昨年、東京・中野坂上にカラオケ喫茶『ヒロシのお店』をオープン。プライベートではキャンプに絶賛ハマり中だという

「ヒロシです」のフレーズで10年ほど前にお茶の間の人気者になった彼。内向的な部分をネタにする芸風そのまま、

「仕事が終わってからすぐ帰るタイプなのもあって、飲みの誘いは全然ありませんでした。ただ、地方のよくわからない社長さんにクラブとかに連れ回されたりするのはありましたね(笑)。“俺はヒロシを連れてるぜ”みたいな自慢に使われていました」

 だが何より、彼にとっての変化は“お金”だったようで。

「売れてくると冠婚葬祭の花を出す機会が増えます。だいたい1回1万6000円くらい。それが月に何回も来るんです。合計したら月30万円近くかかるんです。

 でも、その花を贈る相手の7割がよく知らない人。でも、お世話になっているスタッフのおじいさんが亡くなったという知らせを聞いたら、何もしないわけにいかないんですよね」

 それだけの代金を払えるほどに仕事も多かったそうで、

「最高月収は4000万円ぐらいでした。それなら花代の占める割合も30万円程度なので微々たるものですが、そうじゃないときは花代にそうとう持ってかれますよ。

 それに4000万円だって一時的ですからね。ひどいときは“俺は花のために働いているのか!”って思いましたよ」

 まるで得意の“自虐ネタ”のように話してくれた。そもそも、花代の話になったのは“ブレイク前後にお世話になった人”の流れから。彼を昔から可愛がってくれているのが、京本政樹なのだそう。

「僕がまだ売れてないときのライブに来てくれたりしたんですよ。単独ライブをやると、お花が贈られてきたりします。僕なんかは売れてないので花なんか全然来ないわけです。

 でも、そのわずかな花の中に京本さんの名前があったんです。ライブもたびたび見にきてくださって、それからご飯に行くようになりました」

 その付き合いは、今も続いているという。だけど、別の人とはこんな悲しい別れも経験。こちらもお金がらみ。

「3年前、ブレイク前からお世話になった人に“お金を貸してほしい”と頼まれました。よくしてもらった人の頼みだったので、25万円を人助けのつもりで振り込みました。

 数か月後に僕の携帯電話の変更の連絡をすると、何の反応もありませんでした……。返せないならその“今は返せない”という連絡だけでもほしかったですけどね。そういうふうに人は変わるんだなって思いましたね……」

 その語り口調、ヒロシ本人だけは何も変わっていないとです─。