栃木県那須塩原市にある小さなジャズサロンを、ハスキーボイスが包み込む。雨と土で汚れたスニーカー、洗いざらしのデニムに無造作に片手を突っ込み、囁くように歌っている彼女こそ、昭和40年代の芸能界に彗星のごとく現れ、スターダムに駆け上がった伝説の歌手、佐良直美だ。
1曲歌い終わると、表情を一変させ、
「10円ちょうだい!」
ニコッと笑って手を差し出した。
面食らう取材陣に、その由来を話し始めた。今はなき東京・有楽町の日本劇場(通称:日劇)でのエピソードが元ネタだという。
当時のショービジネスの世界では、日劇に出演することがステータスだった。ここの楽屋口には、出演者が出入りするたびに、「10円ちょうだい!」と呼びかける名物のホームレス男性がいたが、彼は舞台で活躍する者にしか声をかけなかったため、いつしか彼にねだられたら一人前、というジンクスができたという─。
石井ふく子先生の隣で「緊張しました」
佐良は今、芸能界から身を引き、40年前ほど前に那須塩原に移住、動物愛護や犬のしつけ教室の事業に心血を注いできた。そんな彼女が2022年から始めたYouTubeチャンネル「佐良直美のいいじゃないの幸せならば」が、往年のファンのみならず、彼女を知らない世代からも「破天荒すぎる!」と話題になっている。
動物たちとの日常が中心だったというこのチャンネル。ドラマ『肝っ玉かあさん』『ありがとう』『渡る世間は鬼ばかり』(全てTBS系)などを生んだ100歳の現役プロデューサー・石井ふく子氏をはじめ、俳優の松島トモ子や沢田雅美、元NHKアナウンサーの山川静夫氏、佐良を「憧れのスター」と公言してやまないミッツ・マングローブ率いる女装家集団など、日本のテレビ史を彩るビッグネームがゲストに来ることも名物の一つだ。
ワイワイガヤガヤと、昭和の芸能界のエピソードを笑いや感動とともに話し合う。最近は佐良による歌唱指導のコーナーも人気だ。そこには「時代遅れ」という言葉が微塵も感じられない。ただ心地よい娯楽があるだけだ。その不思議な魅力の原動力とは何なのだろうか。
「私のYouTubeが面白い? 物好きな人もいるんですねぇ(笑)。動物愛護活動を知ってもらうために始めたんだけどね」
こう飄々と答える。だが、今年9月の石井氏の百寿のお祝いパーティーでは、主役である氏の隣の席だったため、大変緊張したという。
「だって、大先生のお隣ですよ。私なんてまだまだだと思っていたのに、こんな席になるのか、と。もう一方の隣はドラマ『ありがとう』で共演した石坂浩二さん。おふたりともお元気でしたよ」
紅白歌合戦の司会を5回務めたことも
大手財閥の家系である、裕福な家庭の一人娘として東京に生まれた。
「両親が幼いころに離婚したこともあって、母方の祖母に厳しく育てられました」
母や叔母の影響もあり、洋楽や駐留米軍向けのラジオ放送が常に流れている環境で、ジャズにロック、カントリー&ウエスタンなどを聴いて育った。16歳で当時のジャズボーカリストの重鎮、故・水島早苗さんの門下生となり、大学の卒業論文は「ジャズの歴史」とくれば、歌手志望だったのかと思いきや、夢はテレビ局への就職だった。
「音楽番組のプロデューサーになりたかったんです。制作をするうえで、歌う側の経験もするべきと思ってNHKの新人オーディションを受けたのがデビューのきっかけでした。それと、私が卒業した年、第1志望だったフジテレビでは女性のプロデューサーの採用がなかったこともあってね」
歌唱力と度胸を買われ、程なく歌手としてデビューが決まった。厳しい祖母も、孫の決心を支えてくれた。
「芸能界に入ると告げたときは『親の死に目に会えると思いなさんな』と言われました。でも、『おまえを出世させるために、私はおじいさんに仕えたのと同じようにおまえの世話をする』と言って、深夜の2時、3時に帰っても、ちゃんと着物を着て待ってくれていましたね。明治生まれの女はすごかったですね」
1967年(昭和42年)にデビュー。ボーイッシュなショートヘア、圧倒的な透明感をたたえた丸顔につぶらな瞳、パンツスーツを華やかに着こなして歌う彼女の姿は、それまでのアイドル像を覆した。華のあるたたずまいに、理知的かつ天真爛漫。豊かな低音と聴く者の心に訴えかける歌声は、天賦の才と、少女時代から受けたジャズのレッスンの賜物だった。
「昔はファンの元気がよすぎるというか、楽屋に平気で押しかけてきたり、移動中にキャーッと寄ってきて着ているものや貴金属を剥ぎ取っちゃう、なんてこともあったから、トランクに隠れて移動したこともあったわね。デビューから半年は1日2〜3時間くらいしか眠れなくて、よく生きてこられたと思いますよ」
デビュー曲『世界は二人のために』は120万枚のセールスを記録、その年のレコード大賞新人賞を受賞。同年から13年連続出場した『NHK紅白歌合戦』では後に司会を5回務めるが、これは紅組史上最多だという。
