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 優しい歌声で切ない歌詞を切々と歌い上げ、今、話題になっている曲がある。

《わたしには あなただけ 二度とない 永遠のひと》

 USENの『演歌リクエストランキング』で、9か月連続トップ20に入っている『永遠のひと』('15年7月発売)だ。

「歌っているのはHaruyoという歌手なのですが、この歌声が憂いを帯びながらも温かいと、歌謡界でも評判なんです」(音楽誌編集者)

 有線での最高ランキングが4位になるほど評価の高いこの歌。聴いた人の心をわしづかみにするHaruyoに、この快挙について聞いてみた。

「まさかこんなことになるなんて、本当にびっくりしています。今までレコードやCDは25枚くらい出しましたが、この歌は、いちばん自然体で歌うことができるんです」

 5歳のときに童謡歌手としてコロムビアからデビュー。その後、クラウンが創設されると同時に移籍する。

「当時、『ゲイシャ・ワルツ』で有名な神楽坂はん子さんが活躍されていて、それじゃとクラウンでは赤坂まりえという芸名で日本調歌手として売り出すことになったのです。クラウンではチータ(水前寺清子)と同期で、よくふたりでお座敷に行ったりしましたよ。そんなこと話したら、年がバレちゃうわね(笑)」

 5歳から歌い続けていた彼女だが、今の曲は17年ぶりの新曲。そのウラには、ある悲しい出来事があったという。

「'99年に『吉野伝説』という曲を出したのですが、すぐに母が亡くなったんです。5歳でデビューしてから、母はずっとステージママだった。でも、亡くなったら歌うことが面白くなくなってしまったんです。2年間くらいはまったく歌が歌えず……」

 周囲の人たちの“歌ったほうがいい”という声におされ、少しずつ“歌いたい”という気持ちが出てきたという。ジャズやシャンソンを歌ったりしながら、出会ったのが今回の曲だ。

「できることなら、20歳くらいで『永遠のひと』を歌いたかった。歌詞は10代、20代の人が思う気持ちかしら。男に裏切られても温かく相手を思う気持ちとか。でも、私は1度も結婚していないから、もしかしたらいちばん男心をわからないかも(笑)」

 歌手として活躍する彼女だが、もうひとつ別の顔がある。実業家としての一面だ。

「商売はいつもほかの人から頼まれるんですよ。26歳のときに仲のいい方が結婚するんで、銀座のお店を買ってくれって頼まれて。10年やり、多いときは3軒持っていました」

 そのうちに岩手県のホテルの経営を頼まれ、36歳のときに銀座のお店をスパッと手放すことに。

「このホテルも大変お世話になってる方から、“1年でいいから”って言われて。当時は新幹線なんてないから、土曜日に東京から電車に乗って岩手に行き、月曜日に銀行に1週間分の儲けを預けて東京に帰ってくるという生活。でも、36歳から46歳って女としてはいちばん大切なとき。それをすべて仕事に捧げた感じですね」

 客数は400人規模で、地元では大きなホテル。そこで、社長である彼女は自ら宴会場でショーをして、レコードを売ったという。

「当時、『にごり酒』っていう歌を出していたんです。東北の方はどぶろく酒をにごり酒っていうんですが、私のポスターを見て、“にごり酒くれ!”っていうからレコードを持っていくと、“酒だ”って怒られたりして(笑)。

 初めはホテルに行くと、従業員が逃げていっちゃうんです。でも、彼らと東北の歌を一緒に歌って踊ると、徐々に仲間になっていくんですよ」

 ホテルを始めてしばらくすると、今度は警備会社も任されることに。ただ、20人ほどでスタートしたこの会社は借金も多く、“すぐつぶれる”と陰口を叩かれていたほど。それが、35年たった今は、約100人の隊員がいるまでに成長させたのだ。

「警備会社の経営に専念するため、ホテルも10年くらいで手放したんです。私、普段は化粧もしないですし、みんなと一緒になって真っ黒になって働きましたよ。でも、歌うことは続けていたんです。歌っていることによって幸せになるし、ほかの人も幸せにすることができる。そういう原点があるから、私は歌をやめられないんです」

 社内には会議室を兼ねたパーティールームが設置されている。カラオケも置かれ、防音設備も整っているという。

「その部屋で警備隊員のために毎月、誕生パーティーをしているんです。地方から来ている人が多く、歌が大好きなんです。じゃ会社にひと部屋作っちゃえって。そこで、あまり仲よくなかった隊員同士が打ち解けたりと。

 やはり歌は潤滑油なんです。私は7人きょうだいの真ん中だったんで寂しがり屋なんです。私は人に助けられて、仲間に助けられて……。だから、隊員である仲間と一緒にいることが、今はいちばん幸せなんです」