暴行事件後、臨月にもかかわらず義母とご贔屓筋を訪問('11年6月)

 婚約会見で心に響いた言葉を聞かれて「来世も再来世も一緒にいよう」と答えた小林麻央さん。だが、こんなに早く別れが来るとは……。

海老蔵といえば、女優と浮名を流し、隠し子もいたほど。なので、彼女の交際に反対した人も多かった。ですが、彼の一途な思いで、結婚に至ったのです」(芸能レポーター)

 '10年3月3日に結婚。だが、結婚してすぐは夜遊びする海老蔵の姿が、よく目撃されていた。そんな中、'10年11月25日に起こったのが、西麻布暴行事件だ。

「彼は顔面全体に全治2か月の大ケガをし、公演は中止。CMもすべて打ち切りとなりました。それでも麻央さんは夫を責めるようなことはひと言も言わず、身重ながら必死に看病したんです。また、謹慎中の海老蔵に代わり、ご贔屓筋にも義母の希実子さんと謝罪行脚に出かけていたのです」(スポーツ紙記者)

 『週刊女性』も'11年6月30日に、翌月に仕事復帰する夫のため、都内のご贔屓筋を義母と巡る麻央さんを目撃している。臨月にもかかわらず、1軒1軒、訪問していた。

それまでは、希実子さんは彼女を頼りなく思うところもあったそうです。しかし、皮肉にも暴行事件での対応が、梨園の妻として姑の信頼を勝ち取ったのです。麻央さんにがんが見つかったときは、“私がなればよかったのに……”と言ったくらいですからね」(成田屋のご贔屓筋)

 妻の献身的な姿に夫は生活態度を改め、より歌舞伎に精進することに。だが、病魔が静かに彼女を襲っていく。

「がん発覚後、海老蔵さんは妻のために、ありとあらゆる治療法を探しては試していました。酵素風呂や水素温熱免疫療法、ハイパーサーミアと呼ばれる温熱療法など……。彼は昨年夏までもたないと医師に言われたことを明かしていますが、1年近く延命したのも、夫の愛情のおかげだと思いますよ」(松竹関係者)

 そして、その愛は歌舞伎界全体にも及んでいる。

「海老蔵さんは次世代へ芸を継ぐこと、つまり勸玄くんと同じ世代の役者を育てることに本気になっています。市川右近さんに途絶えていた右團次を襲名させ、息子のタケルくんに右近を継がせたのも、彼が主導して周囲を説得した。

 妻が病に倒れたことで、どうすれば役者になる息子を守れて、誰が支えてくれるのかを真剣に考えたのだと思います。それが、歌舞伎界の底上げにつながっている。そんな夫の姿を見て、麻央さんはとても頼もしく思ったに違いありません」(前出・松竹関係者)

 今際に「愛してる」と残した麻央さん。それは、芸道に生きる夫への叱咤激励だったのかもしれない─。