今月3日、ワイドショーなどの司会で人気を博した、落語家の桂小金治さんがこの世を去った。

1111_小金治

「落語家だった小金治さんは’52 年に俳優に転身。その後、’66 年に『アフタヌーンショー』(テレビ朝日系)で初の司会を務めました。このとき、迷っていた彼の背中を押したのが石原裕次郎さんだった。番組では社会批判をして“怒りの小金治”と呼ばれましたが、’75 年に始まった『それは秘密です!!』(日テレ系)では一転、感動の再会シーンで涙したことから“泣きの小金治”とも呼ばれ、親しまれました」(スポーツ紙記者)

 生前はお茶目で面倒見のいい性格から、多くの有名人に愛された。『ルックルックこんにちは』(日本テレビ系)で共演したジャーナリストで目黒区議の須藤甚一郎氏は、

「裕次郎さんが映画『黒部の太陽』で借金を作り、それを返済するために歌謡ショーの全国ツアーをしたんだけど、その司会をしたのが小金治さんだった。その話芸のうまさを知っていたからこそ、裕次郎さんは彼にワイドショーの司会をするようすすめたのでしょう。五・七調で話すから、視聴者もスッと話が入ってくる。しかも、泣いていてもスラスラしゃべるから、“ウソ泣き”疑惑があったくらいです」

 そんな小金治さんを支えたのが、8歳下の良子夫人だった。最期も病室で夫婦水入らずだったという。

「小金治さんが大阪へ出張中に、奥様と運命的な出会いをし、結婚して60年近くになる。’67 年に目黒区内に建てた100坪の邸宅が贅沢すぎるとバッシングされたとき、夫人は“何も悪いことしているわけじゃないでしょ”と、夫を励ました。休止していた落語に’81 年に復帰するときも、後押しをしたのは彼女でしたよ」(ワイドショー関係者)

 その豪邸は2年前に売却。現在はマンションで妻とふたり暮らしだったという小金治さん。前の自宅周辺では、よく夫婦で散歩する姿が見られたという。