収監中に起きた転機

原田 さまざまな苦難を乗り越えて、政界への復帰を果たしているのは本当にすごいですよね。刑務所に収監中から今後のことを考えていらしたんですか?

鈴木 実は、私が収監されている最中に政界へのカムバックを強く志す出来事があったんです。それは2011年3月11日に発生した「東日本大震災」。その日私は、栃木県喜連川にある刑務所で業務を行っていました。栃木は震度6だったのですが、今まで体験したどの地震よりも強い揺れでしたね。翌日にはリアルタイムでテレビを見ることが許されました。

 そこに映っていたのは、大きな津波に流される人々の姿。お母さんが一生懸命、子どもに手をのばしても、津波によってふたりが引きはがされる……。なんてひどいことだと涙が出てね。

原田 (涙をこらえる)

鈴木 ここにいては何もできない。どうにか刑務所を早く出て、みなさんの力にならねば、と思ってから一気に吹っ切れたのを覚えています。東日本大震災は私のターニングポイントのひとつです。

原田 鈴木先生の人生には、ターニングポイントが何度も訪れているんですね。

鈴木 ターニングポイントはほかにもありますよ。まずひとつは、私が秘書をしていた中川一郎先生が亡くなられたとき。

 次が逮捕されたときで、もうひとつが保釈された直後に胃がんが見つかったとき。2年ぶりに検査をしたら、スキルス性胃がんでステージ3という診断が出ましてね。翌月には選挙を控えていたので出馬するつもりでしたが、娘に止められて諦めました。

 手術直後、主治医に「がんの転移はない」と言われ、女房はとても喜んでいました。一方の私は「それなら、選挙に出ておけばよかった」と呟いてしまい、女房にピシャッと叩かれたらしいんですよ。私は麻酔で朦朧としていて覚えてないんですけどね(笑)。

原田 ハハハ(笑)!

鈴木 ただ、がんになったことが一概に悲劇とは言い切れないんですよ。権力闘争に負けた鈴木宗男が、今度は病気に追い打ちをかけられたという同情の声が聞こえるようになったんです。

原田 ゆるぎない信念が周囲に伝わったんですね。

鈴木 その後2回もがんが見つかりましたけどね。でも、なんとかなっちゃった(笑)。

 私は逮捕や病を経験して、気がついたことが3つあります。ひとつは、自分の信念を貫き通せば、誰かが見てくれること。ふたつ目は、家族や友人、応援してくれる人の大切さ。最後は“目に見えない力に生かされている”という感謝の気持ちを持つこと。

 お天道さまは努力している人を見てますからね。原田さんも「原田がんばれ」と言ってくれる人を大切にしていれば、きっとこれからも心配いりませんよ!

原田 先生の人生には、かなわないですが……。素晴らしいアドバイス、ありがとうございます!

本日の、反省
鈴木先生の経験からくる言葉のひとつひとつに深みと重みがあり、心にしみ渡ってきました。人間力がある鈴木先生だからこそ、想像を絶する苦難を乗り越えられたように思います。負の試練が与えられてマイナスに落ちる人もいれば、自分の力でプラスにもっていける人もいる。鈴木先生は間違いなく後者ですよね。何より、自分だけをよりどころにせず家族や友人への感謝を忘れない姿勢は本当に素晴らしいです。ファンになりました!


はらだ・りゅうじ
1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、トレンディードラマから時代劇などさまざまな作品に出演。現在は俳優業にとどまらず、バラエティーや旅番組に多く出演し、活躍の幅を広げる。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。

すずき・むねお
1948年、北海道生まれ。1970年に拓殖大学政経学部卒業。在学中から中川一郎衆議院議員の秘書を務め、1983年に衆議院議員初当選を果たし、さまざまな公務に尽力するも、2003年にあっせん収賄罪で逮捕されて世間をにぎわせた。2019年に参議院議員当選し、9年ぶりに国政復帰。北方領土問題に精力的に取り組む。長女は鈴木貴子衆議院議員。

取材・文/大貫未来(清談社)