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母親の佳苗さんはいま、美幸さんのベッドで寝ている

 2014年7月、青森県立八戸北高校に通う2年生の女子生徒、美幸さん(仮名・当時17)が海で遺体となって発見された。自殺したとみられ、いじめが原因と考えた両親は県教育委員会に調査を求めた。

 結果、いじめがあったことは認められたが、自殺との因果関係はないと判断された。納得のいかない遺族は今度は県知事に再調査を求め、「一定の因果関係があった」という別の結果が出された。

 評価が分かれたふたつの報告書。美幸さんの学年は今春卒業となる。3月1日の卒業式を前に遺族に話を聞いた。

「あの日、5時に迎えに行く約束をしていたので、カレーを作っていました。あの後は何日もご飯がのどを通らない日が続いて、部屋中にカレーの匂いが立ちこめて。今でもそれを思い出すのでカレーを作ることはできません」と母親の佳苗さん(仮名・52)。

 美幸さんはドジでおっちょこちょいで、なんでもできるタイプではなかった。中学時代は8歳上の兄の影響で、バスケットボール部に入部。厳しい練習で部員が入らず、人数不足で試合ができない時期もあった。3年生になって新入部員が入り、試合ができたと喜んでいた。

「お兄ちゃん、仕事もお家の仕事もちゃんとするんだよ。そして家族を守ってね」

 亡くなる2週間前、兄の結婚式でのスピーチだ。つづけて「たまには遊びに連れてって、大人の悪知恵も教えてね」なんてかわいい言葉も口にする一家のムードメーカーでもあった。

 そんな美幸さんに異変が起きたのは高校2年生の7月4日のこと。突然、昼休みから行方がわからなくなったのだ。

 その日の朝、摂食障害を理由に通院していた精神科を佳苗さんと一緒に受診した。佳苗さんは学校まで車で送り、「じゃあ、(夕方)5時ね」と、放課後のお迎えの約束をした。

 その日、2時間目から授業を受けた美幸さんだったが、4時間目が終わると、学校からいなくなった。教員にも遅刻か保健室に行ったと思われ6時間目の終了後、担任が保健室を確認した時点で、やっと行方不明だとわかった。

「美幸さんが学校からいなくなりました」

 佳苗さんが連絡を受けたときは、いなくなって2時間以上が過ぎていた。そして、4時ごろから担任らは学校周辺を捜索した。

 父親・剛志さん(仮名・54)が電話で知らされたときは仕事中。警察署に着いたときにはすでに夜になっていた。

「金曜日だったんです。土日になると警察はなかなか動いてくれないんです。自分たちで学校から駅までの道を歩いて探したけど見つからなくて。帰ってくるかもしれないので家で待っていたんですが……」

 通学路を探す一方で、佳苗さんは美幸さんの携帯に電話をかけたがつながらない。

「幼なじみの子も探してくれました。夜中になったら電話がかかってくるかもとか、意地で電源を切っているんじゃないかと思ったりもして」

 なんでいなくなってしまったのか? 地獄のような日々が過ぎた。

 4日後の7月8日。警察から電話があった。八戸沖で貨物船が美幸さんの遺体を見つけたという。死体検案書によると、死亡日時は「7月4日頃」で死因は「溺水」。発見されるまで目撃情報はなかった。遺体は海上保安庁の車庫に置かれていた。佳苗さんは言う。

「おかしいと思われるかもしれませんが、そのときは涙が出なかった。でも、時間がたつと、悲しさが湧きあがってきたんです」

 '11年の滋賀県大津市のいじめ自殺を契機に『いじめ防止対策推進法』ができた。青森県でも関連の条例が成立した。公布、施行は7月7日。美幸さんが発見されたのはその翌日だった。

