東京メトロ銀座線の青山一丁目駅で盲導犬を連れた男性がホームから転落し、電車に轢かれて亡くなった事故から2週間がたった。犬は何をしていたのか、といぶかしがる声もある。盲導犬にも、できることと、できないことがある。

「盲導犬は万能ではありません。迷うこともあるし、間違えることもあります。優秀な犬を連れているのだから余計なお節介をしないほうがいいと思い込んでいるとしたら、それは誤解です」

 全日本視覚障害者協議会で代表理事を務める田中章治さん(70)はそう話す。

 先天性弱視だった田中さんは20代で失明した。約40年前から盲導犬と出歩く。

「名前を忘れることはありません。1頭目の名前はコルナス、その次はカスタニア、デリス、ジョエル、そして現在のパートナーが5頭目のニコラスです。一緒に電車に乗ると、いろんな方が“私も犬を飼っているんですよ”などと話しかけてくれます。新宿や池袋など混雑する駅の構内では10分以上かけて案内してくれる。うれしいことです」

 と田中さんは言う。

 盲導犬にできないことは何か。日本盲導犬協会の神奈川訓練センターを訪ねた。

 中庭では訓練士研修生がやさしい表情で犬と向き合っていた。同協会理事で訓練事業本部長の多和田悟さん(63)が「犬よりも前に出ないように」などと指導していた。

 多和田さんは、映画・テレビドラマ化された、盲導犬クイール号を訓練したことで知られる。映画版では多和田さん役を俳優・椎名桔平が演じ、クイール号がパートナーを組む視覚障害者と心を通わせていく実話は感動を呼んだ。

障害物を回避するが、歩行ルートを決めるのはユーザー

「盲導犬クイール」の訓練士だった、日本盲導犬協会の多和田悟さん

 まずは、盲導犬にできることを知りたい。

「盲導犬ユーザー(視覚障害者)にカド、段差、障害物を教えます。カドとは選択すべき複数の進路がある交差点のこと。左側に脇道があるときは体をクイッと左にひねって教えます。一本道では90度のカーブでも黙って通過します。選択すべきほかの道がありませんから」(多和田さん)

 盲導犬は道路交通法や身体障害者補助犬法で規定されていて、仕事をするときは「ハーネス」という白い胴輪をつける。体をひねるとユーザーが持つハンドルに動きが伝わり、ハーネスが少し左に動いて止まると左側にカドがあるとわかるという。少し上に動いて止まると上りの階段か段差がある。障害物も回避する。

「障害物には動く人も含まれます。犬がくぐれても人がくぐれない高さに伸びている木の枝や、水たまりもよけて歩きます」(多和田さん)

 一方、カーナビのような道案内はできない。

「2本目のカドを左に曲がって……などと歩行ルートを決めるのはユーザーです。犬が教えるのは、駅までのカド、段差、障害物だけ。それをユーザーが正しくつなげば駅に着きます」(多和田さん)

犬も失敗するというのは大前提

障害物のベンチをよけて歩行する訓練

 訓練を見学すると、犬は歩行ルートの真ん中に置かれた横長のベンチを避けて通った。ただし、ミスをすることも。

「犬も失敗するというのは大前提です。人間だって、ボーッとしていて素通りしちゃうことってありますよね。犬もほかのことを考えていたら、段差などを素通りすることがあります」(多和田さん)

 たまたま通りがかった盲導犬に「かわいい~」などとちょっかいを出してはいけない。集中力を奪わないように。

「信号機のある交差点で犬は止まります。青信号か赤信号かを理解して止まるのではありません。車イスのスロープとして低くなっている約2センチの段差を判断して止まるんです。青信号を判断するのはユーザーです」(多和田さん)

 カッコウなど鳥の鳴き声で知らせる信号機が普及しているが、すべてではない。ユーザーは、進行方向が同じ車の音などで判断するという。

「たとえば、後ろから来た車が左折してきてぶつかりそうだったり、前方から来た右折車とぶつかりそうなとき犬は止まります。『ゴー(進め)』と言われても動きません。指示よりも、この場面は止まるはずだ、という判断を優先させるんです」(多和田さん)

 飲食店では伏せてじっと待つ。ユーザーやよそのテーブルの飲食物に手をのばすことはない。野外BBQで肉を焼いても興味を示さないという。

「勝手に食べ物をあげようとしないでください。盲導犬は排尿・排便まで管理されています。決まった時間に決まった食べ物を決まった量だけ食べる。予定にない食べ物を与えられたらいつ出てくるかわからなくなる」(多和田さん)

ホメてほしいから正しい行動をとる

訓練士研修生にホメてもらい大喜びする盲導犬

 取材前は、どんなスパルタ訓練を受けているのだろうかと想像していた。

 多和田さんは「スパルタ訓練なんてしませんよ。そもそも犬を叩くことは100%ありません」と話す。

「調教していたのは昔の話。痛い目に遭いたくなかったら言うことを聞けって。僕は効果がないと考えています。叱りつけても怖がるだけ。間違ったら『ノー』と教え、正しい行動をしたら『グーッド』とホメてあげるんです。笑顔で接するだけでうれしくて尻尾を振ります。またホメてもらいたくて正しい行動をとるようになります」(多和田さん)

 人間がニコーッとしたらいいことがある。これでイヤな思いをしたことはない。そう考えるようになるという。

「盲導犬にとってカドや段差や障害物を探すのは楽しいゲームなんです。犬は将来のことを考えたりしません。今はつらいけど、これを乗り越えたら立派な盲導犬になれるなんて考える犬はいない。つらかったら逃げるだけ。飼い主のことを考えているというよりも、自分が心地いいかどうか。盲導犬に崇高な倫理観を求めてもしょうがありません」

犬ではなく人に声をかけよう

 青山一丁目駅で転落死した会社員(55)を支えてきたワッフル号は、訓練を受けた北海道盲導犬協会に戻った。同協会によると、職員に囲まれて犬舎で暮らしているという。事故前から同協会が呼びかけてきた言葉がある。

「盲導犬を見つめたり、声をかけたり、体やハーネスを触らないでください。でも、視覚障害者の方には声をかけてください」

 犬ではなく人に声をかけよう。前出の多和田さんは「お手伝いしましょうか、と声をかけてほしい。白杖を使う視覚障害者を含め、わずか100メートルでも神経をすり減らさずに歩けたら楽ですから。みなさんが大きなお世話を焼いてくれたらありがたい」と話す。

<まとめ>

◎盲導犬にできること

・進行方向に進む
・交差点で止まる
・動いている人や物、頭上の小枝や水たまりなど障害物をよけて歩く
・建物の入り口やドア、駅改札口、バス停、信号機の押しボタンなどを探す
・道路を横断しようとするとき、車が来ていると「進みなさい」の指示に従わない

×盲導犬にできないこと

・信号機の赤と青を識別する
・明日や将来のことを考えて行動する
・地図を覚えてカーナビのように案内する
・ぶつかったら死ぬかもしれない、ケガをするかもしれないなどと想像する
・知らない人にエサをもらってもガマンする

※日本盲導犬協会や北海道盲導犬協会、盲導犬ユーザーへの取材を基に作成