目次
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ー 【検証1】紫式部の名前は「まひろ」ではない? ー 【検証2】紫式部が活発に外を歩き回ることはなかった? ー 【検証3】紫式部が代筆のアルバイトをしていた可能性は?
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ー 【検証4】紫式部と藤原道長の恋はあり得ない? ー 【検証5】安倍晴明は当時、老人だった? ー 【検証6】紫式部にはドラマに登場しない姉がいた?
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ー 【検証7】紫式部は年のわりに大人っぽすぎ?

 千年の時を超えて読み継がれる『源氏物語』を生み出した紫式部の、波乱に満ちた人生を描く大河ドラマ光る君へ』。藤原一族のイケメン貴公子たちや少女漫画的な展開に胸キュンの一方で、これって史実と違うのでは?という設定も。

『源氏物語』を中心に平安朝文学を研究する元・和洋女子大学教授の吉井美弥子さんと歴史ライターの帯刀コロクさんに、8つの疑問を解説してもらった。

【検証1】紫式部の名前は「まひろ」ではない?

「史実として本名はわかっていません。当時の女性の本名が記録に残ることは珍しいためです。

 60年ほど前に歴史学者の角田文衞氏が式部の本名を「香子(かおるこ/たかこ/きょうし)」とする説を発表しましたが否定的な論説も多く、当時の女性名をどう読んだのかも正確には不明な部分も多いようです」(帯刀さん、以下同)

 平安時代の女性名は「菅原孝標女」や「藤原道綱母」のように誰々の娘、母などの表記が多い。

 宮仕えの女房(朝廷や貴族に仕える侍女)であれば姓の一部+父親・親族の官職名にちなんで呼ばれることも一般的だったという。

「『紫式部』は後世の呼び名で本来は『藤式部』といい、父の藤原為時が式部丞という役職を務めていたことに由来します」

【検証2】紫式部が活発に外を歩き回ることはなかった?

 まひろが町に出かけては、大道芸(散楽)を従者と見物するシーンが幾度となく描かれたが、

「貴族の女性が顔を出して自由に外を歩き回るというのは従者を付けていても考えられません。貴族女性は屋敷の中でも走るなどというのは、してはいけないこと。でも史実と異なっていてもドラマとして楽しく見るのがいいと思います」(吉井さん)

物詣
物詣

【検証3】紫式部が代筆のアルバイトをしていた可能性は?

「平安時代初期の『伊勢物語』には在原業平が女性のために歌を代筆する話があったり、男性が女性に文を送ると最初は侍女が代行して返信したりすることがあるなど、代筆そのものはまひろの時代にも存在していました」(帯刀さん、以下同)

 学識のある貴族が私塾を開いたり、貴族に仕える庶民が事業を起こしたりといった事例もあったため、アルバイトや副業はあり得た、とも。

「ただし下級とはいえ貴族の娘が現実に代筆業を行うとすれば、侍女や従者の協力など多くの工夫が必要となるのではないでしょうか。

 まひろは少女のころから高い教養を身につけていたとはいえ、恋文のように男女の心の機微が重要な歌・文章を作成するには経験不足だったのではとも考えます。

 ただ、あり得たかもしれないという設定は巧みな創作の面白い部分ですね」

手紙
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