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『アトリエemu』のラストドレス

 納棺時、故人の死に装束は白い着物が一般的だ。だが、最近は最期の衣装として“自分が着たいもの”を選ぶ人が増えているという。そんなニーズに応えるため“最期のドレス”を扱うメーカーも増えつつある。

 宮崎県にある『アトリエemu』は、17年も前から死に装束用ドレスを製作する老舗。まだまだ死に装束としてのドレスが浸透していない時代に“ラストドレス”を作ったきっかけを、代表の三隅裕子さんは、こう話す。

「もともとはブティックのお客様と“最期の旅立ちの衣装”について話していて、その方の着たいものと実際の死に装束が、あまりにもかけ離れていると感じたのがきっかけです。

 自分ならもっと新しいものを作れるのでは? と思い、当時ブライダル衣装の仕事をしていた姉と話すうち“ひとりひとりのイメージに合わせたドレスを作ろう”とアイデアが膨らみました」

 ところがパートナーと呼ぶべきその姉が重い肺の病気、過誤腫性肺脈間筋腫症にかかり余命2年と宣告される。

「姉は“私を顧客第1号にして。ドレスを作って”と言いました。でも、私はどうしても作れなかった」

 '02年、姉は43歳の若さで亡くなった。それからの三隅さんは“姉の分まで生きねば”と気を張って暮らす。が、そんな彼女をさらなる悲しみが襲う。

「今度は上の姉が子宮体がんで亡くなったんです」

 姉2人の人生を背負って生きる、その絶望感に苦しんでいたある日。

「姉が元気だったころ庭に植えた桜を眺めていたら“そろそろドレスを作って……”という声が聞こえた気がしたんです」

 私は生かされている。ならば人の役に立てるよう、できる限り時間を割こうと、三隅さんは決心したという。

 『エピローグサロン 光の庭』代表の杉下由美さんが横浜にサロンを開設したのは、友人の夫の死がきっかけ。名前のとおり、光がさんさんと差し込む気持ちのいいアトリエだ。

「今までの死に装束は、和服もドレスも生地がペラペラ。ドレスメーカーのものであってもデザインが今ひとつ。こんなのイヤだな、いつか自分で作りたいなと思っていたころ、友達のご主人が亡くなりました。

 葬儀の際、棺の中のご主人を見ると、なんとタイガースのユニホーム姿! その瞬間、生前のご主人の素敵な人生が鮮明に浮かびました。“死ぬときこそ、好きなものを着たいはず。私は故人の人生を映すドレスを作りたい!”と思ったのです」

 そんな杉下さんの渾身の作品が、母のための“ハリウッドドレス”だ。現在、アルツハイマー病を患う母に、どんなドレスを着たいか尋ねると“かわいいの♪”とひと言。

 それなら思いきりかわいいものを……と、母が大好きなグレース・ケリーやエリザベス・テーラーなど“ハリウッド女優が着るウエディングドレス”をイメージして作製。その製作費は100万円を超え、「さすがにやりすぎた感はありますね」と笑う。

 杉下さんの作るドレスは、どれも“寝ているとき最高にきれいに見える”のがこだわり。寝ていると首が詰まるので、襟を少し起こす。やせてしまった脚のラインが出ないよう、ドレスにチュールを入れて張りを出す。デザインだけでなく、シルエットも上品に見えるよう、細心の注意をはらう。

「ドレスは急を用する方もいるので、セミオーダータイプも用意しています。例えば、お花が好きだった方には花柄の布でポイントを入れるなど、その方の世界観が出るように作れますよ」

 セミオーダータイプも人気が高いそうだ。着る本人が意識のあるうちにオーダーに来るのか、または作ってあげたいという家族が来るのか。まだ広くは知られていない死に装束用ドレスだけに、どんな人たちがどんなタイミングで来店するのか。前出・三隅さんが教えてくれた。

「ご家族がいらっしゃることが多いですが、さまざまです。印象深かったのは、生まれてこのかた、ずっと病院を出たことがない女性のお母様。その方自身もご病気で、人工透析をしていました。『ラストドレス』発表会が地元新聞に取り上げられたのを見て“これだ!”とひらめいたそう」

 この女性は洋裁ができ“自分もドレスを作りたい”と来店。ドレス作りを教えるわけにもいかず、ほかの顧客にも迷惑がかかると判断、丁重に断った。だが女性は何度も来店しては、ドレスを眺めて帰る。見かねた三隅さんが話しかけると、

「“もし自分が死んでしまったら、遠い病院に預けたまま、お嫁にも行けなかった娘に何もしてやれない。どうしてもウエディングドレスを自分の手で作ってあげたい”という理由がおありでした。

 私はどのようにお手伝いできるか悩みましたが結局、ドレスの素材を提供し、娘さんの肌に触れる部分を手作りしていただきました。納得いくものを差し上げたかった私は、ドレスの上に羽織るブラウスとブーケを作りました。ドレスが完成したときは、本当に喜んでくださったのを覚えています」

 杉下さんにも忘れられない顧客がいる。

「お子さんのためにドレスを選びに来た方は今まで3人。オープン間もないころ、お子さんの思い出話を語ってくれた女性がいました」

 女性の娘は杉下さんと同世代。結婚もせず、バリバリのキャリアウーマンで、年2回はイタリア旅行に……そんななか病に倒れる。“充実した日々を送ってたし、とても幸せだったと思うの”と女性は語った。

「“ただあの子、ウエディングドレスだけは着られなかったのよね。亡くなる前に着せてあげたいわ”と寂しそうに言ってらっしゃいました」

 ドレスを作ったことで、人生観が変わる顧客も。

「昨年の夏、70代半ばの方がドレス作りに来られました」(三隅さん)

 大きな屋敷にひとりで住むこの女性は夫に先立たれていた。完成したドレスをボディーに飾り、毎日それを眺めては“これを着て、主人のもとへ行くのよ”と、素敵な笑顔で語っていたという。

 また、男兄弟に囲まれて育ち、1度もドレスを着た経験がない92歳女性のドレスも作った。白地に薄い紫を施した、高貴なデザイン。製作中に女性が肺炎にかかり、急いで仕上げたものを家族に渡した。

 家族が病院に持っていくと、女性より先に周囲の人が反応。“すごくきれいなドレス!”という声に女性はとても喜んだそう。

「親孝行ができた、とご家族に言っていただいてうれしかったです。その方はその後、3年間お元気で。95歳で寿命をまっとうされました。完成したドレスを見て、ご危篤だった方がメキメキよくなることって、すごく多いんです。不思議ですよね」

 と三隅さんもうれしそうだ。身近な人が亡くなるのはとてもつらく悲しい。だが意外にも、覚悟を決めた家族たちは明るい表情で来店するという。ドレスを着る本人も、それを見て安らかな気持ちになれる。

「ラストドレスをご準備したお客様の100%が“これでもう死ぬのが怖くない”“死への恐怖がやわらいだ”とおっしゃいます。死に装束としてのドレスがどこまで世の中に浸透していくかわかりませんが、みんな生きている以上、いつかは死んでいくもの。

 死に装束にも選択肢があることを知っていれば、自分の最期について考えるきっかけになるかなぁ、と。逝く人も見送る人も、最期を幸せな気持ちで迎えられるように、このドレスが文化になったらいいな、と願っています」(三隅さん)