【検証4】紫式部と藤原道長の恋はあり得ない?

 ドラマの前半は、まひろと三郎(藤原道長)の恋が最大の見どころ。ただ実際の彼らは……。

「紫式部が宮中に仕えるまで2人は会ったことはなかったと思います。道長と紫式部が子どものときに出会い、思いを育んで惹かれ合い男女関係になった、といった展開はまずあり得ないでしょうね。

 女房として道長の娘の彰子に仕えているときに、道長のお手付きになった可能性はあったかもしれません。お仕えするご主人から手を出されるというのは対等な恋愛関係とはいえません。

 また、紫式部が宮中に仕えたのは夫が亡くなってからの30代で、当時の平均寿命が30代後半といわれていますから、当時でいうと中高年ぐらい。

 それを含めて考えると現代で考えるような若い恋人同士のような雰囲気では残念ながら(?)ないと思います」(吉井さん)

【検証5】安倍晴明は当時、老人だった?

「藤原道長は康保3年(966年)~万寿4年(1027年)、安倍晴明は一説には延喜21年(921年)~寛弘2年(1005年)が生没年で、晴明は道長より45歳も年上ということになります。

 例えば『光る君へ』9話での道長は数え年21歳ですので、晴明は66歳という年齢だったはずです」(帯刀さん)

 時の天皇や貴族たちを操る陰陽師・安倍晴明。ユースケ・サンタマリアの怪演には年齢を感じないかも。

道長よりも45歳も年上で、史実だとユースケ・サンタマリアよりももっと老年
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【検証6】紫式部にはドラマに登場しない姉がいた?

紫式部には姉がいました。紫式部が20代半ば以前に亡くなったと思われ、妹を亡くした親戚の女性と疑似姉妹のような和歌のやりとりをしていました。また、ドラマでは母を藤原道兼に殺されたという展開が描かれましたが、そうした記録は残っていません。ドラマとしては衝撃的な展開で面白かったですが」(吉井さん)

まひろの母は玉置玲央演じる道兼に殺されるという、劇的な死ではなかったそう
まひろの母は玉置玲央演じる道兼に殺されるという、劇的な死ではなかったそう

「7話の打毬のシーンで、女性貴族が外で扇を持ちながら見学していましたが、本当は簾越しに見ていたはずです。上流貴族の家にはまず格子や簾があり、そして几帳があり姫君たちはさらにその奥にいて扇で顔を隠していました。

 平安時代の上流貴族の女性たちからすれば、顔を見せるというのは裸に近い状態である感覚だったかと思います。

 男性に顔を見せるとしたら、元服前の弟、父親、夫、男女関係にある恋人ぐらいです。それなりの身分にある女性であれば、女性同士でもよほど親しい女性以外には顔を隠すことがたしなみであるとされていたようです」(吉井さん、以下同)

 ただ、それを再現するとドラマとしては成り立たない。でも、男性たちについては正確らしい。

貴族の男性たちでいうと絶対に頭の冠や烏帽子は人前では外しません。頭頂部をさらすことは下着を脱いで裸になるようなものでした。ドラマでも男性たちはまず外さないように演出されていますね」