「発達障害」と歩んできた栗原類氏に語っていただきました
 8歳の時、当時在住していたNYで、「発達障害」と認定された栗原類氏。小学1年での留年、日本の中学時代の不登校、高校受験の失敗など紆余曲折を経ながら、なぜ芸能界という自分の才能を生かす場所を見つけて輝けるようになったのかをまとめた、著書『発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由』が話題だ。
 同じ障害がありながら、いつも栗原氏を信じて導いた母。アメリカの「発達障害」に対するおおらかな環境と、学んだ英語が自信になったこと、されて嫌なことを人にはしないと決めた、人として愛される生き方など。ADDの特徴である衝動性を抑え、苦手なコミュ力を克服し歩んできた今までを語っていただいた。

脳のクセを知り訓練すれば、人は変われる

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

 ADHD(注意欠陥・多動性障害)/ADD(注意欠陥障害)は脳にクセがあり、その独特のクセが日常の困難を引き起こしています。まずは自分の弱点を知ることが克服への第一歩となります。自分にとって何が苦痛なのか、何が苦手だと感じるのか、そして、家族や周囲の人は自分が引き起こす何で頭を抱えているのか、困っているのか、それを見極めることが重要です。

 僕の場合は、手先が不器用である、注意力散漫、集中力が低い、記憶力に問題があるなどですが、それらの弱点に関して、小学校低学年の時点で問題点を分析してもらえたので、何かを忘れたり、できないことがあっても、覚える訓練を始めることができました。

 しかし、訓練をしたからといってすぐにできるようになるとは限りません。実際、今でも克服できていないものがたくさんあります。8歳から発達障害と向き合ってきていますが、14年頑張ってもできないことはいまだに多いです。物事に長期的に集中することは簡単にはできないですし、同じミスを何度も繰り返します。だけど14年前、5年前、2年前、それぞれを振り返ってみると、その当時できなかったことで、今できていることはたくさんありますし、この先もきっと少しずつ変わっていくだろうと思うのです。

 生きていくなかではよいこともあれば、嫌なことも体験します。22年間、生きてきていろいろなことを体験してきました。よいことも悪いことも。でも、それらを忘れることが多かった。僕は、どんなに楽しいと思ったことも、反省すべきと感じたことも、すべては寝たら翌日にコロッと忘れてしまうのです。

 しかし、自分がやったことを何もかも忘れてしまうので、自分が昨日起こしたミスを、そのまま翌日また引き起こしてしまうことも多々ありました。

 さらに、自分がやったことが悪いことだったという認識がないため、またミスを起こす、という繰り返しになってしまいます。自分が何度も同じミスをするたびに、母には何度も同じことを指摘されて、手間をかけさせてしまいました。

 反面、嫌なこともどんどん通り過ぎていき、心的なストレスがかかりにくいというメリットもあります。発達障害には僕のように記憶力がすごく弱いタイプの人もいますが、逆にものすごく記憶力がよくて、物事を映像でとらえてどんどん記憶し、思い出すときは脳内で映画が上映されるように思い出す人や、聞いた話を一字一句頭に入れてしまう人もいます。そういう人達は大概、小さい頃から学校の成績も良くて優秀で褒められて育ってきますが、その反面、嫌なことも忘れられないのです。

周囲に自分のクセを伝え、協力を依頼する

 僕の短期記憶の悪さと、外の刺激に弱く脳が疲れやすくて、疲れると眠くなってしまったり人の話が頭に入ってこなくなることなどは、仕事関係者などに早めに伝えるようにしています。たとえば、疲れると集中力が異常に低下してしまう、判断力が鈍って正しく判断ができないことなどは、事前に言っておかないと、結果として周囲に迷惑をかけることになります。ただ、説明しても、すぐには理解されません。

 たとえば僕がTVに出始めたころ、「普通の人より体力もなく、刺激に弱いから頭も疲れやすい。疲れると大きなミスにつながる。他人に迷惑をかけずに責任を持って仕事を遂行できる許容範囲がほかの人よりも狭いので、その範囲を逸脱しないよう気をつけてほしい」と、前の事務所のスタッフに、僕と母とでお願いをしてありました。

 お仕事をたくさんいただけるのはとてもありがたいことです。せっかくいただくお仕事ですから、どの現場でも迷惑はかけたくない。だからこそ、何でもかんでもいただいたオファーはやらせていただくのではなく、きちんとできる範囲でスケジュール管理をしてほしい。そうでないと、結果としていろんな人に迷惑をかける可能性があるという話をしてありました。ですが、それでも結局仕事をどんどん詰め込まれてしまい、寝てはいけないところで居眠りをしたこともあります。

 周囲に迷惑をかけず、嫌な思いもさせずにわかってもらえればそれに越したことはないのですが、現実には無理だろうと思います。そもそも僕自身は、疲れていても頑張らなきゃいけないと思って毎日を過ごしているので、忙しくなって、頑張れば頑張るほど、その瞬間は「これ以上は無理だ」という客観的な判断ができません。そもそも疲れたときは、判断力がかなり落ちてしまいます。ゆえに、他人に迷惑をかけたくないと思っていても、自分が気づかないうちに迷惑をかける引き金を引いてしまうこともあります。