 10日に火葬、13日に通夜、14日に葬儀が行われ、通夜には400人が参列した。

 夏休み前の7月22日、体育祭が行われた後、PTA役員会があり、学校側は「いじめはなかった」と説明した。両親には納得できなかった。

 美幸さんは日ごろ、「いじめ」という言葉こそ使わなかったものの、友人間のトラブルがあって、こんな言葉を佳苗さんに投げかけていた。

「お母さん、私の何が悪いの? どこか変? なんで笑われるの?」

 摂食障害で通院していたことで、日記がわりのメモノートをつけていた。

 そのタイトルは、

《摂食障害を直して ストレスないココロに。健康な身体に。素敵な女の子に。》

 だが、中を見ると1年生の12月には、

《あのクラスいやだな。てか、もー、人生がいやだな。ばいばいしたい》

 また、佳苗さんが発見した別のメモ(時期は不明)には、《私は生きていることがつらいです。どんなに考えても良い将来が見えません》

 そんな言葉が書かれていた。

 翌23日、PTA総会の朝、地元紙の取材に答えた両親の記事が掲載された。総会では「美幸の自殺はいじめが原因では」と声をあげた。

 遺族の主張を受けて、学校は「重大事態発生」と県教育長に報告。県教委は「県いじめ防止対策審議会」を立ち上げ、調査に入った。

 「審議会」では、LINEのやりとりなど「人間関係のトラブル」の中で、いじめと認定した事実があった。

 美幸さんは高校入学時に友達と『ちーむおべんと。』というLINEのグループを結成していた。捜索では美幸さんの携帯電話は発見されておらず、内容を知るには前出のメモや証言に頼らざるをえなかった。

 メモには摂食障害になった背景を自分なりにまとめており、グループ内のトラブルを思わせる内容も記されていた。

《距離をとり始めると逆にはぶかれるように。》《ムシ、つめたい声。》……。

 これらの記述は、LINEのグループのメンバーの生徒からも類似の内容の証言が得られ、美幸さんが心身の苦痛を感じていたと推察、いじめと判断された。《うざい》などの言葉も美幸さんがLINEのグループを抜けた後、ほかの生徒5人で悪口を言い合っていたことが確認できた。

《小さいいやがらせは続き、全て自分が悪いとせめる。》などの記述は誰がどんな嫌がらせをしたのかは確認できなかったが、いじめと認めた。

 「報告書」では、メモ以外の調査で明らかになったトラブルを含め7項目をいじめと位置づけた。だが、「顕著な悪質性は認めがたい」とされ、摂食障害は「もともと中学時よりその素地があった」と判断された。

 受診時のメモや、『ゆっくりでいい。』と題されたブログから、美幸さんはうつ症状が悪化していたともみなされたが、いじめと自殺との因果関係は否定された。

 両親は報告書を読み、事実誤認を指摘する。報告書には養護教諭の見解として「“中学時の少しやせた時期があり、うれしくなったため、それからあまり食べないようにした”と話しており、中学時より摂食障害となる素地はあった」とある。

 でも佳苗さんによれば、美幸さんが摂食障害とわかったのは高校1年の夏であり、

「高校受験前、私と美幸で牡蠣を食べ、下痢をして“おなかがぺったんこになった”と喜んだことがありました。やせることのエピソードはこのときとインフルエンザでやせたときだけ」とも。

 報告書には'14年4月ごろ、「自室でスカートの紐を首にかけたのを母親発見」ともある。自殺企図が以前からあったように思わせるが、それについても佳苗さんは反論する。

「ハンガーにスカートの紐がぶら下がっているのを見つけました。美幸に問いただしたら、“本気で死ぬ気はないんだけどね。ギュッとやれば楽かな…って”と言っていました。県教委に指摘しましたが、“1度できたもの(報告書)は変えられない”と言われました」

 これらの「報告書」の内容に遺族は納得できず県知事に申し立て、『県青少年健全育成審議会いじめ調査部会』が再調査することになった。

 最初の「調査」ではいじめの「悪質性」が問われたが、「再調査」では「いじめの行為の質」の評価はしなかった。いじめを受けた生徒の立場に立つことが理由だ。その結果、「出来事」が11個に整理され、8個が「いじめ」と認定された。摂食障害も「高校入学後」とされた。

 結論として、いじめは自殺の直接原因とは言えないとしながらも、「一定の因果関係があったと推察できる」とした。

 剛志さんは「再調査」について、「いじめと摂食障害や自殺の因果関係はあったと認められました。最初の報告書よりはよかった」と評価した。

 しかし美幸さんが帰ってくるわけではない。「再調査」ではいじめとの関連が指摘されたものの、摂食障害は母娘関係を指摘する文献が多く、佳苗さんは「自信があって育ててきたわけではないです」と涙ぐむ。

 両親は、学校側のほか、LINEグループ内で悪口を言っていた生徒たちやその保護者からの謝罪を求めてきたが、いまだにどこからもないという。青森県教委学校教育課は週刊女性の取材に、

「遺族の話を十分に聞いて対応してきました。(県の部会での再調査とは内容や評価は違うが)それぞれが独立した組織で、法的にどちらが優位というのはありません。報告書の内容を受け止め、いじめ防止対策には取り組みます」

 今年度は同高校の校長も教頭も代わった。3月1日は美幸さんの学年の卒業式。卒業生番号は入らないが、卒業証書はもらえることになり、両親は出席する。

取材・文/ジャーナリスト・渋井哲也