'88年のSMAP結成当初、草なぎは11歳の小学生だった。四半世紀以上の月日をSMAPとして過ごした彼は、いつの間にか自分の主張を持った一人前の大人になっていた─
27時間マラソンの練習を行う草なぎ

「シンゴー! シンゴー!」

 '09年4月、草なぎ剛が泥酔して全裸になり、公園で暴れ公然わいせつの現行犯で逮捕された事件を記憶している人も多いだろう。連行されるとき草なぎが叫んでいたのは香取慎吾の名前だった。SMAP結成当時から仲がよいことで知られるふたりの信頼関係だ。

「草なぎさんの酒グセの悪さは有名で、以前から慎吾さんが草なぎさんの酒量を控えさせるストッパー役。ふたりでレギュラーを務めていたラジオ番組でも公然と“つよぽん、飲みすぎには注意してください”なんて言われてました」(ラジオ局関係者)

 草なぎは20代前半からこんなことを言っていた。

「昼間からビールを飲むのが好きで水やジュースと同じ感覚。友達から“お前、酒乱なんじゃないか?”と言われていたそうです」(アイドル誌記者)

 逮捕直後には、「深夜の街中でウォーと大声で叫びだしたり、足下をふらつかせながら、車道に飛び出したり。泥酔すると危なくてしょうがない」などというテレビ局関係者の声も聞かれた。

 '01年に起きた、稲垣吾郎の公務執行妨害による逮捕事件以来の不祥事。国民的アイドルグループから2人目の逮捕者が出たとあって、世間は騒然となった。事件後、稲垣は草なぎの自宅に2度うなぎを差し入れに訪れた。一方、木村拓哉と中居正広は、携帯電話に留守電があっても1度も折り返しをしなかった。

逮捕翌日に行われた会見で謝罪する草なぎ

 木村は「ここで電話に出ると謹慎の意味がなくなる」という配慮から。中居は人生に役立つ名言をまとめたものなど、本を3冊ほど送ったという。

 そんな中、慎吾は事件の翌日『SmaSTATION!!』(テレ朝系)で「みなさんに許していただけるのであれば、SMAPに1日でも早くつよぽんが戻ってくることを願っています」と涙ながらに訴え、毎日のように草なぎに電話して励ましの言葉をかけたという。

「ファンから約3万通の激励や刑事処分回避の嘆願書が届き謹慎中すべてに目を通していたようです。

 あとから事務所を通じて全員へ直筆のメッセージをコピーした返信をしており、まじめな性格で周囲の信頼が厚かったため、処分は最小限に食い止められました」(スポーツ紙記者)

 草なぎはひと月後に芸能活動を再開。その後、主演ドラマ『任侠ヘルパー』がヒットし、幅広い役柄を演じられる役者として評価が高まっていく。

 SMAPの末っ子コンビ“しんつよ”は3歳違いだが、お互いに年の差を感じることはなく「親友」だと公言する。11歳からSMAPとして活動している香取にとって、当時15歳の中居や木村は兄貴的存在。年の近い草なぎと仲よくなったのは自然なことだった。

 テレビ誌記者が振り返る。「お金がない駆け出しのころは、撮影所内の食堂でふたりで1つの納豆を分け合って食べていたこともありました」

 子どもらしい遊びも、もちろんしていた。

「10代のころは『アウターゾーン』(=ちょっと外行かない、の意味)など“兄貴”たちにバレない暗号を2人で考えたり、SMAPのコンサートの帰りに移動車の中でヒーローごっこをしたり。主題歌も即興で作って、ひとり何役もやって1、2時間も本気で続けているから、メンバーに“うるさい!”って怒られていたようです」(女性誌記者)

 また、香取が浪費グセのある草なぎの財布を管理しているという話も。もはや親友を超えて夫婦のような関係だ。

 草なぎはSMAPの中で人気に火がつくのがもっとも遅く、'97年の主演ドラマ『いいひと。』が平均視聴率20%を超えるヒットになったことが転機に。不器用でお人よし、正義感の強い主人公がぴたりとハマり、“いいひと”が草彅のキャラとして定着した。

 当時インタビューで、《人って言いたいことを言えないために回り道したり、考え込んだり悩んだりしながら生きてるんだよね。でも人間ってそういうもんなんじゃないかな》(JUNON'97年4月号)と話している。

 子どものころから人見知りで内気だったという草なぎ。小学校で、授業中に先生が出した問題の答えがわかっていても手を挙げられなかった。

「もし指されて発表することになったら、みんなに注目されて恥ずかしい。でも、クラスで目立っている人への憧れはすごく強かった、って言ってましたね。いつか自分も絶対そうなりたいって思っていたと」(前出・女性誌記者)

SMAP、西武ゆうえんでの一コマ

 そんな草なぎが一躍、脚光を浴びたのが器械体操クラブの時間。バク転もバク宙も、誰よりもうまく、このときばかりはヒーローだった。前出の女性誌記者が続ける。

「6年生最後の発表会ではライバルとふたりで『ウルトラマン前宙』という新しい技を生み出したそうです。

 手前に立っている支柱を飛び越えてから、地上に着くまでに前方宙返りするという難易度の高い技で、当日はライバルが成功。草なぎさんは着地が不十分で、悔しくて泣いたと言っていました」

 身体を動かすことだけは自信があった。中学1年生のとき、少年隊に憧れ、踊りだったら自分にもできるかもしれないとジャニーズ事務所に履歴書を送る。SMAPの一員に選ばれたが、内向的な草なぎは華やかなメンバーの陰に隠れた存在に甘んじてしまう。

「人気が出たのは『いいひと。』ですが、役者としての才能を開花させたのは'99年にヤス役で出演した舞台『蒲田行進曲』です。

 草なぎくんは感情を表に出すことが得意ではない。そこを演出家のつかこうへいさんは“君の中には魔物がいる。そこがすごくいい。感情の扉を開こう”とアドバイス。その結果、大化けし見事な演技に誰もが驚きました」(テレビ局関係者)

 ユースケ・サンタマリアと司会を担当した『『ぷっ』すま』は人気長寿番組に。『チョナン・カン』では韓国語を猛勉強。同時通訳ができるほどの語学力を身につけ、日韓交流に貢献している。またビンテージ・ジーンズのコレクターとしても知られ、知識は専門家並みだ。

 中居正広がかつて草なぎのことを「ひと言でいうと“一途”」と評していたが、素顔は決して軟弱なタイプではない。草なぎについて母親も「昔から男っぽい性格です」と語っている。それは本人にも、自覚があるようだ。

《自分がこうだって思ったら、たとえ誰に何を言われても、その道を行くみたいなところがあるんだよね。頑固なんです》(JUNON'93年12月号)

草なぎ剛と香取慎吾の年表その1
草なぎ剛と香取慎吾の年表その2