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 朝ドラ『あさが来た』で波瑠が演じる主人公・白岡あさのモデルは、幕末から大正までの激動の時代を駆け抜けた女性実業家・広岡浅子。読めば朝ドラが倍楽しめる、彼女の波瀾万丈人生を紹介。

 明治21年、浅子たちは『加島銀行』を設立。浅子は一族の子弟から銀行の番頭小僧までを分け隔てなく教育。支店を見回っては行員たちに講話も行った。こうして、加島銀行は関西の有力銀行に成長。両替商時代の繁栄を取り戻した。

「浅子が成功できたのは、結婚後に独学で算盤算術を身につけたおかげ。その経験から、女性にも教養があれば社会で活躍できるという思いを抱くようになりました。そして、40代半ばとなった浅子に運命の出会いが訪れるんです」(NHK関係者)

 それは、日本初の女性のための大学をつくりたいという志を持つ教育者・成瀬仁蔵からの支援要請だった。

 彼の著書を読んだ浅子は涙を流すほど感銘を受け、教員や警察官の初任給が8~9円という当時に5000円という大金を寄付。実現に向け、自らも積極的に動いていく。

「人脈を駆使して、初代総理大臣・伊藤博文を足がかりに西園寺公望、渋沢栄一など政財界の大物たちにもバックアップを求めました。なかでも早稲田大学の創立者である大隈重信は力強い協力者となり、大学の創立委員長も務めることに。創立時の寄付金名簿には、そんな大物たちの名が記されています」(大学関係者)

 女子教育への強い偏見や金銭的な壁がある中、明治34年に『日本女子大学校(現・日本女子大学)』が開校した。

 彼女は、その後も在校生や卒業生を支援し続け、また、自身も成瀬の講義を受けたという。

 さらに、この時期、別の事業の相談も舞い込んできた。明治28年から創業している生命保険会社『真宗生命』から援助を求められ、保険事業にも乗り出すことに。

「保険こそ、人々の暮らしに安定や安心をもたらす力があると考えたようです。さっそく、正秋を社長として、社名も変更。この会社を軸に、明治35年、護国生命、北海生命の3社が合併して『大同生命』が誕生しました」(出版関係者)

 大同生命は創業110年を超える老舗として、今なお業界屈指の生命保険会社。それにしても、このバイタリティー。どこから生まれていたのかというと……。

「浅子の座右の銘は、七転び八起き以上の“九転び十起き”というものでした。それゆえに、波瀾万丈の人生を乗り越えては立ち上がることができたのでしょう」(テレビ誌ライター)

 しかし、彼女はその実業家人生に自ら終止符を打つ。明治37年、夫・信五郎が亡くなったことを機に、いっさいの事業から身を引くことに。それほどまでに、許嫁という運命的な絆を大切に思っていたわけだ。

 それから15年後の大正8年、浅子は69年の生涯を閉じた。遺族へのメッセージも気になる。

「彼女が残したのは“遺言はしない。ふだん言っていることがすべて遺言”という言葉だけでした」(前出・NHK関係者)