エレファントカシマシ・宮本浩次 撮影/佐藤靖彦

「寒くないですよ、大丈夫」

 まだ、コートを手放せない3月上旬の取材。撮影現場に現れたエレファントカシマシの宮本浩次(50)は、いつものモノトーンの“白シャツに黒パンツ&ジャケット姿”だった。

「このあいだ、夜に長時間、仕事で外に立ってなくちゃいけなかったんです。風邪ひいちゃうかなと思ったら、かえって翌日から元気になっちゃって。人間って外気に触れたほうが元気になるんですね。皮膚が強くなるんだと本当に思いました」

 その言葉に甘えながら屋外での撮影を続け、インタビューのために室内へと戻る道すがらエレベーターに貼ってあったポスターを眺めながら、

「(いまの撮影で)韓流スターの気分を味わえました(笑)。いや、面白かったです」 

 気遣いの人に感謝した。

   ◇◇◇◇◇◇

 中学校の同級生である、ボーカルの宮本浩次とギターの石森敏行、ドラムの冨永義之。そして、冨永の高校の同級生であるベースの高緑成治の4人で、’88年3月21日にデビューを飾ったロックバンド、エレファントカシマシ。それから、30年。幾度の危機を乗り越えながらも走り続けてきた彼らを代表し、作詞・作曲も手がける宮本に語ってもらった。

――30年は、長かったですか? それとも、早かった?

『ファイティングマン』という曲はデビュー以前の33年前の曲で『今宵の月のように』も20年以上前。『俺たちの明日』も10年以上前の曲で、そう考えると長いんですけど、むしろあっという間でしたね。

 いま、30周年で過去を振り返る機会が多いんです。いろいろあったなと思います。それなりの時間は経てきているんだなと。でも、友達同士で夢中でやってきたって感じですかね。だから、あっという間」

――学生時代からの友達同士で、でここまで長く続くバンドもあまりないですよね。

「ユニットだと、ゆずは幼稚園からって聞くし、長くやっている人たちはいますよね。確かに、グループで4人となると、そんなに多くない。見ていると、長く続いているバンドというのは、音楽の仲間である以前に友達同士というのが多いみたいで。ぼくらも、そういうことがでかいですね。中学のときの思い出とか景色とか共有していますし。

 思い出したのが、石くん(石森)と中学生のときに、夜、ごはんを食べ終わった8時ごろに公園で待ち合わせをして、そこから公衆電話に行って、お互いの彼女の家に電話をかけたりしましたね。いまは、携帯電話やスマホがありますけど、当時は家からで。でも家から彼女のところに電話をかけるのは恥ずかしくて、公衆電話に行っていたんです。一応、彼女には伝えてあるんですけど、お父さんが出ちゃったりするじゃないですか、だから僕が石くんの彼女の家に電話をかけて。それが終わったら、石くんが僕の彼女の家に電話をかける。結構、くだらないんだけど(笑)、そんなこともやっていました。

 一歩間違えたら、なれあいになりがちだけど、そこはプロの仕事という一面がある。不思議な緊張感と友達同士という両方がありますね

ソロでなにかやりたいってことは、しょっちゅう思っています

――女性は、そんな男同士の友情に憧れがあります。ファンの方も、4人の友情関係がいいと話していましたよ。

「例えば、石くんはみんなが話しやすくて、(高緑)成治さんは誠実で、トミ(冨永)は兄貴肌。僕は、音楽的なリーダーであると同時に、4人の中ではいちばんやんちゃな感じ。独特の4人の空気感があって、それが当たり前のこと。もしかしたらファンのみなさんのほうが、僕たちのことをよくわかっていて、素晴らしい関係性に見えると言ってくれているのかもしれません」

エレファントカシマシ・宮本浩次 撮影/佐藤靖彦

――その友情関係に、亀裂が入ったことは? グループを離れようと思ったことはなかったのでしょうか。

「40代前後になってきたときに、だんだん体力がね。10代とか20代のときと比べるとなくなってきたなと。当時は、100本くらいタバコ吸っていたから咳きこんだりすることが増えてきたり。30代後半ごろから2時間のライブが終わって家に帰ると、1時間くらい咳が止まらなくなったりして。タバコの吸いすぎでね。

 ドラムのトミが、入院するくらいの大きな病気になって、ライブツアーを休まなくちゃいけなくなったり。自分も’12年に左耳が半分、たった2週間で治っちゃったんだけど、ほとんど聞こえないときがあったんですよ。そういうことが起こってみると、なるほど、健康って大事だなと。改めてね。そういう、不可抗力なことありましたけど、やっぱり僕もメンバーも骨の髄までバンドで音を出すことが好きだから。

