今年5月、東京・小金井市でシンガー・ソングライターとして活動していた大学生をメッタ刺しにして重傷を負わせた『小金井ストーカー刺傷事件』。SNSの一種、ツイッターを通して、憎悪を巨大化させた末の犯行だった。8月26日、岩埼友宏容疑者が殺人未遂などの罪で起訴された。

「2013年のストーカー規制法改正時に、SNSは規制に盛り込む必要性があると議論されました。もし盛り込まれていたら、小金井の事件は防ぐことができたはずです」

 法律の不備をそう指摘するのは、リンク総合法律事務所の紀藤正樹弁護士。自身もストーカー被害者であり、警視庁のストーカー規制法の有識者検討会の委員を務めた。

 ストーカー規制法は2000年に制定された。そのきっかけとなったのは前年、女子大生が路上で刺殺された『桶川ストーカー事件』だ。

 だが、法律が整備された後も、電子メールがつきまとい行為に含まれていなかったことや警察のずさんな対応などから、『長崎ストーカー殺人事件』や『逗子ストーカー殺人事件』『三鷹ストーカー殺人事件』などが次々に起こってしまった。

 2015年のストーカー事案の相談件数は、2万1968件。統計を取り始めて以来、最高件数だった'14年の2万2828件からわずかに減少したものの、いつ凶悪犯罪が起きても不思議ではない状況だ。

SNSを使った執拗な書き込みを規制対象に

 ストーカー被害者・加害者のカウンセリングを行うNPO法人『ヒューマニティ』の小早川明子理事長は、

「ストーカー規制法は、まだ犯罪は行われていないけれども、その行為をやめないといけないですよ、という初犯防止を第一目的とする法律」

 と指摘するが、ネット社会の進歩に遅れを取っている部分が目につく。もっとも大きなポイントは、SNSによる被害が想定されていないこと。

 自民、公明両党は先ごろ、秋の臨時国会に議員立法として提出するストーカー規制法改正案をまとめたが、そこではSNSを使った執拗な書き込みを規制対象に加えている。

「メールがつきまとい行為に含まれたのは、『逗子事件』が起こった後の2013年の改正です。改正が後手に回ってきた。ただ、今回の改正案には、ストーカーのつきまといとして当面予想されるものが、ほぼ入っている。一定の評価はできます」(前出・紀藤弁護士)

 小早川理事長も、

「メールよりLINEなどの通信による嫌がらせ行為が多く、苦労している方が多い」

 と昨今の被害実態を明かし、

「SNSで“おはよう”“愛してる”“ごめんなさい”と繰り返されるストーキングも、SNSを規制対象にしたことで取り締まることができる」

 と前進を評価する。メッセージを送信するほかにも、フェイスブックやブログなどにコメントを執拗に書き込むことも処罰の対象になる。

「緊急命令」と「非親告罪」も大きな変更点

 さらに小早川理事長は「のどから手が出るほど欲しかったもの」と願っていた「緊急命令」が出せるようになることを歓迎する。

 現行法では、警察が加害者に警告を出した後でなければ、公安委員会が「つきまといをやめるように」といった禁止命令を出せない。だが改正案では、緊急の場合は、公安委員会が警察の警告を経ずに禁止命令を出せるようになる。

「禁止命令を破ればすぐに逮捕ができますから、緊急性の高い事案には重要なものになってきます」と、小早川理事長。被害者が警察に被害届を出し告訴する親告罪から、その必要がない非親告罪になることも、大きな変更点だ。 

「親告罪だと、“俺を突き出しやがって”と逆恨みされるかもしれないと考え、ためらう被害者が多いんです」

 紀藤弁護士も、「『長崎ストーカー殺人事件』では本人ではなく家族(祖母と母)が殺されました。本人だけでなく、その周りの家族や知人に危害が及ぶ可能性が高い場合、被害者の意向とは別に、独自かつ早期に対応できることはいいことですね」と一定の理解を示す一方、

「警察が被害者の意向を無視して暴走すれば、冤罪が増える可能性もある。男女関係のもつれによるストーカー事件は多く、虚偽の証言をすることもある。そこは警察も、冷静に対応していく必要がある」

 と釘を刺すことを忘れない。

 

日本には「治療処分」の機能がない

 罰則も強化されるが、厳しくなっても「加害者が捨て身であれば、刑罰は意味がありません」と小早川理事長。警告・禁止命令・逮捕された後も、執着をこじらせるストーカーを大勢見てきた。

「ストーカー加害者は警告や禁止命令を受けても、反省できない。(相手への)思いが残っているからです。警告は出たけど、その後のフォローがないために事件が起きることがあります。イギリスやオーストラリアなどでは、司法手続きの中で、裁判所命令で治療処分を実行する専門機関も設けられていますが、日本にはその機能がないのです」

 法整備の不備を指摘したうえで、小早川理事長は、

「禁止命令や警告の際に、心理や精神医学の専門家と面接することを義務化するべき」

 と提言する。

現場には条文を理解していない警察官もいる

 さらに、ストーカー事件のたびに耳にする「警察に相談したが、何も対応してくれなかった」ことにも、紀藤弁護士は厳しく注文する。

「なぜストーカー規制法の運用がうまくいかないか。それは現場の警察官の質の問題が大きい。そもそも警察という組織の問題でもある。警察官の定着率は低く、毎年が、大量採用・中途退官の連続。そのため現場には、条文をしっかりと理解していない警察官もいる。だからこそ、現場の警察官への研修の徹底が必要です。警察によっては、過去にネットに誹謗中傷を書かれたことで相手を摘発したケースはいくらでもあるのです」

 小早川理事長が経験した過去の事例では、ストーカー被害者の友人も出入りする加害者本人のSNS上に、被害者への中傷を書いた場合でも、警察が加害者に警告を出してくれた事例があったという。

「知り合いをおびき寄せ、名誉を害する内容を見られる状態にしたとみなしてくれました。このように、ひとりひとりの警察官が被害者を守るためにギリギリの努力をしてくれることを期待します」

 と小早川理事長。

今後は姿の見えない、人間関係のないストーカーが爆発的に増える

 2014年くらいまでは、リアルな人間関係が背景にあったというストーカー事件。相談に乗れば“謝ってほしい”“許せない”“会いたい”という言葉を聞いたという。

「そこに私たちカウンセラーが介入できた。ですが、SNSは人間が予期しない影響を与えるものです。被害者と加害者の距離が一気に短くなり、相手に接近したい欲求が暴走する。このスピードの速さはカウンセラーの介入の余地を残さない。今後は姿の見えない、人間関係のないストーカーが爆発的に増えると思うんです」

 規制が強化されても、また新たなストーカーが生まれ、次に対策を打ち出す……といういたちごっこ。いつ自分が巻き込まれるかわからない恐怖─。“ストーカーという病”に特効薬はなさそうだ。