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外で待っていた人たちにも、気さくにお声がけをされた(5月19日・南阿蘇中学校)

 5月19日、「熊本地震」の被災地を日帰りで見舞われた天皇・皇后両陛下だが、前の週にその予定が報じられると、読者から「両陛下が現地をお見舞いすれば、人手がかかることになります。余震が続くなか、もう少し落ち着いてからいらしたほうが、被災地のためになるのではないでしょうか」といった声が『週刊女性』に届けられた。

 4月14日に震度7の揺れがあり、死者・行方不明者50人(5月20日現在)を出した今回の地震は、その後も余震が頻発。

 気象庁は今後、少なくとも1か月程度は最大で震度6弱程度の地震が起こる可能性があると呼びかけている。

 そんな状況での被災地訪問は、両陛下にとっても、迎える側にとっても「リスク」になるのでは─というのが冒頭の読者の意見だった。

 当日の両陛下の被災地での様子を、宮内庁担当記者が振り返る。

「両陛下はヘリやバスを乗り継いで、土砂災害などで16人が犠牲となった南阿蘇村や震度7を2回観測した益城町を訪問されました。

 益城の体育館ではカーテンで仕切られた居住スペースを丁寧に見て回り、陛下が小3の少女から折り紙の花を受け取られる場面もありました」

 熊本県のPRキャラクター「くまモン」のピンバッジをつけた皇后美智子さまも、耳が不自由な山本久美代さんに手話を交えて「元気ですか」「大変ね」と慰労するなど、被災者を励まされた。

 陛下と美智子さまのお見舞いのタイミングについて、

「余震が続いていても、そういうときにこそ被災者や困っている人たちをすぐに励ましたいというお気持ちが、両陛下にはおありなのでしょう」

 と話すのは、皇室を長年取材するジャーナリストで、文化学園大学客員教授の渡辺みどりさん。

「現地の事情も考慮して、地震から1か月が過ぎた今回、日帰りで訪問されることになったのだと思います。

 熊本の被災者も、決して体調が万全ではない高齢の両陛下がわざわざいらしてくださったことに、勇気をもらったのではないでしょうか」(渡辺さん)

 '11年の東日本大震災の折にも、地震から19日後に都内の避難所を見舞ったのを皮切りに、両陛下が7週連続で避難所や東北の被災地を訪問されたことは記憶に新しい。

 昨年9月、栃木県を流れる鬼怒川が決壊した豪雨被害のときも、両陛下は災害発生から1か月もたたないうちに現地を視察されている。

 地震発生から1か月以上が過ぎた今回は、「遅すぎる……」というお気持ちがあったのかもしれない。

 また、「自然災害に負けない姿勢」をお示しになる目的もあったのでは、と話すのは宮内庁関係者。

「東日本大震災のお見舞いで岩手県釜石市を訪問し避難所で余震があったときも美智子さまは動じることなく、驚いた女性を気遣われていました。自然災害の多い日本で、国民と苦楽を共にするという姿勢をお示しになりたい気持ちもあるのではないでしょうか」

 '12年に、福島県川内村で放射性物質の除染作業を視察された際も、防護服を身につけないまま作業員へ予定外のお声がけをして、周囲を驚かせたこともある両陛下。

 前出の渡辺さんもこう話す。

「天皇陛下と美智子さまは、幼いころに疎開という“戦争体験”をして、'75年の沖縄訪問のときには火炎瓶を投げられるなどの苦難を乗り越えてこられた精神力があります。

 ご自分たちが怖いとか危険だという前に、待っている国民のことを思うお気持ちのほうが強いはずです」

 ある皇室ジャーナリストは、「現地の事情を最大限、配慮した結果とも言えると思います」とみる。

「被災地はいまだ余震が続き予断を許しませんが、梅雨の時期も迫っています。

 5月16日にはすでに沖縄・奄美地方が梅雨入りして、これから九州地方も雨が多くなり、その対策や二次被害のリスクが高まります。

 そこで両陛下は、6月までにはお見舞いをすませておきたい気持ちがあったようです」(同・記者)