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 親が子どもを虐待する事件は後を絶たない。命を奪うこともある。どうすれば児童虐待を防げるのか。

 昨年5月下旬、齋藤理玖くんを餓死させた父親・齋藤幸裕被告の責任が問われた神奈川・厚木5歳児白骨遺体事件を例に、ルポライター杉山春さんに聞いた。

 大人がそばにいない育ち方をした子どもたちには、自尊感情が育ちにくい。齋藤被告の弁護人側の心理鑑定をした西澤哲さん(山梨県立大学教授)は、「被告には強い受動的対処法があった」と話している。

 問題が起きたとき、解決に向けて対応するのではなく、与えられた環境を受け入れて、その場でうずくまってしまう特性があるという。

「大阪2児置き去り死事件('10年)では、子どもの泣き声がマンションの中に響いて、その泣き声を聞いた住人が通告しています。ところが、亡くなった理玖くんの声が周囲に響き渡っていたという報道はありません。齋藤被告も、理玖くんの声は以前から小さかったと証言しています。 本来、生命力に満ちている子どもが、1日中放置されても周囲から気づかれることなく、ひっそりと生きている。つまり、父子の生活の当初から、理玖くんは危機的状況にあったような気がします」

 理玖くんは、父子生活が始まる直前の'04年10月、3歳のときに、早朝4時半ごろ、自宅近くで迷子として、警察を介して児童相談所に保護されている。当時の記録によれば、Tシャツにオムツ姿で、耳の穴や耳の後ろが汚れており、はっきりとした言葉を発することができなかった。

「このとき、児童相談所が児童虐待ではなく迷子として対応し、母親と一緒に返してしまったことが何よりも悔やまれます。裁判で当時の担当職員が“今であれば、虐待と判断する”という内容の証言をしていましたが、当時であっても、虐待を疑うことはできたのではないかと思います」

 この事件と杉山さんが以前に取材した事件には、ある種の共通点がある。

「愛知県武豊町の真奈ちゃん事件('00年)も、この被告と同じようによく働く、職場での評価が高い父親でしたが、家に帰るとゲームばかりしていた。男性として、仕事に価値があって、子どもはそれに付随するものといった価値観にとらわれていた。

 そのため目の前の子どもの立場に立った子育てができない。子ども時代に大事にされていない人が、自分自身の感覚よりも社会の一般的な規範を中心に動いてしまう。そういうことも事件の背景にあるように思います。シングルファーザーが少しずつ増えていく時代を先取りした事件にも思えます」

 子育てに必要なのは、「親と子の応答性」だという。

「子どもにこうしなさいと一方的に教え込むのではなく、子どもと応答しながら力を引き出していくことが子育てには重要ですが、不適切な養育では応答性が失われている」

 仕事も子育ても求められる時代では、子どもたちの日常から大人との深い関わりが消えていく恐れがあるという。家族を“外に開く”のが当たり前になることが必要だ。

「この事件もそうですが、弱くて、力がなくて、しかも問題を隠そうとする親のもとでは、子どもは安心、安全を奪われます。そういう親を厳罰に処しても、弱い親はますます子どもを社会から隠してしまう。むしろ、子育ては社会の支援を受けて当然であり、その支援に失敗した社会にも非があると示してほしかった。

 子どもは親の所有物ではありません。親が抱えきれないときには、親を降りること。そして、人に頼るとか、周囲や社会に頼ること。そういう弱さを見せられることが大事だと思います。人の命にはかえられないんですから」

 杉山さんの眼差しは真摯に子どもへ向けられていた。

〈フリーライター山嵜信明〉