人はなぜ痴漢行為をするのだろうか?
 今年は、と振り返るにはまだ少し早いが、2016年はこれまでにないほど性犯罪が注目された年だった。元俳優の強姦致傷容疑、東京大学、慶応義塾大学の学生らによる集団暴行事件。強姦や集団での暴行は、性犯罪の中でも最も苛烈とみなされ大きなニュースになる。しかし、性犯罪は身近なところでも頻発している。その最たるものが、「痴漢」だろう。女性であれば誰にとっても無縁とはいえない犯罪であるにもかかわらず、痴漢の実態は意外なほど知られていない。電車や路上といった日常空間の中で繰り返される性犯罪の真相に、専門家とともに迫る。今回は、精神保健福祉士で社会福祉士の斉藤章佳氏に話を伺った。

 電車内で痴漢行為を目撃したら、あなたはどうするだろう? 女性を助け加害男性を駅員に突き出す人、見て見ぬふりを決め込む人。中には、被害女性を見て「あんなに短いスカートを履いているんだから、自業自得だ」とまゆをひそめる人もいるかもしれない。しかし、こう考える人もいるのだという。

「自分も、痴漢をやってみよう」

 精神保健福祉士で社会福祉士の斉藤章佳氏は、痴漢の実態を日本で最もよく知るひとりだ。彼が勤める東京・榎本クリニックでは、10年前から性犯罪加害者が社会で更生するためのプログラムを日本で初めて実践している。これまで多くの性犯罪者の治療に携わってきたが、その約半数を痴漢が占めている。

痴漢は未然に防ぐことが難しい

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

「その目的は、まず第一に再犯防止(リスクマネジメント)です。痴漢にかぎらず性犯罪は、家族など身近な人でも“彼は痴漢をしているのでは”と気づくことは滅多になく、未然に防ぐことが難しいのです。逮捕されて初めて発覚します。一方で、常習化しやすく再犯率が比較的高いといわれているため、一度捕まった人への再犯防止プログラムが、現在のところ唯一有効な予防策なのです」

 斉藤氏は日々、臨床の場で痴漢の罪を犯した男性らと向き合い、なぜ卑劣な犯罪に手をそめたのか、再犯を防ぐにはどうすべきかを共に考えている。

 その中で大きな課題となるのが、“認知の歪み”である。冒頭の例でいうと、痴漢行為の被害女性が駅に着くと何事もなかったかのように友人と談笑しながら降りていくのを見て、「女性はイヤじゃないんだ。むしろ喜んでいた!」と認識し、自身も痴漢行為を始める――あきらかに認知が歪んでいる。

「正常な人はそこで“痴漢をしていい”とは思いませんよね。認知の歪みとは、“性的嗜癖行動を継続するための、本人にとって都合のいい認知の枠組み”です。

 実際にその女性が笑っていたかどうかはわかりませんし、笑っていたとしても気づかれたくなくて無理をしていたのかもしれません。なのに“喜んでいた”と認知するところに、歪みがあります」

 痴漢を始める契機はさまざまだが、このようにひとつの痴漢行為が別の痴漢行為を生む例は少なくないと、斉藤氏は臨床や研究を通して気がついた。認知の歪みが連鎖するとは、恐ろしい。

「同時に、多くの痴漢は自身の行為を正当化するために“痴漢神話”を作り出します。たとえば、彼らはプログラムの中で自身の痴漢行為を次のように説明します」

・露出の多い服を着ている女性は痴漢されたがっているし、されても仕方ない。
・最初は嫌がるが、多くの女性は痴漢されているうちに気持ちよくなる。
・こんなに惨めな思いをしたのはすべて女性のせい。だから痴漢しても許される。
・妻とは長らくセックスレスだから、痴漢に走っても仕方がない。

「動機が性欲」は少数派

 とんでもない思考回路だが、彼らにとっては揺るぎない真実。ゆえに日常的に犯行を繰り返す。しかし、これは痴漢だけが信じている神話だろうか。被害女性に対して「露出度の高い服を着ているのが悪い」と思う人は少なくない。

 身近な女性に「そんな格好をしていると、男性に何されるかわからないぞ」と注意した経験がある人もいるだろう。悪意はないにしても、これでは痴漢神話に取り込まれているも同然で、さらに言うなら痴漢行為を暗に許容しているともいえる。

 性欲を持て余している男性が痴漢行為をする――これも社会に浸透している痴漢神話のひとつだと斉藤氏は断言する。

「駅のトイレなどでマスターベーションをして痴漢行為を完結させる人は、もちろん性欲という動機が背景にあると思われますが、実はこれは少数派。多くは行為中に勃起すらしていないという調査報告もあります」

 痴漢は、性犯罪である。起訴されるときの罪状は行為の内容によって決まるが、大別すると、

・衣服の上から身体を触る、自身の性器を押し付けるなど:迷惑防止条例違反
・下着の中に手を入れる、抱きつくなど:強制わいせつ罪

 となる。異性に無理やり性的接触をしておきながら、そこに性欲が介在しないとは不思議な話だ。では彼らはなぜ、痴漢をするのか。

「ひとつは“ストレスへの対処行動”という側面があります。仕事や家庭、人間関係でストレスを感じたら、多くの人は飲みにいったりスポーツをしたりドライブをしたり、自分なりに対処しますよね。でも自分より弱いものをいじめる、あるいは支配することで優越感を感じ、それによってストレスを軽減して心の安定を得る人たちがいます」

 それは、痴漢が狙う女性像にも表れているという。「痴漢がターゲットとするのは、実は性的魅力が強い女性よりも、おとなしくて何をされても抵抗しなさそうな女性が多いです。そんな女性は被害を訴え出る可能性が低いので逮捕のリスクを避けるためもありますが、それよりも、支配しやすいと判断していると考えられます」。

