除染作業中の看板近くに放射能汚染ゴミを入れたフレコンバッグが並ぶ(楢葉町)

解除から約1年──楢葉町民の90%以上が避難したまま

 福島市と南相馬市をつなぐ福島県道12号線。9月下旬、飯舘村周辺では片側が一車線規制され、来年3月の避難指示解除に向けて大がかりな道路除染が行われていた。行き交う車はダンプトラックなどの工事車両が目立つ。

 2015年9月、全町避難した町として初めて避難指示が解除された楢葉町は解除から約1年がたつ'16年9月12日現在で、帰還した住民は681人。そのうち67%が60歳以上、町民の90%以上が避難したままだ。

 避難指示解除の約1年前、'14年7月に、町の中心部に『ここなら商店街』(仮設商業施設)がオープンした。そのスーパーを訪れ、1時間ほど客層を見ていると、9割以上が除染作業員・工事関係者だ。

 原発事故前からこの地域に配達している業者の男性(50代・いわき市)は、「震災前と今とでは、客層も、入れる商品も変わった」と話す。生鮮食品は売れ残りのリスクが高いため激減し、惣菜・弁当が増えている。

「国道6号線も、多くは工事車両。あとは作業員を運ぶバス。住民の車? 少ないなぁ」(前出の男性)

 唯一見かけた子ども連れの女性(20代)に話を聞くと、「楢葉町に住んでいるが、子どもの幼稚園はいわき市。毎日バスで通っている」と話す。町立の『あおぞら子ども園』はいわき市明星大学の仮校舎にあり、現在、楢葉町内に幼稚園・保育園はない。

「廃炉作業中に何かあったら、ここも危ない」

 同町内にある常磐線「竜田駅」は、現時点ではいわき方面から運行される常磐線の終着駅だ。その先には放射線量の高い「帰還困難区域」がある。

 駅の営業が再開された'14年当時は楢葉町の避難指示は解除されておらず、周辺に住民はいなかった。当時から駅に勤務する鎌倉守保さん(60)は、町の変遷を駅から見続けている。

「本当にいいところでしょう」と目を細め、「原発と放射能がなければ」と続け、苦笑いを浮かべた。

福島第一原発にいちばん近い駅・竜田駅に立つ駅員の鎌倉さん

 竜田駅の利用者は工事関係者が目立ち、住民であっても年配の人が多い。

「町の発表では(帰還者は)600人以上だけど、せいぜい400人くらいかな。週に3日自宅で、あとは避難先にいるとか、通っている人がいるからね」

 駅は、福島第一原発から15キロ、第二原発から6キロのところにある。

「チェルノブイリですら原発に近い町は住民を帰していないでしょう。廃炉作業中に何かあったら、ここ(竜田駅)も危ない。復興優先、帰還ありき、というのは大人の犯罪ですよ」

「解除の説明で潮時”…言っちゃいけない言葉だよ」

「すべてが震災前に戻るなら、戻りたいよ。でも、朽ちる家も放射線量も、仲間も戻らない。子どもも避難先で生活を成り立たせた。なんで俺らが今、帰還を決めなくちゃならないの?」

 富岡町から郡山市に避難している平良克人さん(49)はそう話す。

 富岡町は「早ければ'17年4月の帰還開始を目指す」としている。富岡町から東京都に避難している市村高志さん(46)もこう言う。

「避難者の多くは避難先から通っています。『通い復興』を認めず解除を急ぐことが、かえって住民と町との縁を切るきっかけになっている。本当は、機を待つ時間の確保が必要です」

 今年7月12日には南相馬市小高区の避難指示が解除された。避難指示区域は3つに分かれていて、「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」があり、「避難指示解除準備区域」から順に解除されていた。それに加えて、小高区は「居住制限区域」もまとめて1度に解除した。

「なんで3つに分けたの、と思うんですよ。放射線量で分けたんだったら、帰還の時期も差があるはずなのに、一緒に解除した」

 南相馬市小高区から避難中の男性(60代)は仮設住宅から地域に通い、変化を見守り続けた。7月に解除された小高区は解除前と比べ、さほど変化はない。

「解除の説明で現地対策本部の後藤さん(後藤収副本部長)が“そろそろみなさん、潮時なんじゃないんですか”って言った。言っちゃいけない言葉だよ。結局やっているのは“自己責任で戻れ”ってこと。国は、どうせ限界集落になるから手立ては不要、黙ってりゃなくなる地域だと考えているんじゃないかと思うよ」

