ひざをつき、被災者と同じ目線で激励されるスタイルは“平成流”('91年7月の雲仙・普賢岳噴火)

  『文藝春秋十月号』には、「皇后は退位に反対した」という見出しが躍っていた。

「内容には、会議で宮内庁参与とともに美智子さまが当初は摂政案を支持し、陛下の退位に反対したが、やがて賛成する様子がレポートされていました。

 宮内庁は、すぐには抗議や訂正の申し入れはしていません」(宮内庁担当記者)

 来春にはベトナムを公式訪問する予定が発表され、今までと変わらない精力的な日々を過ごされている天皇・皇后両陛下。

「美智子さまが、『生前退位』について面と向かって反対したり議論されたりすることは考えにくいと思います」

 皇后・美智子さまの“不賛成”にそう懐疑的なのは、皇室を長年取材するジャーナリストで、文化学園大学客員教授の渡辺みどりさん。

「昔から美智子さまは、陛下に寄り添い、時にはかばってもこられました。

 宮中の育児法や生活スタイルを改革してきたといわれる美智子さまですが、まず陛下にご相談し、それから昭和天皇と香淳皇后に話をあげていただいていました。

 陛下が考えた“譲位”という結論に、美智子さまも最初は驚いたかもしれませんが、反対されるようなことはないと思います」

 渡辺さんがそう述べるように、民間出身の皇太子妃となった美智子さまはご成婚後、特に家庭生活の面ではさまざまな風を吹かせてきた。

 放送大学教授で日本政治思想史が専門の原武史さんは、公務などの面にも影響を与えてきたとみる。

「昭和から平成になると、天皇と皇后が2人1組で必ず外国や地方を訪れるスタイルが完全に定着し、被災地などではひざまずき、同じ目の高さで話しかけるようになる。

 今回の生前退位についても同様、平成の改革には皇后が関係していると思います」

 そのような天皇と皇后の関係は次の代にも引き継がれるのではないかという。

「雅子妃はあまり外出ができない、祭祀はほとんどやっていないことが非難を浴びます。

 それは明治以降だけを見るからであって、明治以前を見れば天皇は行幸なんてほとんどやっていませんでしたし、宮中祭祀はほとんど明治以降に作られたものです。

 そう考えれば行幸や祭祀をやらなくても伝統的な天皇制には反しない。となると、むしろ、そこを大幅に見直すというきっかけになりえます」(原さん)

 お代替わりに伴い、雅子さまのご要望もあり、皇室のあり方や公務の内容が変更される可能性があるというのだ。美智子さまは'09年のご成婚50年に際しての記者会見で、皇室の伝統の引き継ぎについてこんなことを述べられていた。

「個々の行事をどうするかということは次世代の考えに譲りたいと考えます」