 でも、ソロでなにかやりたいってことは、しょっちゅう思っています。ただ自分は、バンドの中で自分を生かせると最終的に思っているから。

 30歳前後の4人の写真をいま見ると、なかなかのね、イケメンですよ。昔の写真見てください、ぜひ(笑)。当時はそういうふうに思っていなかったんだけど。だいたいバンドの人ってボーカルだけカッコよくて、あとの人はよくわからないって多いけど、その中にあって、4人それぞれ主張のある存在感を持っているっていうのはね。しかも、表面上だけじゃなくて、内面も。そういう自覚を持った4人じゃないかと思います。先ほど奇跡の出会いとおっしゃってくれましたけど、幸せにいい仲間と出会っていると言えると思います」

続けられていることで、僕は祝福してもらっていると思っている

――“奇跡の仲間”とともに作った曲を集めた初のオールタイムベストアルバムが発売されましたね。デビュー30周年にちなんで30曲を宮本さんがセレクトされたとか。どんな基準で選ばれたんですか?

「わかりやすいといいなと思って。『今宵の月のように』が最大のヒット曲だし、『四月の風』とか『悲しみの果て』とか。エレカシの基礎と呼んでいるんですけど、自分たちの代表曲を集めました。ここから歴史もわかるし、聴いたことのある曲、気に入ってくれる曲もあると思います

――中でも、印象的な曲は?

「例えば『今宵の月のように』は、デビューして7年くらいでレコード会社との契約が切れて。ヒット曲を出したいと思っているときに新しいところと契約して、初めてのドラマの主題歌としてテレビから流れてきたときは本当にうれしかったですね。『四月の風』もやっぱり契約が切れて、1月に赤羽の団地の部屋の中で、風邪をひいて布団をかぶりながら“何かが起こりそうな気がする”って作って、当時はメンバーもバイトしたりしてね。ギリギリの思いの中から出てきた言葉でしたよ」

エレファントカシマシ・宮本浩次 撮影/佐藤靖彦

――だからこそ、エレカシのヒット曲は聴く人の背中を押してくれるものが多い気がします。

僕は天職だと思っています、歌が。うまいかどうかはわかりませんが、説得力があるんだと思うんですね。それはどうしてかというと、そのときのなるべく精いっぱいで歌いたいと思っているからで、これは訓練でできることではないと思うんです。

 小学校のときに、母親がこの子は歌が好きそうだからNHKの合唱団に入れちゃおうって。そのまま歌手になって(NHKみんなのうた『はじめての僕デス』で歌手デビュー)、母親の力って、相当なもんだなと思います。NHKの合唱団って、本当に厳しい試験があって、なおかつ、みんなの歌で歌ったりして、そういう経験値も結果として生きていると思うんですよ。そういう意味では母親に感謝ってこともあるんです。

 大人になって、歌が好きで、いい仲間と出会って、なんとかやっていけている。デビュー30周年って、週刊女性さんは60年ですけど、続けられていることで、僕は祝福してもらっていると思っている。だから、いまは、誇りに思っていいと思っているし、そういう気持ちでこれからも、歌っていこうと思っています

――50歳の宮本浩次が考える、この先の年の重ね方は?

「実は答えって、自分でわかっているのかなというところもあって。自分のやりたいこと、僕は主に音楽だと思うんだけど、これがやりたいっていうのをしっかり自分でわかったうえで相応の、いまの自分としての精いっぱいを出し続けられるようにしたいですね。若いときと違って、無理がきかないから、シンプルに」

エレファントカシマシ・宮本浩次 撮影/佐藤靖彦

――過去にインタビューで“苦手だ”と、語っていたことのあるラブソング。やりたいことの中には、ラブソングを作ることも?

「『やさしさ』っていう曲を16歳ぐらいのときに作って、この曲が本当にいいラブソングだと思っているんです。今回のアルバムにも入れたかったんだけど。でもね、例えばユーミンの『翳りゆく部屋』(ベストアルバム収録の唯一のカバー曲)みたいな曲をオレに作れるのかな? 

