「きょうだい役の男の子たちや、綿引さんのマネージャーさんもいる中でスタッフの方から“おまえ、人の物を盗んでたんだってね。

 スタッフみんな『こいつが泥棒か』と思って撮影してきたんだよ”と言われたんです。

 隣にいたきょうだいたちはみんな事情を知っているのに“待子はそんなことしないよ”って、誰ひとり言ってくれなかったんですよ。

 その瞬間、これまでひとつひとつ築いてきた『天まで』の8年間はなんだったんだと。裏切られた気持ちでいっぱいになりました。私は人の物を盗んだこともないのに、そんな終わり方ないでしょって。

 ドラマの設定は家族なのに、なんでここまで温度差があるんだろうと思いました」

 ショックを受けたまま、ドラマは終了。その2年後にはあの殺人事件が起き、PTSDになってしまう。

そんなとき、五郎役の須藤公一さん(以下、五郎)から有楽町で食事会をしようと連絡がありました。そこに行くと、みんながいる前であるプロデューサーさんから、“コイツ、頭おかしいから”と言われたんです。そのときも、周りはフォローすることもなく、“もしかしたら私が盗んだ?”という錯覚に陥るくらいの精神状態でしたね

 『天まで』のメンバーに最後に会ったのは、9年前に亡くなった三男・公平役の金杉太朗さんのお葬式だった。なぜなら、彼女は2年後に行われた20周年のパーティーに参加できなかったからだ。

「'10年ごろに五郎から“食事会があるから”と連絡が入ったんです。ただの食事会だと思ったので、病気を治すことを優先して、行かない旨を伝えたんですよ。

 それで当日みんな集まっているところに電話をしたんです。綿引さんに代わってもらったら“待子なにやってるんだ? 脚本家の方も目が見えてないのに来ているんだ”と言うんです。ほかの人とも話していたんですが、途中でいきなりブツッと五郎に電話を切られたんです」

 その後、ツイッターを見て、そのときの食事会が20周年のパーティーだったと気づく。

「私、そんな大きいパーティーだなんて知らなかったんです。もし知っていたら、関係者の方々にお礼しに行っていました。なんで私はこんな仕打ちを受けないといけないんだろうと。そこから、お酒の量が増えてしまったんですね。ちょっとしたことでも、ダイレクトで体調が悪くなってしまうことが多々ありました」

 そして'11年の東日本大震災のとき、『天まで』の監督から五郎にきょうだいの安否を確認するよう連絡があり、彼から連絡が来たのだが……。

そのメールには《みんな待子のことが嫌いだから》と書いてありました。そんなこと言う必要があったのでしょうか。五郎はいつも私に突っかかってくるんです。今から6年前ですか……。それが本当に『天まで』の関係者との最後のコンタクトとなりました

 心を整理するかのように静かに語る。

今は、幸せに暮らしています。お酒もタバコもやめました。普段は自分で発信できないから、こういう場を借りて、ファンの方には応援してくれてありがとうと言いたい。そして、今、私はとにかく元気だということを伝えたいです。でも、芸能界に復帰することは考えていません

 とはいえ、きょうだいが集まった『爆報』にゲストとして参加するくらいはできたはず。なぜ、呼ばれなかったのだろうか?

「実は番組ではPTSDのことなどを語ってもらおうと、何度か彼女に出演のオファーを出していたんです。でも、ことごとく断られてしまい、今回もダメだと思ってオファーをしなかったのかもしれませんね」(TBS関係者)