「紅白の司会でいちばんつらかったのは、かかと! 5時間立ちっぱなしでしょう? かかとが痛くなるんです」
事前に担当する紅組の歌手とその歌唱曲について丹念に調べ、自ら考えた曲紹介の口上を手帳に書き込んで挑んだ。かつ、生放送は何が起きるかわからないから、長短の2パターンを作り、暗記した。
「紅白では、司会者も途中で衣装替えをするでしょう。常にてんてこ舞い。時間がもったいないからって、顔出しパネルを用意されたこともありましたね(笑)」
動物たちといるのは私にとって自然なこと
ところが、人気の絶頂にいた昭和50年代の半ば以降、テレビで佐良の姿を見かけなくなった。
現役を退いた理由は、いくつかある。思いもよらぬスキャンダルに見舞われもしたが、他界した恩師の水島さんに捧げたアルバムを発売して歌手として燃え尽きたこと、声帯ポリープの手術で歌を禁じられたことに加え、祖父が創業した企業で非常勤の取締役として働く必要に迫られたことなどが重なった。
その後も乳がんなどの病気も続き、都心の一等地から、所有していた那須塩原の別荘地に移住を決めた。
「なぜ、動物たちのために?と聞かれるんですけれど、生まれたときから家に犬や猫たちがいましたから、それが自然なことなんです。歌手時代も地方公演に行く先々で捨て犬を拾ってきては、母たちに怒られていましたね。そうしたら30匹以上にもなっちゃって。それもあってここに移住してきたんです」
もともと今の自宅周辺には、捨てられた犬が多くすみ着いていたという。
「わざわざ捨てに来たりね、別荘の人が都心では飼えないと捨てていったり。しかも、ここはたくさん犬がいるから、もらってくれるだろうと、私の家の前に捨てていく人も後を絶ちませんでした」
そんな状況を憂えて、海外からドッグ・トレーナーを招致し、犬のしつけ教室を始めた。現状を知るにつけ、飼い主にこそ、動物との暮らしについての教育をしなくてはいけないと感じた佐良は、犬と飼い主が共に学べる施設や、トレーナーの養成も始めた。
彼女のもとを巣立った卒業生たちは優秀なトレーナーとなり、各地で活躍中だ。ここには、ドッグ・トレーナーを目指す人たちが宿泊しながら学ぶコースもある。
「犬より、人間に教えるほうがずっと難しいわね。エゴがありますから、人間には。生徒たちには夢を持つこと、働くことの大切さも伝えています」
犬たちを渡すときは花嫁の父の気持ち
毎朝4時に起きて車を運転し、スタッフたちと山林に行っては野犬の保護活動を行う。エサや水を置き、1頭ずつ名前をつけて、呼びかけては様子を見る。避妊手術をしていない野犬たちはしばしば出産をするため、生まれた子犬を連れ帰ってワクチンや避妊手術をして、里親を見つける。大切に育てた犬や猫たちを引き渡すときは「花嫁の父の気持ち」だという。
「花嫁の母というのは、往々にして打算がありますからね(笑)。気分は『父』なんです」
一方、保護したときには手遅れで、命を落としてしまう野犬もいる。「今度生まれ変わったら、大切にしてくれる家庭の犬になるのよ」と声をかけ、心を尽くして弔うという。
野犬は飼い犬と違い、人間には近づかないため注意深く見守り、信頼関係を築きながら距離を縮める。毎日、同じことの繰り返しだ。歌や芸能界に未練はないかと尋ねた。
「まったくありません。この子たちの命を守りたいですから」
とはいえ、スタッフたちとともに、テレビは見る。一人の視聴者としての目線だ。
「紅白や歌番組はね……。今の人たちはグループが多くて、みんな同じ動きをする。一人の歌手が少ないのね。でも、目黒蓮くんって子は感じがいいわね。華があると思いますね」
81歳となった現在も、タバコと焼酎を欠かさない。サングラスをかけてハンドルを握るさまは、映画のワンシーンを見ているようだ。
「健康の秘訣は?」と聞くことさえ愚問と感じるほど、佐良は圧倒的に若く、カッコいい。自分の信じる道を突き進み、周囲に思いやりと愛を、行動で示す。那須の自然の中で動物たちと共に暮らすことが彼女をこんなにも輝かせているのだろうか。
佐良が歌う。時間も空間も超えて、心に染み入る少し掠れた声には、「佐良直美」という一人の人間の生きざまが映し出されている。
若いころは、それだけで誰もが美しい。かの世阿弥は、若さを通り越した先に咲く花こそ「まことの花」であると語ったという。佐良のこの姿こそ、「まことの花」だろう。こんな時代だからこそ、佐良直美の歌と言葉が必要なのではないかと問うてみる。
「さぁ、どうでしょう!? 好き勝手ばかりしてきた結果だからねぇ(笑)。しかも最近は『10円ちょうだい!』って言うとスタッフには『現在の貨幣価値には合わないから、10ドルくらいに変えたほうがいい』なんて言われる始末。時代は変わっていくからね(笑)」
確かに時代は移ろいゆくもの。だが、人間だけでなく、動物たちにも光を照らす「スター」として、佐良直美は生きている。
取材・文/三尋木志保 撮影/齋藤周造