 だからこそ、自分で管理していくことを無理に進めるのではなく、できるだけ頑張りつつ、家族やマネージャーなど周囲の身近な人につねにモニタリングしてもらっています。周囲の人にきっちりチェックしてもらうことで、一定のパフォーマンスは保てるし、自分の力を最大限に発揮できる環境が整います。その環境がなければ、どんなに頑張ろうという気持ちがあっても、結果は出せないのです。

他人の立場に立つのは難しい。だから…

 発達障害の症状のひとつとして、「空気が読めない」ことがよく例に出されます。空気を読めないとは、他人が何を考えているのか推測できないことです。実際、他人の気持ちを推し量る能力が著しく低いし、それが人間関係における大きな壁となることも多いです。

 しかし、社会で生き仕事をしていくうえで、人間関係は避けて通ることはできません。それでは、人間関係を円滑にしていくにはどうすればいいのか。他人の気持ちを推し量る能力が低いので、スキルを上げる努力は頑張ってもたかが知れている。それよりも「自分がやられたら嫌なことは、他人には絶対にしない」という基本的なことを小さい頃から考えてきました。

 本当の意味で人間は、完全には他人の立場になんて立てないと思います。日本の小学校の道徳的価値観では、よく「他人の立場になって考えなさい」といわれますが、それは発達障害じゃなくても難しいですし、本当の意味では、その人の立場はその人じゃなきゃわからない。

 だからこそ、自分がやられたら嫌なことは他人にはしない。もう一歩進んで、自分がしてもらってうれしかったことは、誰かにしてあげられるようになりたいと努力をする。さらに一歩進んで、自分は嫌だと思わないけど、他の人はされたら嫌なのかもしれないという発想力を持つことが大切だと考えています。この3つは、小さい頃から母に言われてきたことでいつも心掛けています。とはいえ、3つとも成立させるのはなかなか難しいことですが…。

 僕は人の表情から感情を読み取ることが苦手ですが、それはやはり、僕自身が他人を観察する力と、他人に対する興味が弱かったからだと思います。他人の心の動きや、言葉の端々に表れる感情の変化、そういう日常の中で無限に発生する場面のほとんどを、僕は理解していなかったのです。

 舞台も含めてたくさんのお仕事に多大な時間を費やして取り組んでも、お芝居はなかなかうまくならないし、どう演じていいのかがわからないまま時間が過ぎ、どうすれば上達するのか試行錯誤しながらたどり着いたのは「読解力」というキーワードでした。

 少しでもたくさんの本を読んで、その情景を思い浮かべたり、そのキャラクターの心情を思い浮かべる。それらを繰り返すことは役者として避けて通れないトレーニングだと思いました。

 この「読解力」というのは本だけでなく、映画やTVドラマにもあてはまります。観ている映画の中で俳優の表情の微細な変化、それが何を伝えようとしているのかを読み取る読解力。俳優が発する台詞一つひとつ、声のトーンの微細な変化は何を表現しようとしているのか、不安なのか怒りなのか、そういった細部に至る表現を読み取る力も読解力です。おそらく、小さい頃から母にそういう部分は指摘されてきたとは思うのですが、それが実際に僕の頭で理解できるようになったのはここ最近な気がします。

芝居の勉強が、自分を助けてくれる

『発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

 小さい頃にこれに気付いていれば、もっと生きやすかったかもしれないと思います。人と接する中で、日々直面する他者とのコミュニケーション。相手の眼球が動いているのはなぜか、急に微妙に早口になったり、声が少しだけ大きくなったり、うわずったりする。他人が示している些細な不快感や居心地の悪さをその場でくみ取れれば、それ以上の溝ができないで済むのに、それがわからないからそのまま放置してしまったり、無神経なことを言ってしまったという場面は、僕が気付いていなかっただけでたくさんあったと容易に推測できます。

 そしてそれらの表情の変化を知る、理解するには、お芝居の勉強はとても有効だと感じるのです。こうした読解力の訓練も、お芝居の仕事だけでなく、日々直面する他者とのコミュニケーションの訓練に役立ち、僕が社会で生きていくための力のベースになってくれていると思います。少しずつですが、長い目であきらめず続けていこうと思います。


<profile>
栗原 類(くりはら るい)
Louis Kurihara
モデル・タレント・役者
1994年東京生まれ。イギリス人の父と日本人の母を持つ。8歳のときNYで発達障害と診断される。11歳のときコメディ俳優になりたいという夢が芽生える。同年日本に帰国。中学時代にメンズノンノなどのファッション誌でモデルデビュー。17歳のときバラエティ番組で「ネガティブタレント」としてブレイクする。19歳でパリコレのモデルデビュー。22歳の現在は、モデル・タレント・役者としてテレビ・ラジオ・舞台・映画などで活躍中。