麗禾ちゃんの手を引き幼稚園の運動会に参加(‘16年10月10日)

 6月22日の夜、家族に見守られながら乳がんのためこの世を去った小林麻央さん。夫で歌舞伎役者の市川海老蔵は、23日に行われた記者会見で涙ながらに記者からの質問に答えた。

 来年、小学生になる5歳の娘・麗禾ちゃんと4歳の息子・勸玄くん。早すぎる母との別れはあまりにつらかったはずだ。会見で海老蔵は、

麗禾は昨日ずっと麻央のそばを離れませんでした。そして彼女の横でずっと寝ると言って、寝ていました。(亡くなったと)認識していると思います。

 勸玄はまだ……。わかっているのですけれど、わかっていないところもあって

 と明かしている。

 7月3日から歌舞伎座で始まる『七月大歌舞伎』では、白狐の役で父と宙乗りに初挑戦する勸玄くん。だが、麻央さんは当初、息子が舞台に上がることに反対だったという。

自分が息子のフォローをできないこともあり、出演はやめたほうがいいと話したそうです。でも、“かんかん”こと勸玄くんが“ママのために頑張る。出たい”と言うので、麻央さんは舞台を見に行くことを目標に頑張っていたそうです」(成田屋のご贔屓筋)

 だが、その願いが叶うことはなかった……。

 歌舞伎の宗家である成田屋の長男として生まれ、ゆくゆくは『團十郎』の大名跡を継ぐであろう勸玄くん。当然、麻央さんも梨園の妻として、その重責を感じとっていた。

勸玄くんをセレブ託児所に通わせる麻央('14年9月)

「息子さんが1歳半のころ、ご自宅から車で15分ほどのセレブ託児所に預けるようになったんです。ここはお受験に特化し、1日10時間ほどの保育で授業料は年間200万円ほど。

 祖父の團十郎さんと海老蔵さんが通われた私立幼稚園に入園させるのが目標でしたが、それ以上に麻央さんは、役者として親離れができるようにと望んでいたようです。

 ですので、お姉さんの麗禾ちゃんは通わせていなかったですから」(梨園関係者)

 託児所へは主に麻央さんが送り迎えをしたが、海老蔵もときどき姿を見せていたという。ふたりが真剣に子育てしたからこそ、息子は舞台に立つことを強く願ったのだろう。

'15年11月に勸玄くんは初お目見えをしましたが、そのために麻央さんは抗がん剤治療を一時中断して付き添っていました。

 後日、海老蔵さんは25日間通い続けた麻央さんのことを、“かんかんの初お目見えということで、覚悟を決めていた”と、自分の体調より梨園の母としての責務を選んだことを明かしています」(全国紙記者)

 約2000人の観客を前に大声で「ほりこしかんげんでごじゃります~」と挨拶すると、客席からは割れんばかりの拍手と「成田屋!」「勸玄くん」とかけ声が。劇場で見ていた麻央さんはその姿を毎日のように目に焼きつけていた。

「普通にママらしいすることがこんなに楽しいとは」

 だが、彼女の体調は日を追うごとに悪化していく。'16年9月には、乳がんだけでなく肺や骨に転移していたことを明かしている。

昨年10月に退院してすぐ、幼稚園の運動会に参加したんです。麗禾ちゃんと勸玄くんを応援し、運動会が終わるとママ友家族4組くらいで、幼稚園近くのそば屋さんでランチ会をしたんです。

 久々に子どもたちやほかの家族と接して、“普通にママらしいことをすることがこんなに楽しいなんて思わなかった”って話していたのがとても印象的でした」(ママ友のひとり)

 全身全霊で子どもたちを愛した麻央さん。だが、幼い2人の“普通のママ”であることも、もはやかなわなくなってしまった。

「実は役者として成長していく中で、母の存在というのはすごく大きい。

 芸は父親から学びますが、ご贔屓筋との付き合い方や礼儀などは、母親から教わることも多く、妻をめとるまでは母が後援会を支えなくてはなりません。ゆくゆくは團十郎を襲名する勸玄くんの行く末を本当に心配していた」(前出・成田屋のご贔屓筋)

 そして、思い悩んだ末に彼女が始めたのがブログだった。

同じがん患者を勇気づける目的もありましたが、“歌舞伎ファンやそれ以外の方々が、かんかんのお母さんになって支えてほしい”という思いもあったんです。

 日本中の人がブログを読んで、自分の息子のように勸玄くんを応援してほしい。そんな切なる願いを込めて、子どもたちをブログに頻繁に登場させたんですよ」(同・ご贔屓筋)

 “子どもを支えたい”という旅立つ母の精いっぱいの思いが、痛みと闘いながら日々、ブログを綴る原動力になったのだろう。

 彼女が残した9か月間の足跡はきっと多くの人の気持ちを動かしたはずだ。