 男性は、あきらめたように笑いながら言った。「原発は爆発したら特効薬なんてないんだ」と─。

原発事故とお金で変貌するふるさと

 全町民へ町独自に避難指示が出された広野町は、'12年3月に避難指示が解除された。避難をせずに営業し続けた高野病院の事務長・高野己保さんは、職員の確保が厳しいなか、地域に必要とされたからこそ何とか経営を維持してきた。しかし、「(復興にかける)お金は人も地域も変えてしまった」と話す。

 9月8日、福島県知事は定例会見で双葉郡の二次救急を担う県立施設『ふたば医療センター(仮称)』を富岡町に新設すると発表した。'18年4月開院を目指し、総事業費は約24億円。

 ところが24億円かけて作られたあと、数年後に閉院するという話がある。福島県の病院局によると、これまで県が経営してきた大野病院(大熊町・帰還困難区域)の再開か、それに相当する病院の新設が決まった場合、『ふたば医療センター』がどうなるのか現時点で不明だという。

「私たちのような民間病院にも動きようがあるのに、そこにはお金は回らず、24億かけて作る病院をいずれつぶすかも、って。“民間病院は遅かれ早かれ、つぶれても仕方ない”と思っているのかな

 高野さんはそうため息をつく。患者と医療者の信頼関係など二の次。民間病院のこれまでの努力も切り捨て、地域医療を翻弄する復興とは何なのか─。

 広野町は'16年8月現在、2818人、55%の住民が帰還している。だが、住民票を移さずホテルや宿舎に住む除染・原発作業員は「3600人把握しているが、それより多いのでは」(広野町役場)。震災前の5490人より町内は、見た目には人口が増えている。

 警察庁の統計では福島県内の犯罪件数が増えたというデータはない。しかし、治安に不安を感じる住民が多いのも事実だ。

「後ろから抱きつかれたとか高校生が襲われたとか、話は聞きます。表に出るケースは少ないのでは」

 前出・高野さんは変質者が出る噂を聞き、職員に注意喚起している。実際に、勤めていた派遣職員が下着泥棒に遭ったこともある。

 原発事故に翻弄され続ける住民の「本当に望むもの」が復興政策からは見えない。この性急な復興は一体、誰のためなのだろうか。

【コラム】自主避難者へ福島県の非情

 自主避難者にとって唯一の経済支援だった借上住宅の無償提供が'17年3月で打ち切られることが一昨年、福島県から発表された。いまだ住宅が決まらない避難者も多く、各都道府県も対応を始めた。

 そんな中、福島県は昨年11月、「住宅確保に必要な国への要請事項」を自治体から集めながら国に伝えていないことが取材で明らかになった。

 福島県は昨年10月末、各都道府県に、借上住宅打ち切り後の住宅確保の依頼文書を出した。「住宅確保策の実施に伴って必要となる国への要請事項を別紙によりお知らせください」とし、11月中の回答を求めていた。住宅の確保は自治体だけで対応できる場合もあるが、公営住宅においては国の通達なしには困難なケースもある。そのため各都道府県は依頼文書に「現住宅の継続入居を可能に(「特定入居」等)」「入居要件の緩和」「家賃や引っ越し費用の国庫補助(財政支援)」と回答。自主避難者の経済困窮を把握したうえでの要請だった。

 これに対し、福島県は「要請する予定ではなく、行き違い」と説明。一方、各都道府県の担当者は「福島県が国に上げる前提で書いた」「残念としか言えない」などと話す。

 自主避難者の支援に関わる福田健治弁護士は「避難先の都道府県は避難者と直接接しており、その要望は重い。福島県は何のために集約したのか」と憤る。不誠実な対応に「再び見捨てられたのか」という避難者の声も。福島県は誠意ある対応を示すべきではないだろうか。

<プロフィール>
取材・文/吉田千亜
フリーライター、編集者。東日本大震災後、福島第一原発事故による放射能汚染と向き合う母親たちや、原発避難者への取材を精力的に続けている。近著に『ルポ 母子避難』(岩波書店)