 プログラムを受けている男性らに調査すると、痴漢の間接的な引き金(慢性トリガー)として「上司」や「同僚」と申告する例は少なくない。決算期などの繁忙期に必ず痴漢をする例もある。「妻」との関係を引き金と考える人もいる。家庭内で居場所がないことが孤独感を助長し、それがストレスにつながっているのだろう。

 公私にわたって強い負荷を受けながら、彼らは日々、満員電車という非人間的な空間の中に閉じ込められる。

「痴漢行為は満員電車内でのみ発生するわけではありません。逃げ道を確保するために、空いている電車を選ぶ痴漢もいれば、路上、映画館、書店、プールなどを選ぶ痴漢もいます。とはいえ、最も発生しやすい場所は、満員電車です。駅員さんが乗客を押し込むレベルだと、もはや人が人として扱われていませんよね。そこでは男女ともに匿名の存在となります。責任の所在が不明確な空間は、彼らにとって非常に都合がいいのです」

 ネットの世界でも、匿名の掲示板ほどモラルが低下しやすい。匿名性が高まると人は大胆になり、狂っていくものなのか。

「小さな成功体験」でハマっていく

「そこでたまたま女性の身体に触れたけど、何も言われなかった。そんな、彼らにとっての“小さな成功体験”が重なるうちに、痴漢をするプロセスそのものにハマっていきます。捕まるかもしれない中で人を支配するスリルとリスクに興奮し、非日常的な達成感を得てスキルアップしていく。そして次の行為を再び渇望するようになる……。こうやって性的逸脱行動は常習化していきます」

 これを終わらせるには、逮捕しかない……と思いきや、

「少数ではありますが、逮捕そのものが次の痴漢行為の渇望となる人もいるから厄介です。捕まったのは自分がそのプロセスにおいて何らかのヘマをしたからと考え、だったら次はそこを回避して捕まらないようにしよう、という歪んだ認知があります。痴漢行為が悪いから捕まったとは考えないんですよ」

 逮捕後に起訴され、実刑を受けてもなお認知の歪みは直らない。まして、示談や罰金で終わる場合は、ますますその傾向が強まるという。

「彼らは“逃げ切れた!”と解釈するんです。示談金は多いと数百万円、少ない場合は数十万円程度で、家族にはバレるケースが多いものの、勤め先に知られることなく解決できます。失うものはおカネだけ。それは彼らにとって“失敗”ではないのです」

 痴漢の行動原理は、にわかには信じがたいものばかりである。彼らも多かれ少なかれ、生きづらさを感じているだろう。しかし、それを罪なき女性に押し付けることが許されるわけもない。そして、強いストレスを感じていても、多くの人は身勝手で卑劣な痴漢行為に手をそめない。

「痴漢とは、どういう人物だと思いますか?」と斉藤氏は問いかける。ぜひ読者の皆さんも一緒に考えてほしい。犯罪の背景にあるのが性欲ではなく、弱い者への支配欲とコントロールだというなら、痴漢とはガタイがよく粗暴な男性ではなく、女性とまったく縁のなさそうな気弱で陰湿な男性なのだろうか。

「ところが、実際の彼らは驚くほどふつうの男性で、見るからに逸脱していそうな人はほとんどお目にかかりません。当院に通院している男性の多くが、最終学歴は大卒、企業で正社員として働き、既婚者です。しかも、仕事熱心。家庭では妻から信頼され、子どもから“パパ大好き”と言われるような男性です」

 つまり、女性にとっては電車内で背後に忍び寄られても「まさかこの人が」と思う人物であり、家族にとっても犯行発覚後「なぜこの人が」と、にわかには信じがたい人物。女性には、いや、男性にも、性犯罪者=異常者であってほしいという願望があるのではないか。痴漢をするのは、自分とは違う特異な人間だと思いたい。どこにでもいる男性が痴漢をするということは、すべての男性が痴漢になる可能性を秘めているということにもなる。

 しかし、社会がどこにもいないモンスターを想定するほど、リアルな加害者像から遠ざかる。どんな人物が痴漢をしているのか見えていないから、対策も立てられない。

監視カメラは抑止力にならない?

東京・榎本クリニックで性犯罪加害者の再犯防止プログラムに注力する斉藤章佳氏(精神保健福祉士・社会福祉士)

「そうやって思考停止してしまうのは、加害者の策略にハマっていることになります。実態から目をそらさないことが痴漢撲滅の第一歩ではないでしょうか。たとえば痴漢が多いことで知られるJR埼京線は、車内に監視カメラを設置しました。これで痴漢をやめる人がいないとは言いません。が、当院のプログラム受講者にこれは抑止力になるか尋ねたところ、スリルを味わうゲーム感覚で痴漢をする人にとっては、“達成する難易度が上がった!”と亢進材料になるだろうと回答されました」

 痴漢を知ることでしか、痴漢は防げない。そのために、同クリニックでは、各専門スタッフが全力で、痴漢を含めた性犯罪者と向き合い再犯防止を目指している。次回は、同クリニックでは具体的にどんなことが行われているのか。それを通して見えてくる痴漢の内面とともにお伝えする。


<著者プロフィール>三浦ゆえ(みうら・ゆえ)◎フリー編集&ライター、富山県出身。複数の出版社を経て2009年フリーに。女性の性と生をテーマに編集、執筆活動を行う。『女医が教える本当に気持ちのいいセックス』シリーズや『失職女子』などの編集協力を担当。著書に『セックスペディア-平成女子性欲事典-』がある。