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ー 金萬福さん「“会いに行ける料理人”だよ(笑)」
金萬福さん

「会いに来てくれたら、ホントにうれしいねー!」

 そう満面の笑みで話すのは、『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京系)で一躍ブレイクした金萬福さん。

金萬福さん「“会いに行ける料理人”だよ(笑)」

 ハイテンションなキャラクターはそのままに、現在は中華料理店「王牌」グループの総料理長として、東京・赤坂店の厨房に立つ。

「2007年から、僕は宇都宮東武ホテルグランデ『竹園』の総料理長を15年務めていたんだけど、'23年からは『王牌』でメニュー開発などもしながら鍋を振ってる。そろそろ僕は70歳。お客さんと触れ合いながら料理を作りたかったし、安い価格帯でおいしい中華を楽しんでほしいって気持ちがずっとあったの。新しいチャレンジね!」(金さん、以下同)

 その言葉どおり、「王牌」のメニューはリーズナブルでバラエティー豊か。香港生まれの金さんが日本に伝えたという「海老マヨネーズ」はもちろん、昨今話題を集める本場の味に近い“ガチ中華”など逸品がずらりと並ぶ。

「実は、僕は日本じゃなくてサンフランシスコに行く予定だったの」

 13歳で中華料理の門をたたき、若くして香港の名店の料理長を任されるなど、そのキャラクターに反して(!?)、エリート街道を歩んできた金さんに転機が訪れたのは、20代前半のとき。

「海外で料理を作ってみたくて。サンフランシスコに中華料理店ができるというので契約して、お金までもらっていたの。でも、ぜんぜんお店ができない!(笑) 前のお店は辞めちゃってるから、このままだと無職になっちゃう。友人の周(富徳)さんの誘いもあって、日本に行くことにしたんです。海外経験をしてみたかっただけだから、3年くらいで帰る予定だったの」

 ところが、『浅草橋ヤング洋品店』が運命を変える。「中華大戦争」と題されたコーナーに登場するや、逆さづりになって野菜を切る、口から火を噴くなどのパフォーマンスが話題を呼び、時の人となった。

「毎回、死ぬと思った(笑)。むちゃくちゃ! でも、すごい楽しかった。香港に戻る気持ちもなくなっちゃった、アハハ! 当時、僕は『新横浜プリンスホテル』の料理長だったんだけど、あまりに過激なことをするから、メディアに出るのをやめるか、料理長を辞めるか選んでくれって言われて。結局、料理長を辞めたんだけど後悔はないよ。浅ヤンのおかげでいろんなことを経験できたし、たくさん友達もできたから」

 ブームが落ち着いても、腕に覚えがある金さんは鍋を振り続けた。長らくホテルの料理長を務めていた反動で、「今はお客さんと近い距離で中華料理を提供したい」と声を弾ませる。「炎の料理人・金萬福 Official Channel」(YouTube)では、本格中華の作り方のコツなども伝授する。

「今は赤坂店にいるから、僕は“会いに行ける料理人”だよ(笑)。まだまだ中華のこと、日本に伝えたい。食べに来てねー!」

金萬福さん(きんまんぷく)●1954年香港生まれ。13歳のときに中華料理の世界へ入門し、1976年香港「鳳凰酒楼」の料理長となる。1989年、甲府富士屋ホテルの料理長就任を機に、国内有名ホテルの料理長を歴任するように。'90年代前半に出演した『浅草橋ヤング洋品店』でタレントとして開花。

取材・文/我妻弘崇