長年にわたり多くの皇族方が学びを重ねた場所、学習院大学。そんな学習院大学の敷地内ある霞会館記念学習院ミュージアムでは、11月21日まで、宮中晩餐会をテーマにした展覧会が開催されている。
「宮中晩餐会の歴史は明治2年にまでさかのぼります。当時、西洋化に邁進する明治政府が西洋化・近代化を認めてもらう場としても機能し、現代に続く様式は、明治22年の大日本帝国憲法の発布式にその原型を完成させたといいます。天皇、皇后両陛下の主催により外国元首・王族・国賓が招待され、国内では成人皇族や、閣僚、各界の要人などの招待を受けた人だけが参加できる国の最高待遇です。そんなヴェールに包まれた宮中晩餐会の展覧会は非常にまれで、本展覧会では、実際の招待状や洋食器、三笠宮家の彬子さまのローブデコルテ、彬子さまご自身が三笠宮家の蔵から発掘したという貴重な資料の数々が展示されています。彬子さまは今年4月からミュージアムの客員研究員に就任されています」(皇室担当記者)
戦後初の晩餐会のために様々なご準備をした
10月10日には、「宮中晩餐会のドレスコード」をテーマにした講演に登壇し、宮中晩餐会に参加された皇族ならではのお立場から展示品について“生解説”をされた。
「戦時中は宮中晩餐会そのものが制限され、衣服も“宮中服”という簡易的な和服のようなものを皇族方は日常的に着用されるようになっていました。豪華なお召し物を着用される機会はほとんどなかっただけに、戦後初めて執り行われた宮中晩餐会で、ドレスに身を包まれた女性皇族方の喜びが記されていたアルバムについて、彬子さまが言及されました」(前出・皇室担当記者)
彬子さまは次のように語られた。
「展示されている秩父宮家のアルバムには、(戦後初の宮中晩餐会の写真の横に)秩父宮妃殿下(勢津子さま)の手書きの文字で“戦後初めてお夜会服の着用”と記されています。やはり戦後初の晩餐会のために様々なご準備をして、本当に洋服をお召しになるのを楽しみにしていらっしゃったんだなということが伝わってまいりまして、とても温かい気持ちになりました。戦後初であるということで、どのような服装がふさわしいかということを当時の皇后陛下は妃殿下方でいろいろとご相談をしてお決めになられたということを伺っております。ティアラについても、香淳皇后がお持ちのティアラはあまりにも立派すぎるということで、細い線の中に細かいダイヤモンドがあしらわれた、丸い中に真珠がキラキラとゆれて光るデザインの三笠宮家の第2公式用のティアラをお召しになることになりました」(彬子さま、以下同)
記念すべき戦後初の宮中晩餐会。袖を通すときにどれほど胸が高鳴ったことだろう。さらに、彬子さまの祖母にあたる三笠宮妃の百合子さまと、かつて交わされたあるやり取りも明かされた。
皇后陛下がオランダとベルギーでお付けになったティアラと同じ
「三笠宮妃殿下(百合子さま)がご結婚された折に、お世襲のアクセサリー類を貞明皇后から賜っておりまして、その全てが写真にとられて記録に残っているものが以前に出てまいりました。私も拝見したことがあるものがございましたので、妃殿下(百合子さま)にお見せしましたら、“あら、私も初目よ”とおっしゃっていて、こういった記録をすべてとっていたということをご存知なかったようです。80年ぶりに気付かれるという私が発掘した甲斐がございました。そのティアラは今、高円宮妃殿下に引き継がれております」
一方、先述の秩父宮家のアルバムの資料を辿るなか、長年のイメージとの“あるすれ違い”に驚かれたという。
「戦後だからとあまり派手なものにするのは控えましょうという決断のなか、妃殿下方もやはり第1公式のティアラは立派すぎるので、細いブレスレットを2本つなげてティアラを作り、お召しになったそうです。私は“秩父宮妃殿下と高松宮妃殿下は小さめの細いティアラをお召しになった”という話を聞いておりましたので、“あ、そうなんだ。小さめの細いティアラだったんだ”とずっと思ってきたんですけれど、今回初めて写真で拝見しまして、(その大きさと豪華さに)“結構…小さめの…細い…ティアラ……?”と大変びっくりいたしました」
さらに、ある一大発見に興奮を隠しきれないご様子でこのように続けられる。
「そのティアラをよくよく見ておりましたら、皇后陛下(雅子さま)が今年オランダとベルギーのご訪問でお付けになったティアラと同じではないかなと思って、これを発見した時は、すごく興奮してしまいました。戦後に晩餐会が復活した時に秩父宮妃殿下がお召しだったティアラを今年お召しになられたんだなと、大変感慨深い思いがいたしました」
皇族と研究者の二足の草鞋を履き、皇室と国民との間に架け橋を掛けられる彬子さま。今後もその発見から目が離せない。