 いつもラブソングって作りたいと思っていて『今宵の月のように』を作ったとき、ドラマの主人公が江角マキコさんだから、女性の歌を作ってくれと言われたけど、完成したら男の歌になっていた。素晴らしい歌だって評価してもらえたのと同時に“宮本くんは母性の強い女の子にしか訴えかけないから、ふつうの女の子にも聴いてもらえるラブソングを作れたらいいね”って言われたんです。いつも憧れているんだけど、本当の意味でのラブソングって作れるのかなと思っちゃうんです。ちょっと悩みの種でもあるんだけど。作りたいですよね、究極のラブソングみたいなものを。向いている、向いていないは別として。

 理想とする恋愛のイメージはありますけど、でも、これはべつにウソじゃなくて夢物語の中でしか、そういうものは存在しない気がします。理想の世の中がいつまでたっても現れないのと同じで。理想の女性も、夢の中の世界のことかもしれない。

 これ、別にカッコつけているわけでもなんでもなくて、本当にいいコンサートができたり、いい歌ができたと思った瞬間以上のよろこびが、この世の中にあると思えないのね。

 助けてもらいたいとか、優しくされたいとか、傷を癒してもらいたいとか、楽しい時間を共有できたりとか、そういうパートナーって絶対に必要だと思う。でも僕にとっては、スポットライトを浴びたあの、さいたまスーパーアリーナで1万5000人の前で歌って、みんなが“ワー!!”って言ってくれる歓声以上の快感がこの世の中にあるんだろうかと思ってしまう。すみません。すごくまじめに答えちゃった。(テレながら)ハハハ」

宮本をひも解く3つのキーワード

■中国茶

「25年くらい前に烏龍茶ブームがあって、そのときにモロ好きになりまして。当時はお茶屋さんもいっぱいあったんです。いまでも残っているのは、原宿に1軒くらいしかなくなっちゃったんですけどね。

 急須がすごく好きで、あの小さい。モノとして魅力があって。カバンとか靴とかと置き換えるとわかると思うけど、“究極の何か”を探し続けるよね。僕の場合は“究極の急須”を探求したんですよ。そして、清の時代のモノと出会ったら、ピタリと物欲が止まりました。骨董品の急須は、偽物と本物がある。好き、キライじゃなくて、本物か偽物かの鑑定眼がつくまで自分で集めて研究したくなっちゃうんですよ。だから、ぜんぶ偽物を買っちゃったときもありました(笑)」

エレファントカシマシ・宮本浩次 撮影/佐藤靖彦

■神保町+電車

「神保町にはよく行きます。最近はそうでもないですけど、1か月に1回は。僕、昭和、明治、大正の小説家にすごく憧れていますから。夏目漱石、芥川龍之介、森鴎外。森鴎外の歌を作っちゃったくらい。神保町は、本屋がたくさんあって、すごく個性があって素敵な街で古い本を売っている。なにか発見があるんですよね。

 電車は、本を読めるからと、やっぱり人を見るのが好きで。基本(移動)は、電車なんです。騒がれる? オレのことなんて、知らないですよ。知らない。テレビにそんなに出ているわけじゃないし、大丈夫。今日も、もちろん電車で来ていますし、電車で帰るんです。レコーディングとかのスタジオ作業のときや、夜遅くなっちゃうときは車なんですけど、ふつうの取材とか個人的な移動だとほとんど電車です。駅の階段を歩くのが好きなんですよ。それくらいでしか運動をしないと思っていて、無理やり階段を駆け上がったりします」

■最近、ハマっているもの

「服ですかね。いままで、あんまり考えたことなかったんです。一応、白のシャツに黒のパンツとかって、これまでにも考えてきてはいるんです。ただ、このスタイルの中にもいろいろなものがあると気づくと、服を見るのが好きになりましたね。

 今日も無理やりネクタイしてきたりして。ネクタイの結び方とかも、あまり知らなかったんですけど、ちゃんとスタイリストの方に聞いて、自分で結べるようになりました。年齢が高くなったからというのもあるんだけど、服を意識しようかなと思います。今日は、似たような服で来て、似たような服に着替えました。

 プライベートでも、白と黒が多いですね。黒って、改まった感じがしちゃうから、ちょっとそうじゃなくてもいいのかなと思ったりもしているんですよ。自分の好きな服を、しかもエレガントに着て、素敵って思ってくれたら、ますますいいわけだし、そうやって意識していこうと。(髪の毛をクシャッとしながら)これもやらないようにしています。精神的には、これやるとかなり落ち着くんですけど。でも、ここぞというときはキメるためにぐしゃぐしゃにしますけどね」

 

<作品情報>
30th Anniversary
初のオールタイムベストアルバム
『All Time Best Album THE FIGHTING MAN』
デラックス盤(2CD+ボーナスCD+2DVD+ブック)12000円+税、初回限定盤(2CD+1DVD)4200円+税、通常盤(2CD)3000円+税

<ライブ情報>
初の47都道府県を回るツアーを開催!
デビュー日の前日(3月20日)に開催した、初の大阪城ホール『デビュー30周年記念コンサート“さらにドーンと行くぜ!”』を皮切りに、『30th ANNIVERSARY TOUR 2017“THE FIGHTING MAN”』がスタート! 4月8日 東京・北とぴあ さくらホールから12月9日の富山・富山オーバード・ホールまで。