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22年前、「結婚の儀」を終え充実した表情を浮かべるご夫妻(’93 年6月)


長期療養が始まってから12年になる雅子さまにとり、大きなステップになった今回の国賓行事。そこに至る過程を長年、東宮家を取材するジャーナリストがレポートする


 皇太子同妃両殿下は、今年6月9日でご成婚22周年を迎えられた。

 この日の夜は天皇・皇后両陛下と秋篠宮同妃両殿下などをお招きになった恒例の「夕食会」が元赤坂の東宮御所内で開かれるという。例年、雅子妃は何日も前から両陛下のお好みや季節を考えられたメニューをお考えになるそうだ。

 プライベートで天皇ご一家がそろうのは、4か月ぶりのこと。話が尽きないほどの時間を過ごされることだろう。

 ご成婚記念日には、毎年、愛子内親王殿下から東宮職員と作った手作りのケーキやクッキーといったお菓子やお祝いのカードを受け取られる。今年は、どのようなお菓子にメッセージが寄せられるのだろうか。

 愛子さまが幼いころは花やミツバチ、動物などが描かれた絵手紙が送られたといわれたが、最近では、メッセージの文字数が多くなられたという。国語が好きで文を書くのが得意だといわれるだけに、両殿下の心にもメッセージは深く届かれることだろう。毎年、カードはお誕生日カードなども一緒に保管なさっているという化粧箱の中に大切にしまわれて、その楽しく過ごされた記念日は静かに幕を下ろされるそうだ。

 今年に入ってから雅子妃のご様子は、ほとんど報道されなくなったため「お元気なのだろうか」「どのようにお過ごしになっているのだろうか」という声を耳にすることも多い。

 実際には、お出ましが少なくなったわけではなく、お元気にお過ごしだそうだが、週刊誌が派手な見出しの記事を減らしたことや"秋篠宮佳子内親王殿下フィーバー"に移り気をしたことから、印象が薄くなったのかもしれない。

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友納さんの近著『ザ・プリンセス 雅子妃物語』(文藝春秋)

 実は、こうした静かな環境が保たれたことは、雅子妃がご療養に入られて12年目にして初めてのことだった。

「マスコミから批判が少なくなることは、雅子さまの治療に必要といわれる"静かな環境"が保たれることでもありました。これまで皇太子殿下や医師が何度も静かな環境を訴えてこられましたが、ここにきて、ようやくおさまってきたのです」(東宮関係者)

 批判記事そのものというより、記事の多くが宮内庁からの不満がもとにあって成り立っていたのではないかといわれたため、記事が少なくなってきたことは同時に宮内庁から東宮家への風当たりが弱まったのではないかと東宮側は見ていた。それこそが、

「雅子妃殿下の治療に最も重要なことだったのです」(同前)

 治療環境が功を奏したのか、雅子妃のご病状は着実に上向きなってこられた。東宮御所からお出ましになることはそう多くないが、東宮御所内で客を招く「接見」や「会釈」などは、昨年より倍以上増えていた。

 3月28日には、6年5か月ぶりに東宮御所でデンマークのフレデリック王太子夫妻を「夕食会」に招かれた。

 デンマークと日本は両陛下が築き上げられてきた深い交流があった。一昨年のオランダ即位式でも、皇太子ご夫妻は王太子夫妻にお会いになっていた。雅子妃は「夕食会」に最後までご出席するため、ぎりぎりまで体調を整えられていたという。

「夕食会」はお茶会よりも長い時間になることから、お身体への負担が懸念されたが、ご出席できることになった。だが王太子夫妻を正式に玄関までお出迎えすることまではできなかった。雅子妃は部屋でご挨拶をなさって、夕食を4時間近くともに過ごされたのだった。

 翌日も寝込まれるほどのお疲れが出ることはなかったという。

 こうした雅子妃の安定したご体調から、4月の春の「園遊会」には12年ぶりにお出ましになるのではないかと期待が寄せられた。雅子妃も意欲的に体調を整えられていたという。だが「園遊会」は残念ながらご欠席となった。

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春の連休には、ご一家で御料牧場(栃木県)へ(5月3日)


 それでも5月25日には、『ルーヴル美術展』に急きょお出ましになるなど、ご体調のよさを感じさせた。

 そして、もうひとつ。今年は雅子妃が超えなくてはならない目標があった。それは、6月3日のフィリピン・アキノ大統領の国賓行事「宮中晩餐会」へのご出席だった。

 昨年11月、雅子妃がオランダ国王夫妻歓迎の晩餐会にご出席されたのは実に11年ぶりのこと。今年もご出席できれば連続でこなされたことになる。

「宮中晩餐会は、雅子さまがご病気になったひとつの要因と言われていました。毎年ご出席できるようになることは、ご回復への大きな前進になると注目されていました」(東宮職)

 雅子妃のご体調は、ご自分でも予測がつかないお疲れが出るという。こうしたご病気の性質から、ご出席までの判断は、予断を許さなかった。小町恭士東宮大夫も定例会見で、

「ご体調がよろしければ(宮中晩餐会に)おでましになる」

と、ぎりぎりまで具体的な発言は避けていた。

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宮中晩餐も出席されたオランダ国王夫妻の来日では、歓迎行事もお出ましに(’14 年11月)


 雅子妃のご出席が決まり、宮内記者に発表されたのは予定日の2日前のことだった。当日は雨天だったことから「宮中晩餐会」の前に行われる午前中の「歓迎式典」は宮殿の「春秋の間」間で行われたが、雅子妃はご欠席されて夜にパワーを温存された。

 午後7時過ぎ。皇居に到着された雅子妃は薄いブルーに花柄模様のレースがあしらわれたドレス姿に少し緩やかなアップの髪型だった。出席者によれば、はじまりは昨年の晩餐会のご表情よりもいくぶんか穏やかに見えたという。

 だが、晩餐会の終盤ではご体調が思わしくなかったことから1度退席をされて、別室で休まれた。1時間後ぐらいには戻られて、皇太子とご一緒にフィリピンのアキノ大統領にお別れの挨拶をなさったという。

 このように雅子妃のご体調は、一進一退を繰り返されながら確かな快方に向かっていることがわかる。

「それは、例えば階段を1段1段と上って、踊り場で休むことでパワーを温存して、初めて次の階段を上ることができるようになるというイメージです」(精神科医)

 雅子妃はこれからも前を向いて階段を上り続けられることだろう。そうしたお姿は、同じ病気の人だけではなく、自分とさまざまなことで闘っている人たちにも勇気を与えてくれるのではないだろうか。

 この春から東宮ご一家の愛犬「由莉」が動物介在療法のアニマルセラピー犬として専門家から訓練を受け始めた。学習院女子中等科2年生になられた愛子さまは、学校から戻られると「頑張ったねー偉いねー」と言って何度も「由莉」の頭を撫でられるそうだ。東宮ご一家は、それぞれに前に進まれている。


友納尚子(とものう・なおこ) ●1961年生まれ。新聞記者、雑誌記者を経て2004年にフリージャーナリストになる。皇室問題について長期取材を続けており、その徹底した取材には定評がある。著書に『雅子妃 悲運と中傷の中で』(文春文庫)