前著出版の際にも、さまざまな雑誌やテレビのインタビューに答えていたが、どれも着物を着た貴月の後ろ姿ばかりだった。

 だが、遡ってみれば、そもそも“養女”の存在が明らかになったのは、健さんが亡くなった直後で、健さんの遺族との間に勃発した“トラブル”が世間を騒がせた。

ようやく健さんに手を合わせられる場所が

「健さんと貴月さんの関係はごく一部の関係者しか知らず、実妹が知ったのは死後半月たってから。健さんの訃報すら、実妹や甥っ子、姪っ子には知らされず、貴月さんの指示で親族は誰も密葬にも参加できなかったのです」

 貴月の言動は、幾度となく遺族に混乱をもたらした。

「荼毘に付したという健さんの遺骨を求める遺族に対し、“海に散骨した”と説明。遺産をすべて相続した貴月さんは、愛車やクルーザーなどを次々処分し、自宅は跡形もないほど改築しました」

 この件について貴月は『婦人公論』のインタビューで、《生前高倉は、プライベートを明かすことを良しとしませんでした》《やるべきことは高倉の遺志を引き継ぎ、名誉を守り続けるために粛々と事を進めること。葬儀や散骨も、その遺志を尊重してのこと》と語っている。

番組の“目玉”のように終盤に登場し、幻となった高倉健さんの遺作を明かした小田貴月さん(NHKより)
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「“健さんの遺志”だと説明された遺族は、引き下がらざるを得なかった。後に、火葬に立ち会った人物が、貴月さんから譲り受けたという遺骨の一部を実妹に渡し、健さんの地元・福岡県中間市にある『正覚寺』に納めました。遺族はようやく、健さんに手を合わせられる場所をつくれたのです」

 実は、貴月の存在は、健さんの死後も明かされるはずではなかったとも。

「養女を知っていた面々は、健さんの死後もしばらく口をつぐんでおく予定でしたが、貴月さん本人が週刊誌に名乗り出てしまいました」

 自ら養女であることを明かしてから8年。なぜこのタイミングで素顔を晒したのか。