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向井千秋さん

 日本初の女性実業家をモデルにした朝ドラ『あさが来た』。どんな困難にも屈せず、明るく前を向き、そして開拓していくヒロインに、多くの女性が元気をもらっている。そこで、“日本で初めて〇〇を成し遂げた女性”を大紹介。

■日本初の女性医師・荻野吟子さん

 1851年、埼玉の裕福な庄屋に生まれる。1870年、夫からうつされた性病がもとで離婚。男性医師に下半身をさらす恥ずかしさから、女医の必要性を痛感し、志す。

 東京女子師範学校(お茶の水女子大学の前身)を首席で卒業するなど非常に優秀だったが、開業医受験願は女性を理由に却下され続ける。

 しかし「女性に受験資格がないという条文はない」という熱い主張が認められ、1885年に見事、合格。34歳で『産婦人科荻野医院』を開業した。

■日本初の女性漫画家・長谷川町子さん

 1920年生まれ。『のらくろ』で知られる漫画家・田河水泡さんに師事し、15歳で少女雑誌『少女倶楽部』でデビュー。順調にキャリアを重ね、'46年から『夕刊フクニチ』で国民的漫画『サザエさん』を連載開始。

 自宅近くの海岸を散歩中にキャラクターの名前を決めたエピソードは有名。その後『夕刊朝日新聞』を経て、'51年より『朝日新聞』で連載。休載を挟みながら'74年まで続き、その間にドラマ化、アニメ化、映画化も果たした。'92年没。

■日本女子初の金メダリスト・前畑秀子さん

 高等小学校卒業後は実家の豆腐店を手伝うはずだったが、学校関係者が前畑の才能に注目し、両親を説得。椙山女学校(現・椙山女学園)に編入して水泳を続けた。1932年のロサンゼルス五輪の200m平泳ぎで銀メダル。

 '36年ベルリン五輪ではデッドヒートの末、日本女子初の金メダルを手にした。NHK・河西三省アナによる「前畑ガンバレ! 前畑ガンバレ!」の絶叫はあまりにも有名。その後、お見合い結婚。'95年、80歳で死去。

■アジア初の女性宇宙飛行士・向井千秋さん

 1952年生まれ、慶應義塾大学医学部卒業。外科医として慶応義塾大学病院に勤務し、'81年には解離性大動脈瘤で入院した石原裕次郎さんの担当医も務めた。'83年に宇宙開発事業団(現・JAXA)の宇宙飛行士募集を新聞で知り、応募。

 '94年7月にスペースシャトル『コロンビア号』にアジア初の女性宇宙飛行士として乗り込んだ。'98年には2度目の宇宙へ。生命科学や宇宙医学の実験を行った。現在は東京理科大学特任教授兼副学長。

■日本初の女性大臣・中山マサさん

 1891年、イギリス人の父、日本人の母の間に長崎で生まれる。アメリカの大学を卒業したのち、教師を経て、弁護士の中山福蔵と結婚。1947年の衆議院議員総選挙に立候補し、当選。日本初の女性閣僚として'60年、第1次池田内閣で厚生大臣に。

「婦人が大臣になったからには、プラスアルファがなければ」と抱負を語ったという。在任期間は5か月と短かったが、小児まひ対策や母子家庭への児童扶養手当支給を実現した。

■パリコレ初のアジア系モデル・山口小夜子さん

 1971年にプロモデルデビュー。ハーフモデル全盛期に、切れ長の目とおかっぱの漆黒の髪で“日本人の美しさ”を体現。高田賢三や山本寛斎のショーで注目を集め、'72年のパリ・コレクションでアジア系モデルとしては初めて起用された。

 続けてニューヨーク・コレクションにも出演。'73年より資生堂の専属モデルに。アメリカ・ニューズウィーク誌の『世界の4人の新しいトップモデル』のひとりにも選ばれた。'07年没。