粗相を言い出せず、汚れた下着を押し入れに

 あるとき、義母の下着が洗濯に出ていないことに気づき、ゴミ箱を探したが見つからない。だいぶたってから押し入れを整理したときに、袋に入った汚れた下着と、自分でまとめ買いした下着が見つかった。

「下着を汚したことを言えない義母がかわいそうで『お母さん、私には何言ってもいいんだよ』と伝えました。でもそこはなかなか難しくて、義母のプライドを傷つけないよう、下着と紙おむつを気づかれないようにセットして」

 そんな状況でも、義母は兄弟や親戚が家に来るときはしっかりしていたが、介護が始まって10年たったころ、周囲にも義母の変化がわかるようになる。

「お盆でお墓参りに行くとき、姑が毛皮のコートを着て出てきたんです。しかも風呂おけに通帳、下着、薬の袋を入れて持っていて。湯原さんは叱りましたが義母がそのまま行きたがるので、車の冷房を効かせて出かけました」

 義母の様子に驚く親戚に荒木さんが目で合図すると、全員が状況を理解した。

 別の日には、荒木さんが近くに買い物に行った際、「ゆみちゃんがいなくなった」と近所の人に電話して大騒ぎをしたことも。

 家族みんなが疲弊していき、ある日ついに、湯原さんが義母の首に手をかけてしまった。

「義母が真っ暗な部屋にこもってしまい、私がごはんに呼んでも来ないので湯原さんに頼むと、知らない男の人に何かされると思った義母が、鬼の形相で湯原さんに体当たり。湯原さんは反射的にその首に手をかけてしまったんです。もう食事どころではなく、泣きながら必死で仲裁しました」

 それでも荒木さんは自宅介護を続けたかったが、湯原さんが「自宅でできることはすべてした」という結論を出し、施設に預けることを提案。

 当時は認知症の人でも、家庭への復帰を目指してリハビリを行う老健(介護老人保健施設)しか預ける選択肢がなく、どこの施設もいっぱいだった。