北原の原点となった祖母の旅館

祖母の輝子さん。「戦後すぐの解放感がすごい」と北原さん。
祖母の輝子さん。「戦後すぐの解放感がすごい」と北原さん。
【写真】「勉強どころじゃない」と何かと忙しかったという大学時代の北原さん

 北原が小学生のときの夏休みは、学校勤めのある父はひとり横浜の実家へ、母と姉妹は大原の祖母の旅館で過ごすのが恒例だった。しかし同じ千葉県内とはいえ、大原は東京に近いベッドタウンの柏から電車を乗り継ぎ、房総半島を横断した先の太平洋に面した海辺にある町だ。

 漁港と海水浴場のある土地で祖母が切り盛りしていた旅館は、町を流れる塩田川の河口に立っていたという。そこは作家の山本有三が逗留し、小説『真実一路』を書いた由緒ある旅館で、大原も小説の舞台となっている。川には今も一路橋という橋がかかり、橋のたもとには小説の一節を刻んだ碑が立っている。

「旅館は祖父の持ち物だったようですけど、祖母が任されていて、たくさんの女性が住み込みで働いていました。だいたい40代前後くらい、みんな独身だったりシングルマザーだったりで、芸者さんもいて、女の職場でした。おそらく祖母は、身寄りのない女性たちに旅館で働いてもらっていたんですね」

輝子さんが営む『翠松館』は作家の山本有三も愛したという
輝子さんが営む『翠松館』は作家の山本有三も愛したという

 北原いわく「すごく威張っていた」という祖母は、旅館とは別にラブホテルも経営していたという。そこにいる祖母を訪ねると、よく仕事を手伝わされたこともあった、と北原は笑う。

「行ったら『ちょうどよかった、これをベッドの上に置いてきて』と言われて、カゴに入ったコンドームを渡されたんです。それで『これは何?』と聞いたら『それはコンドームといって、男性のペニスにつけると妊娠しないんだ』と言われて、意味はよくわからないけどそういうもんなんだな、と。それで置きに行くんですけど、赤い色の部屋には大きなベッドにピンクと水色の枕があって、小学生でしたけどエロチックな雰囲気は感じていましたね。『ちょっと留守番して』と言われてラブホテルの受付に座っていたこともありましたね」

 その大原では従業員の前で芝居を披露したこともある、と言うのが妹のあかりさんだ。

「夏は繁忙期なので働いている人がたくさんいて、旅館で働く人の子どもたちもいて、私たち姉妹は彼らと一緒に夜に向けて芝居をつくっていくんです。姉が話を考えるんですけど、私がいじめられっ子、他の子たちがいじめっ子、そして姉が正義の味方で私を助けてくれるんです。姉はどこへ行ってもリーダーで、正義の味方なんですよ」

 小6になった北原は難関女子中学を受験するが不合格となり、公立校へ進学する。