『前略おふくろ様』『北の国から』『風のガーデン』など数々のヒットドラマを世に送り出してきた倉本聰さん。大震災、原発事故、安保法案などで社会が揺らぐ中、7年ぶりの公演となる舞台『屋根』に何を込めたのか――。粉雪の舞う、氷点下の北海道・富良野に訪ねた。(第1回)

 この正月で81歳になった脚本家の倉本聰さん。1977年秋に北海道富良野市に移住して38年になる。

「富良野はね、夏は35~36度になるし、冬はマイナス35度くらいまで、当時は下がった。四季の激しいところに住みたかったんです」

 取材した日も零下10度近い厳寒。サラサラのパウダースノーが積もった道を、杖を手にした倉本さんはしっかりと踏みしめながら歩く。

 今も脳裏によぎるのは、富良野で迎えた最初の夜。森に建てた家には工事の手違いで電気が入っていなかった。シュラフ(寝袋)にもぐり込み、ひとり恐怖に震えた─。

「最初は熊とか現実的なものの怖さ。それが、時間がたつにつれ、何か霊的なものの怖さに変わりましたね。自然の中でいちばん怖いのは“闇”なんですよ。真の闇の中にいると、自分の手も見えないから、船酔いみたいになります。早く太陽が上がってくれと震えていると、小鳥の声が聞こえて白んできた。初めて太陽のありがたさに気がつきました」

 冬を迎えると、ひどいうつになった。何もする気が起きず、死にたくなる。外は零下30度だ。ジープの中で寝てしまえば死ねる――。

 フラフラと外に出て行こうとすると、飼い犬のヤマグチが飛んできて、服の裾を引っ張って引き戻してくれた。

【写真】愛犬のヤマグチと
【写真】愛犬のヤマグチと

「ヤマグチは熊狩りに使う北海道犬なんですが、何か感じたんでしょうね。医者に行くと、“毎年冬になるとうつが出ますよ”なんて言われましたが、僕の場合、たぶん、あまりのカルチャーショックが原因じゃないかなと思っているんです。いまでは、冬になると落ち着きますから」

 間もなく、東京にいた妻で舞台女優の平木久子さんも富良野で一緒に暮らし始めた。

 地元に知り合いが増えると、厳しい自然の中、知識に頼るのではなく、知恵で乗り切る北海道人のたくましさに、感動を覚えた。

 もし、こうした富良野での体験がなかったら、倉本さんの代表作『北の国から』(フジテレビ系)は生まれなかったかもしれない。

 '81年10月にスタートした『北の国から』は、翌年の3月まで24話を放送。その後も『'83 冬』『'84 夏』など8話のドラマスペシャルが、2002年まで放送された。21年という長い間、同じ俳優が同じ役を演じ、30パーセントを超える高視聴率をしばしば記録した。

 この人気テレビドラマの始まりは“怒り”だった。

「東京の人がイメージする北海道のドラマを書いてくれませんかとプロデューサーに言われて、僕はコチンときて、“ふざけるな!”と。それで、北海道の人が見て、本当の北海道だと感じるドラマを書きたいと思ったんですよ」