く私』より)

 その後、尾崎が止宿していた菊富士ホテルで同棲を始めてしまう。札幌に帰ってこない千代を案じて上京した忠のことも意に介さず、尾崎と荏原(現在の品川区)に家まで建ててしまう。

 上京から約2年、27歳のときに忠と協議離婚が成立、尾崎と正式に結婚した。

「個人的には、尾崎さんとの関係が千代さんにもっとも大きな影響を与えたのではないかと思っています。作家の才能が大きく開花するきっかけでもありました」

自らの恋愛遍歴がベストセラーに

 尾崎と結婚したあとも、梶井基次郎など文壇の寵児たちと浮名を流す。そして33歳のとき、当時、愛人と情死未遂事件を起こして話題となっていた画家・東郷青児のもとを取材で訪れ、その日のうちに関係を持ってしまう。

《夜が更けて、さぁ寝よう、と言うときになって、「こんな蒲団しかないが」と言って、押し入れから出してきた蒲団には、血痕がこびりついて、がりがりになっていた。》(『生きて行く私』より)

 33歳で、尾崎と協議離婚。東郷とは籍を入れずに世田谷区で同居生活を送っていたが、36歳のとき、またも運命的な出会いが訪れる。文壇で存在感を高めていた千代の取材に訪れた、10歳年下の新聞記者・北原武夫に一目惚れしてしまうのだ。

《私が最初の一面識から、この北原に対して異常な印象を受けたことは、信じ難いほどであった。それからあと私は、毎日のように北原の務めている都新聞社の受付に行き、「北原さんはいらっしゃるでしょうか」と言って、呼び出しに行ったものであった。》(『生きて行く私』より)

 その後、東郷は情死未遂事件の相手女性と復縁。ひとりになった千代は東郷との日々を『色ざんげ』(中央公論社)に綴る。同書は大ベストセラーとなった。

「私生活をネタにしていると思われがちですが、そうであれば、ネタが新鮮なうちに書くはず。千代さんは毎回、恋が終わったあとに振り返る形で、脚色を交えつつ書いているのです」

 その後は北原との仲を深め、協力して日本初のファッション雑誌『スタイル』を創刊。42歳で四度目の結婚をする。だが、プレイボーイだった北原には結婚当初からほかに女性がいた。25年間の結婚生活の間、千代は女性問題に悩まされ続け、最後は若い愛人に北原を託す形で別れる。それでも恨み言は一切言わず、愛人宅へ引っ越す北原の荷造りを手伝うほどだった。

「千代さんは、別れには執着しないと自著でも語っていらっしゃいます。そもそも、自分から男性に別れを告げるパターンはほとんどありませんでした」

 二度目の結婚相手である忠だけは、文学にかける思いもあり、千代が裏切った形となってしまった。しかしそれ以降、尾崎も、東郷も、北原も、男のほうから千代のもとを去っている。

「華麗な男性遍歴ばかり注目されがちですが、恋にも仕事にも、純粋な情熱を注いだのが千代さんという女性です。

 晩年は元気なおばあさんという印象でしたが、繊細な心情を描いた作品も多い。この機会に、多くの方に名作を読んでいただきたいです」

 千代は、恋に仕事に、何度もぶつかりながらも枯れずに立ち上がる自分の姿を、桜になぞらえていた。桜の花ことばは「純潔」。恋多き女の心の奥底に潜むひたむきな思いを、ドラマがどう描くか注目したい。